+LOVE通信「ひろいばなし選手権」2022年上半期 Part.1
メルマガ「+LOVE通信」もスタートして1年が経過し、「ひろいばなし」も50話を超える様々なストーリーをお届けしております。
2022年上半期に配信したVol.24からVol.52の中から自分の好きな3話を選んで投票する「ひろいばなし選手権」が開催され、読者の皆さまに選ばれた同率1位の2つのストーリーのうち、今回は1つを公開いたします。
「LOVEのひろいばなし」選手権
2022上半期ラインナップ
- Vol.24 ロングスリーパー界
- Vol.25 帰ってきたヨッパライ
- Vol.26 デートするなら〇〇人
- Vol.27 ちょっとでいいんで
- Vol.28 60年に1度の幸運期
- Vol.29 こホゥりさん
- Vol.30 さようならトミー
- Vol.31 今年の形容詞
- Vol.32 バザールのパレード
- Vol.33 一個じゃなくて全部です
- Vol.34 ジェニロペとダーウィンと私
- Vol.35 オシャレは我慢です
- Vol.36 ロッカーのバラとハーシーズキス
- Vol.37 書く
- Vol.38 ファッションマスク
- Vol.39 僕たちの国境
- Vol.40 まこの手紙
- Vol.41 ルノアールの面接
- Vol.42 “ニンジャとか(笑)”
- Vol.43 感覚的違和感
- Vol.44 羽織の大学生
- Vol.45 ちょっと真面目なだけ
- Vol.46 精神つぶつぶ論〜前編〜
- Vol.47 精神つぶつぶ論〜後編〜
- Vol.48 ふわふわ vs ぬめぬめ
- Vol.49 マサのガッツポーズ
- Vol.50 村ホームステイ
- Vol.51 てーんてーん
- Vol.52 10歳差プレイ
Vol.36:ロッカーのバラとハーシーズキス
始業のベルが鳴るとバタバタと生徒たちが走っていく。中学生でもませた部類とはいるもので、ロッカーの前で頬を寄せ合って名残惜しそうにしているカップルを横目に、僕も次の授業へと急ぐ。
僕の学校には、廊下に並んだロッカーがある。
生徒は1人ひとりずつロッカーをもらうことができる。各自ホームルームの外にあるそのロッカーに分厚い教科書を入れておき、授業ごとに持ち替えるのだ。ただ、女子たちの間ではお互いのロッカーにメモを仕込ませておくのも流行っていて、ロッカーを開けるたびに何かを見つけては意味ありげなそぶりでそれを読んでいたりする。
そう、僕の母校のロッカーには、鍵がなかった。20年前、少なくとも僕が卒業する頃までは。自由な校風、というか、「生徒を信頼する」指導が他にしっかりとあったのだ。特に創立当初はそれで問題もなかったのだが、近年では盗難などの防止で鍵をつけることが必須になったらしい。コンプライアンスってやつだろう。
映画でもよく見るが、アメリカの学校だと、ロッカーはだいたい金属製で回転式の鍵がついているのが定番だ。だが、ぼくらのロッカーは木製で、薄い緑に塗られている。木目が綺麗にみえていて、どことなくあたたかかった。
上下15ずつぐらいだったと思う。全部で30ほどのロッカー。断然、上の段の方が使いやすい。私学で少人数制の学校なので、1クラスに30人もの生徒がいることはまずない。だから下段のロッカーはだいたいいつも空いていた。
ときどき先生からホームルームのあれこれをしまっておいてくれと頼まれ、余っているはずのロッカーを開けにいくことがある。ただし、スポーツが得意な奴らのボストンバッグや汗臭いユニフォームが投げ入れられて山になっていて、開けたそばから雪崩がおきるのが定番だった。あいつらもそれぞれにロッカーを持っているのだから、自分のスペースにちゃんと納まるように、ユニフォームを畳むなりなんなりすればいいのに。
僕はスポーツが苦手なわけでも嫌いなわけでもないが、サッカーボールを廊下でドリブルしては注意を受けているあいつらのノリがどうにも好きになれない。好き、といえば、むしろ音楽の授業だ。
音楽の授業は選択制になっている。中高一貫になっている我が校では、クワイヤ(合唱)、ブラスバンド、弦オーケストラのうちから、中学入学時に一つ選ぶことができる。そして中学3学年、高校3学年、それぞれの合同授業になっている音楽の時間を、後輩先輩入り乱れて過ごす。小さなコミュニティのインターナショナルスクールという輪の中で、学年の垣根を超えて友人を作るには、いい機会でもある。
