LOVEのひろいばなし Vol.95「ベトナムから見る世界」

ミーソン遺跡にいます。16世紀ごろ長崎との貿易も盛んだった港町ホイアンから車で1時間ほど。
南シナ海に縦に伸びるベトナムは、右が海、左が山。山超えたらラオスです。海側のホイアンから山側に入ってガタガタとバスに揺られて来ました。おー、立派な山だあ。ジャングルだあ。
フランスがベトナムを占領した時期に発見されるまで、なんと五百年間も緑に隠れていた遺跡だそうです。すぎょいですね。見つけた人、びっくりでしたよね。いまじゃ世界遺産です。
ガイドのリーさんによると、二千年前のレンガそのままだとか。
「ポーランド人の建築家が保存のために修復していなければ、今私たちが見ている貴重な遺跡は崩れていたでしょう。でも彼が修復したのは下の方なんですよ。セメントがレンガの間に挟んであるのが見えますね。そして上の茶色の方が二千年前のレンガ。綺麗でしょう?不思議なことにレンガの隙間にはセメントがなく、彼らが何を接着剤に使ってこんなに綺麗で頑丈な建築にしたのか、詳しくはわかっていないんですよ」
キッチンだったはずの場所は東西に窓が設けてあり、建築からも太陽崇拝が見てとれる、と。その隣には、なにやらボコっとしたオブジェが。
集まれ、集まれ、とリーさん。
「ここ大事」
女性器モチーフの台座に男性器モチーフの柱がのっている、と説明されると、我々観光客一同にこやかになりました。世界共通の笑い。
「片方だけでは寂しい。一緒なら幸せ。平和と豊穣。川の水を汲み、このオブジェを伝わせることにより聖水にしたみたいです」
リーさんもなごやかです。チャム族が大事にしていたことを、リーさんも大事に伝えてくれました。
私は知らない土地に来ると、その土地の神様を知りたくなります。太古の昔の宗教、王族が名残を残す王国、占領下に持ち込まれた宗教であっても、独自の発展を遂げる過程に国民性が出るのがほんとに面白いからです。
ベトナムの宗教についての前知識はゼロ。遺跡に来る前、街歩き中にいくつか寺院に出くわしたくらい。中国の影響を受けている狛犬、ヒンドゥー教の影響を受けている象など、守り神の姿で大体わかるのですが、なんというか神聖な感じより、色合いも佇まいも、「やあ!調子どう!」的な。なんか明るいんですよね。「黄色よりのオレンジ!太陽だよ」とか「だからブルーもいいよね!」「日本の国交の歴史展示もついでにしておいたよ!」「盆栽もやっちゃうよ!」みたいな。どうも、ここには独自の単一宗教がないように感じました。カソリック教会はひとつだけ見かけました。港町ならではの雑多さなのかな。多分宗教に由来しない、なんらかの精神性がある。
さて、ミーソン遺跡で汗だくの私。続いて、窓のないレンガ造りの小さな礼拝堂の中へ。冷房システムがあるといいます。
外は溶けるような酷暑ですが、中に入ると一気に空気が変わります。なぜかレンガの内側はしっとりと濡れていて、雨が降った際に、レンガが含んだ水分を少しずつ内側に結露させる自然のサイクルができるように設計されているとか。けどカビてない。なんで?すごい。涼しい。同行している多国籍な顔ぶれの観光客がみんなほっとしています。
チャム族、太古の人々、その王だけがここに入り祈りを捧げたという礼拝堂です。小さいですが、私たち御一行、10人前後でしょうか、お邪魔させていただき、真ん中にある座を囲みました。
「チャム族の人々は独自の宗教持っていたようです。主に太陽崇拝を思わせる東西に窓がデザインされた建築、そして生殖器崇拝のオブジェなどから見てとれるように、多産や豊穣を祈る彼らの時代、自然と人間が共存していたことがわかります。ここにも女性器モチーフの台座があります。残念ながら一番大事な王の男性器モチーフは、ありません。フランスが占領して、今ルーブル美術館にあります。返してほしいと言っていますが膨大なお金を要求されています」
さっきまでこのモチーフで和やかに過ごしていた全員が「てやんでえ!なんだとフランス!」と殺気立ちました。
それもだいぶ面白ろかったです。リーさんは最初バスに乗った時、みんなの国籍を確認しました。フィンランド、アメリカ、オーストラリア、スペイン、ジャパン(私)のご一行です。
