LOVEのひろいばなし Vol.87「殺し屋タクシー」

「お客さんだから話すんですけど、ワタシね」
ガタイのいい運転手だった。
リラックスしてハンドルを握ってはいるが、独特の迫力がある。姿勢もいい。潔いというか、気持ち良いというか。何か毅然としたものを、最初に乗車した瞬間から私は感じていた。元来明るい性格なのか、低い声でも溌溂と車内に響く。腹からしっかり声が出ているのだ。へその下にあるツボ、たしか「丹田」って言うんだよな、と私は頭の片隅で思い出していた。
「あ、すみません、そこの車の前で」
「はい、こちらですね、承知しました」
話の途中だったが、家の前に着いてしまった。「五百円になります」「Suicaでお願いします」と簡単なやりとりを挟み、私はSuicaを登録しているスマホを機械にかざした。交差点二つ分、いつもなら歩く距離だ。時間にしておよそ三分弱の、ワンコイン乗車だった。
ピーッと受付音が鳴るのを確認した運転手の男は、領収書をもぎりながら本筋の会話に戻り、私を振り返ってこう言い放ったのだった。
「そうなんですよ。ワタシ、本物の殺し屋なんです」
「ですよね。わかります」
うららかな太陽が通りを照らす午後三時の住宅街で、私はタクシーを降りた。たった三分弱のドラマだった。私はこの日、生まれて初めて、本物の殺し屋に出会った。
物語のきっかけは、二週間前に遡る。
流れ込んだ低気圧が大規模な寒波を日本列島にもたらしつつあった土曜日の朝、私は一発のくしゃみで人生初の本格的なぎっくり腰を経験した。まるまる一週間安静にしていたおかげで立ち上がれるようにはなったものの、翌週の月曜日から通常どおり出かけるにはまだ危うさが残っていた。
二度目の衝撃がいつ来てもおかしくないような背中と腰の違和感を感じ、復帰後の数日間はタクシーで出勤した。そして帰りは、ゆっくりと歩き、ゆっくりと電車に乗ることにした。駅構内やホームで足早に私を追い抜いていく人たちの邪魔にならないよう、結構な気を使った。長い距離を歩くのはまだ辛い。ぎっくり腰になってなければ、もしくはもっと早く治っていたら、この日このタクシーに乗ることもなかっただろう。
地上に上がって通りに出ると、ちょうど一台のタクシーが目に入った。私はすかさず手を挙げた。この辺りはタクシーがなかなか通らないのだ。
「すみません、ちょっと近くて恐縮なんですけど。この道をまっすぐお願いします」
「承知しました。大丈夫ですよ、寒いですもんね」
「いや、ちょっと腰をやっちゃって。これでもだいぶ良くなったんですけど」
「あああ、そうでしたか。それは歩かない方がいい。つい先日もそこの整形外科の前から乗せた女性が、もうまったく歩けなくなっていらして」
「いつ頃ですか?二週間ぐらい前?」
「確かそんなもんでしたかね」
「みんな寒波でやられちゃったのかもしれませんね」
「ははは。ワタシは武道やってるんですけどね。女性に冷えは大敵ですし、でもダイエットだとかなんとかいってみんな」
「筋力落ちちゃいますよね」
「そうそう。体幹を鍛えるといいですよ」
「運転手さん、武道ってどんな?」
「うーん。教える方なんですけど」
「へえ。道場とかですか?」
「いや、えっとね。基地に教えに行くんです。割とガッツリしたやつなんですけど」
「へえ!もしかして、あれ?えーっと、なんていうやつでしたっけ、うーんと」
「お詳しいんですか」
「いや、元彼がなんか昔やってたっていってたんですよ。名前、なんつったっけなあ。サムライが、実戦で刀を落としても素手のまま戦うための、なんとかっていう」
「ふん、ふん」
「アメリカで習ったらしいんですけど、殺傷能力が高いから黒帯になると武器所持と同じ扱いになるとかで。国に登録しなきゃいけないから旅行するのも面倒になるし、結局黒帯はとらなかったとか」
「はいはい。まあ、私のはなんというか。うーん。あんまり話せないんですけど、実践用ですね。特殊部隊などの」