7年生(中学1年生)の僕は - それでも小学生のころから併設のインターナショナルスクールで育っているので新顔ではないのだが – 韓国系の親の教育で幼少期からチェロを習っている。まったくの初心者として楽器を触り始めた他の7年生たちの、音程のはずれたバイオリンが亀のスピードで上達していくのを鬱陶しいと思うことはあれど、自分の演奏には問題がなかった。だから音楽の授業で緊張することなどまずなかったし、その必要もなかった。
だが、今日は、弓を持つ手がぎこちない。 まだ授業が始まっていないのに、どうにも汗が引かないのだ。
クラスで1番背が小さい彼女が、バイオリンを膝において、クラスメイトと談笑している。
彼女はよくタータンチェックのプリーツスカートを履いていた。ロングヘアーとぺちゃんこにおでこに張り付いている前髪が古風な日本人で、アメリカからの帰国子女だが、挨拶程度しか話したこともない。彼女がバイオリンを持つと、ひとまわり大きいビオラに見えてしまうくらい、小柄だ。溌剌としているけれど決して目立つタイプではない。ビン底のメガネで小さくなってしまった瞳がメガネの中だけでキョロキョロと動いている。よく見ると可愛い。だが、よく見ないと全然可愛くない。それがいいのだ。
おそらくこの学校で、この「よく見ないと全然可愛くないその可愛さ」に気づいているのは、僕ぐらいのものだろう。
そんな彼女が今日は授業が始まる前から、周囲に話しかけては談笑しながらチョコレートを配っているのだ。
「ねー、ハーシーズのキスチョコ好き?食べる?」
後ろの席、前の席。華奢な手を伸ばして、小さなホイルに包装された、粒チョコレートの定番、ハーシーズキスを、配っている。
(手を伸ばして彼女からチョコレートを受け取る友人たちは、ほとんどがバイカルチュラルで育っている生徒たちで、女性に愛を伝える欧米式のバレンタインと、女子が男子に義理でチョコを配る日本式のバレンタイン文化が混在している)
2月になると、我が校の生徒会はランチタイムのカフェテリアにて「バレンタインローズ」の受付窓口を開く。1本100円で薔薇の生花を送る相手を指定しておくと、2月14日の朝までに生徒会のメンバーがバラをロッカーの中に仕込んでおいてくれるサービスだ。希望があればひとこと添えるカードも付けられる。日本の学校ではまずない習慣かもしれない。
女の子同士が友情を確かめ合うために送りあったり、お気に入りの先生に日頃の感謝を込めて送ってみたり。もちろん、男子生徒は好きな子にバラを届けてあげることが愛のジェスチャーにもなる。と同時に、日本人の女の子はやっぱりブラウニーやクッキーを焼いて学校で配ったりして、いずれにしてもバレンタインは毎年楽しく盛り上がるのが校風のうちだった。
なにが、誰が、どこで間違ったのかはわからない。いや、僕か。
僕は事前にバラを1本、生徒会にオーダーし、送り先を彼女のロッカーにしていた。そしてバラを贈るだけじゃなく、何か人とは違うことをしたいと思ってしまった。その朝、早めに登校した僕は、彼女のロッカーに向かった。
扉を開けると、すでにバラが1本入っていた。僕からの1本だ。やっぱり他に彼女に思いを寄せている生徒はいないらしい。僕はそのバラに寄り添うようにそっとハーシーズのキスチョコレートを1袋置いて、ロッカーを閉じた。まだほとんどの生徒は登校していない。悪いことをしているわけじゃないのに、誰かに見られてはいないか、ドキドキしてしまった。誰かに見られた気配はない。
30あるロッカーのうち、上段のまんなかあたり。あの扉の中で僕のバラとチョコレートが静かに彼女の登校を待つ。
すこし後ろに下がって見てみた。すると、壁一面に広がるロッカーすべての扉に、さりげなく五線譜のデザインが施されていた。左から右へと音符がひとつずつ流れていく作りになっている。そう、今日は音楽の授業があるのだ。彼女はどんな顔をして教室に入ってくるだろう。
と、静かに楽しみにしていた僕に、彼女が手を差し伸べている。
「ねえ、ハーシーズ食べる?」
彼女のバイオリンの席から、ファーストビオラを挟んで、僕が座っているチェロの席まで。わざわざ、親切そうに。
「私ハーシーズのチョコ、苦手なの。なんだか香りが独特でしょ?でも、もったいないから、みんなに食べてもらってるの。あなたもいいよ!食べる?」
「あ、ありがとう」
僕は、今朝この手でロッカーにしまったチョコレートを彼女の手から受け取った。
「ロッカーに入ってたんだけど名前がなかったから、誰からかはわからないんだよね」
