LOVEのひろいばなし Vol.94「パスポート騒動」

プルルルル、プルルル。

気持ちよく寝てたのに。ガーガーやっと現実逃避してたのに。誰だよ、朝から電話してくるの。

「はい……」

「中村様っ!中村様の携帯でよろしいでしょうかっっ!?」

「はい、そうですけど」

「こちら〇〇航空グランドスタッフですが、今どちらにいらっしゃいますか!!?」

「え」

「こちら羽田空港で繰り返しお呼び出しさせていただいておりますが、今どちらにいらっしゃいますかっ!!!」

「……家です」

「家……(絶句)。ロンドン行きフライト番号〇〇、まもなく搭乗ゲートが閉まりますが」

「すみません、パスポートの期限が切れていて」

「え!?」

「パスポートの期限が切れていることに出かける直前で気づいたんです。ああ、じゃあ乗れないなあ、もう出国できないなあと思って絶望しまして。もう諦めたんで大丈夫です。ごめんなさい、電話しなきゃいけないものだと知らなくて」

「それはそれは…ではキャンセルということでよろしいでしょうか」

「はい」

「そうしますとキャンセル代が」

「はいはい、いいですいいです。わたしが悪いんですから」

「了解いたしました……」

「はい。ご迷惑をおかけしました」

「それではまたのご利用をお待ちし」

……ぶち。

枕に、ぱたっ。

新幹線に乗り遅れてもJRに電話する必要はありませんが、国際線の時間に乗り遅れた人間は航空会社に電話をしないといけなかったんですね。おそらくこの電話の一時間ほど前から、繰り返し繰り返し空港内放送では、このダメ人間のフルネームが響き渡っていたはず。しかも、たぶん日本語英語両方で。

ミス・ナカムラ、ミス・ナカムラ、プリーズカムトューザチェックインカウンター……。

乗り遅れるも何も空港にいなかったんですけどね。

二十三歳ミス・ナカムラ、絶望の朝の物語です。

親友がロンドンに移住したので数年越しで会いに行こうとやっとブッキングしたロンドン行きのフライト。嗚呼、あの朝の絶望は、一生忘れない。

私もまだ若かったので体力が有り余っておりまして、ギリギリまで仕事してから、午前三時くらいに準備を始めました。パッキングという名のファッションショーはやがて朝の光に照らされ、軽く始発が走り始めた音が聞こえ始めた頃。

「もう徹夜で空港に向かえばいいんだ♪飛行機でねればいいんだから♪」

完璧なパッキングを終えた私は、最後に「パスポート♪パスポート♪」と引きだしを開けました。パスポート取得時の高校生のミスナカムラの仏頂面チェックでもしてやろうかなと、ページを開きましたら。

有効期限、その年の「6/23」と表記が目に入りました。

……百度見しました。

二日だけ、すぎているんだが。

カバーの裏表なども確認し、1ページずつ何か間違いがないか確認しました。その確認、まったく意味ないけど。

どうしてこうなった。

これでは海は渡れない。

いや、いけるか?

最後の「3」を油性ペンでつないで「8」にするとか、いけるか?ありか?いや、バレるか。バレないようにできるか?そもそも成功したとして、帰国時は「3→8」作戦でも期限が足りないのだがその場合は?出国だけならいいですよ、とかないか?帰りの分はロンドンでどうにかしてくださいね、的なのはないのか?続きはウェブでできないのか?いや、そもそも油性ペンで書き込んだら公文書偽造ってやつなのか?