フィンランド以外、どこの国も似たようなことやっております。私もフランスのルーブルでこれを見ていたらこの感情は湧かなかっただろうなと思い、太古の王に心の中で「すみません、ほんとすみません」と謝りました。
続いて、小さな資料館で一部残った壁が保存されているのをみました。ボッコボコでした。ベトナム戦争の銃撃痕でした。
この辺りはベトナム戦争の舞台にもなったそう。
そういえば全て遺跡には外側にたくさんシヴァやらなんやら仏像が彫刻されててすごく綺麗だけど、頭だけがない像が多かったのです。
再度リーさんが説明してくれました。
「ここが戦場だったとき、一部の人たちが仏像の顔だけを壊していきました」
リーさん、アメリカ人観光客への配慮でこの言い方を選んでいるのがすぐわかりました。アメリカ人観光客はみんな残念そうに気まずそうに首を振っていました。そりゃ、恥ずかしいよね。
ちなみにベトナムは五四ものマイノリティがいる多民族だそう。で、実はチャム族にいたっては今では人口の一パーセントに満たないとか。
だから、当時のベトコン(農民や漁師からなる圧倒的な民兵)からしてもそれは宗教ではなく、ただの貴重な遺跡だっただけ。
ベトナム戦争でここに派遣されたアメリカ兵は、圧倒的なベトコンを恐れて、彼らの自尊心にダメージを与えるべく、よくわかりもせずに神らしきものを壊して回った。けどそんなことに意味はなかったのです。彼らは、ただただ歴史的にとんでもなく貴重な建築物を壊したに過ぎない。
嗚呼、もう。
なんと馬鹿馬鹿しい。二千年前に戻り、もう一回レンガを積まないと戻せないような遺跡を、よくも。フルフル。
さて、私はバスに乗ってきた瞬間からリーさんが好きでした。パッと見、眼光が怖い。けど冗談もうまいし、ちゃんとみんなを見てる。観光地あるあるのチャラチャラガイドじゃなかった。
歴代、日本、フランス、アメリカ、と占領やら政治的なんやら戦争やらがあったわけですが。
リーさん見てたら、ベトナム人相手に勝ち目があるわけがない、と納得が行きました。めちゃくちゃ優しいし、明るいし、礼儀があるし、でも「舐めんな、後悔すんのそっちだぞ」感がある。
欧米人観光客が多いアジア圏って、占領時代の名残なのか、私の気のせいなのかわからないですが、えてして現地の方々から卑屈な視線が飛んでくる場合があります。けどここはほとんどない。ベトナム人のプライド、誇り、余裕すらかしこに感じておりました。日本人よりさらに総じて背も小さいベトナム人。なぜ。
ハッとしました。
結局は、フランスも日本もアメリカも。追い出したのはベトナム人です。ベトナム戦争なんて、そもそもアメリカ人が、この湿気に地形に川に泥にジャングルに、耐えられるわけがないです。ようやったな。アホやな、アメリカ。
「来るなら来ていいよー!!なめたことしたら追い出すよー!!^_^」
そんな余裕がここにはある気がする。私が漠然と感じていたベトナム人の精神性、これかもしれません。
最後にリーさんが、「自由に写真撮ってもらって、また二十分後に」といいかけたとき、暑さに負けていたアメリカ人の綺麗目なお姉さん二人が、元々歴史好きじゃないらしく「ここは総意をとりましょうよ。もう帰る、でいいわよね」と口に出して私に目線を向けてきました。おお、無言の圧力。
瞬時に、私の中の「NOといえない日本人」が丸く収めなきゃ、と発動しかけました。が、なにこれ?なんで私?私、もっと遺跡見たかったんだけど、日米女安保条約、私ら結んでましたっけ?どんな安全を保障してくれんの?と無駄に政治脳になりかけました。
瞬間、リーさんが遮ります。
「二十分後にここで。行きたい方はどうぞいってらっしゃい」
リーさん、金髪美女をガン無視しました。めちゃくちゃかっこよかったです。あなただけのツアーじゃないのよ感。リーさんたら。ありがとう。
私は気が合ったご機嫌なオーストラリア母ちゃんともう一度汗だくのまま遺跡に向かい、写真を撮り合いました。
以上、ミーソン遺跡にて、ベトナムから見る世界、でした。遺跡ツアーひとつとっても、みなさんいろんなお国柄が面白いです。さて私は他の人たちにはどう思われていたのかな、と。

LCCの重量制限により、PC持ってきてましぇん。スマホで書くのしんど!!!笑。
こちら、おまけ写真でーす。
(ニキビパッチ、見ないで)