その後、いつもどおり授業は始まり、ご機嫌な先生による指揮で僕らはオーケストラ曲を練習した。彼女はいつも通り真剣に楽譜に向かってバイオリンを弾いていた。僕はなにも考えなくても弾けるくらいの簡単な曲を、ただただ五線譜の音符を追いかけてやりすごした。
名前……。すっかり忘れていた。
その後、僕らはいつもと変わらず週に2回のペースで音楽の授業内で会った。いつもと変わらず僕はあまり話さないけれど、小さな輪の中で目があえば、ちょっとした雑談を共有したりして。
ところが、二週間後、どうしたことか、ある時からまったく彼女が僕と話さなくなった。目も合わない。
誰が漏らしたのかはわからないけれど、あのハーシーズキスを送ったのは僕だったということが彼女の耳に入ったらしい。どうせ、生徒会のやつらだろう。
そして1年が経った頃、中学2年生になった彼女は急に眼鏡をコンタクトに変えた。そして彼女の素顔を見た学校中が、やっとその可愛さに気がついた。今さら、何を。
僕と彼女は、12年生(高校3年生)になるまで、ずっと週に2回の音楽の授業をとりつづけた。僕は卒業までファーストチェロの席に、そして彼女はセカンドバイオリンの席に座っていた。彼女の演奏が下手くそで1列後ろに下がった時以外は、2人の距離は縮まることも遠くなることもなかった。
高校に入ってスクールミュージカルでクワイヤーガールを演じ、バンド活動も始めた彼女は、あの頃のような原石ではなく、一般的なティーンエイジャーになってしまった。他人の目を気にしながらリップクリームを塗り、放課後や週末のパーティーの常連メンバーになっていった。
高校に上がった僕が男子バレーボール部に入部したら、たまたま彼女がマネージャーになっていたが、すぐに部活のキャプテンに目をつけられて付き合い始めた。試合があれば、お手製エナジードリンクの「はちみつ漬けレモン」を選手全員が配ってもらえたが、それ意外には特に僕らが個人的な接点を持つことはなかった。
さて、高校を卒業してから20年目の春が来る。僕は、日本を出た。
今では両親に会いに時々日本に戻ってくるぐらい。結婚し家庭を持ったシアトルの街角では、今年も花屋がバラを売っている。両手いっぱいのバラを買って足取り軽く去った若き青年のあと、1本のバラを手にした老人はやっとこさ店主に小銭を渡している。
そして中年になった僕の鞄の中には、先ほどスーパーで見かけて思わず手に取ってしまったチョコレートが1袋入っている。ハーシーズ、キスチョコレート。
スーパーで袋を手にした時、あの頃と変わらない、小さなしずくの形に大事に包まれた小粒がコロコロと踊った。定番商品ってこうも長くデザインを変えないんだな、と思った。
そしてこの瞬間、卒業から20年間、彼女のことを一度も思い出したことがなかったことに気がついた。もちろん彼女も、この間に僕を思い出すことなどなかっただろうなと思ったら、ふと微笑みが溢れた。
世界的パンデミックと、アメリカの政治的狂騒の中、文句なんていえないほど今僕は幸せに暮らしている。もうすぐ7歳になる娘と、妻が家でバレンタインの夕飯を用意していることだろう。
まだまだ2月は寒い。早く、帰ろう。
ほぼほぼ妄想かつ彼目線で書きましたから、当然ながら美談にしかなってません。実のところは何もわかりません。今、彼がどこでどう暮らしているかも知りません、シアトルとかも適当です。
でも、私が眼鏡をコンタクトに変える前に、私を好きになってくれた男の子は学校中で彼だけだったんじゃないかしら。それは本当だと思います。
バレンタインが来るたびに、韓国系のスポーツ刈りでチェロを弾いていた彼のことを20年たっても思い出します。毎年、です。たぶん私だけが毎年思い出していると思います。
そして、今でもあの音楽の授業でハーシーズキスを配らなきゃ良かったなあ、と思っています。謝る機会が6年もあったけど、結局その話をしたことはなかったかと。高校生になってからも普通に雑談ぐらいはしていたから、気にしているのは私だけだったかもしれません。
バレンタイン、素敵な思い出もいくつか重なってきたはずですが、毎年、いつも最初に思い出すエピソードがこれなのです。
今年のバレンタインは月曜日。愛はいろんな形でやってきますから、ラブリーだったり切なかったりすると思いますけど、それもこれも愛のなせる技。
私は今、小麦とお砂糖を控えていますが、せっかくだからね、美味しいチョコでも食べようかしら!と思っております。よいバレンタインを!