MI6だかCIAだか、トム・クルーズあたりが、このチマっとした数字のとこだけ針かなんかでカリカリやってるようなシーン、何かの映画でありませんでしたっけ。いやだからそれが公文書偽造なんですけども。

心の中の会議室いっぱいの自分の分身たちが、熱く代替え案を検証。エンドレスに提案してくれます。しかし、どれも犯罪にしかならない気配。例えば盗難された!と騒いでみたら、フライトって乗れるんでしょうか。いや、それ嘘だし。

ダメ人間の浅はかな胸中会議、終了。

「だはあああああああっ。終わったぁ」

そうですよ、そんなものに裏技など、あるわけがないのですよ、ミス・ナカムラ。

天を仰ぎ、パスポートを放り投げ、そのまま服を脱いで、ロンドンの友人に「パスポート有効期限切れてた。行けない、最悪。ごめん」とだけメールを入れ、布団に入ってふて寝することにした数時間後、プルルルル、プルルルル、と携帯が鳴ったのでした。

もうね、あの朝の気持ち、いい大人になっても忘れない。よく思い出すのです。なぜなら、だいたい私は同じようなミスを繰り返す人間なんですね。パッキングぎりぎりだし。明け方に徹夜でフライトのるの、よくあるし。

ていうか、今まさにそれだし。

ひろいばなし笑ながら書いてる場合じゃないくらい何もまだやってないし。

今夜中の一時三十三分ですが、五時半に私、家出るつもりだし。

何か致命的なミスをしていそうで。書類が足りていないとか、そういうの、とにかく怖い。

というわけで、行って参ります。来週はお休みをいただくことにいたしました。 ひろいばなしももしかしたらお休みするかもしれません。お許しください。アデュー!

 

五日前、パスポートを新規発行しました。

それもギリギリなんですけどね。

前回のは十年パスポートだったし、有効期限に余裕があったはず。なのに、とにかくあるべきところにない、どこにもない、と旅行の計画をたてたあたりから うっすら異変に気づきました。

そういえば、年末、何か必要にかられて、パスポート、スキャンしたかも。

で、スキャンしたプリンターが壊れて。年末に買い替えてBIC CAMERAが届けに来てくれた時、そのまま引き取ってもらった記憶があるけど。

たははは、まさかね。さすがにパスポート挟んだまま渡したとかないでしょ。

とりあえず、元のプリンターと同じ場所に設置した新しいプリンターのスキャナーを開いて、まだ未使用のつるつるグラスを確認しました。いや、その確認、まったく意味ないけど。

どうしてこうなった。

これでは海は渡れない。

いや、いけるか?……否。

またダメ人間のフルネームを空港内に響かせるわけにはいかないミス・ナカムラ、大急ぎで有楽町パスポートセンターへ向かうも、まず紛失届を出せとな。そらそうですよね。「本籍全部入り」とかいう書類が必要で、カウンターのおばちゃんに「愛知なら愛知まで郵送で請求しないと。十日くらいかかりますと」と脅されました。さっき食べたもやしラーメン戻しそうなくらい顔面蒼白。やばい、悪夢再びか。

有楽町から戻る電車の中でも足踏みをしながら「とにかく地元の区役所に戻ってここで本籍って取れますかってダメ元で頼み込んでみよう」とシミュレーションをし。ついたらついたらで「他の市区町村の書類はここじゃ無理だから」という内容が落語用の筆文字フォントで存在感満点で貼り出されていて、とりつくしまもなかったです。こんな落語筆文字で書かざるを得ないほど、役所で暴れて頼み込んだ誰かが過去にもいたのかもしれない。

「私のような人間が他にもいたにいたのね。同志ミス・スズキ、ミス・タナカ……」と想像した歴代の他ダメ人間の分まで、いったんさらに落ち込みました。

愛知県豊田市へ日帰りする暇をどうやったら捻出できるか。半泣きになりながら豊田市役所に電話したら、電話口に天使がいました。

「マイナンバーカードがあれば都内からでもコンビニから出せますよ♪登録に通常一週間ほどかかるんですけど、登録しながら電話していただければこちらですぐ承認します、今日中に発行できますよ♪お急ぎですもんね?」

ああ、豊田市役所に花と土産を贈りたい。天使よ、ありがとう。

以上、かろうじてギリ出発五日前にパスポートを取得した私からの、なんの肥やしにもならないお話でございました。


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