「なるほど。やっぱり黒帯とかお持ちなんですか」
「いや、帯とかないんです。うちのはね、 “いっしそうでん”なんですよ」
「いっし、そうでん……!」
初めて聞いた単語だったが、すぐに意味がわかった。「一子相伝」。たった一人の選ばれし弟子にのみ伝承される、秘伝のタレ。いや、技。人に広く教えられないから収入目的にできない。だからタクシーの仕事をしているのか。
「なるほど、だから仕事にならないんですね」
「そうなんですよ。政府から時々要請があれば出向くぐらいで」
「じゃあ、本当に実践なんだ」
「そうですね。お客さんだから話すんですけど、ワタシね」
「あ、すみません、そこの車の前で」
「はい、こちらですね、承知しました」
「ありがとうございます」
「五百円になります」
「Suicaでお願いします」
……ピーッ。
「そうなんですよ、ワタシ。本物の殺し屋なんです」
「ですよね。わかります」
「ゆっくり降りてくださいね、マイペースで」
「はい、よいしょっと。体幹鍛えますね〜」
「ええ、ありがとうございました。お気をつけて。お大事になさってくださいね〜」
マンションの玄関にたどり着くまで、あと三メートルだ。今日は清掃業者が入っていたらしく、濡れた床面が、午後の太陽を反射してキラキラと光っていた。モップが刺さった業務用のバケツや、置かれている大きな洗剤の間をぬって、私はそろそろとすり足で進んだ。
なんだっけな。なんていったかな。
背後でタクシーが走り去っていく音が聞こえた。
「……そうだ、“柔術”だ」
ふいに人に聞いた記憶が鮮やかに蘇ってきた。そして、この三メートルを進む間だけ、私の脳内は戦国時代にタイムトリップした。
「柔術」は、たしか平安時代から戦国時代にかけて、日本の古武道だったものが進化した武道だ。
一部は現代の柔道や合気道になり、さらに一部は海外に出て変化したのちブラジリアン柔術などが有名になったとか。何流にも枝分かれしているだろうし、詳しいことは私もさっぱりわからない。
ただ、日本古来の古武道から「柔術」への流れは、歴史的に見ても独特なんだ、と聞いた覚えがある。より強い武器や殺傷能力ばかりが追求されてきた戦術の世界で、そうじゃない特性があるという意味で。
その昔、殿に仕えた者たちの一部は、殿と近距離の側近であるがゆえに城内で武器携行が許されないまま、それでも護衛をしなければならなかった。なおかつ、長刀を持った侵入者と対峙しても時には殺さずに情報源として活用しなければならない場合もあった。
また、指令を受けて城外の敵地に赴く隠密や忍者にも、大事な心得があったという。それは、道中たとえ多勢の敵に囲まれて斬りかかられようとも、相手を殺すことが目的になってはならないということ。生き延びて任務を果たすことが最優先のため、相手の力を封じ込めさえできればいい。必要ならば瞬殺で切り抜けねばならないが、殺すこと自体が目的ではなかった。
長刀を持つ者の剣術を読みきり、素手か短刀で対峙すること。
生捕にする技術をもち、相手の特定の機能停止を狙うこと。
もしくは、極力短時間で瞬殺すること。
いくつもの選択肢、そのすべてで頂点を極める柔術は、究極の心技体からなる武道だったという。
彼らは、現代でいうところの「特殊部隊」に近かったはずだ。そして、その流儀は他家に手の内を知られることがないように、一部の鍛錬を積む者だけに伝承された。それを「一子相伝」と呼んだのかもしれない。
……三メートルを無事私は進んでいた。マンションの玄関で管理人がいつものように笑顔でこちらを心配してくれている。私は軽く会釈を返して、お疲れ様です、と声をかけてエレベータに向かった。
この間、私の中の小さなサムライが、ずっと静かに震えていた。
あの運転手は、伝承者だったのだ。
高潔な男だった。私は瞬時に尊敬し、畏れた。
今の世に足りないものが明確に見えるような気すら、した。人を殺すにも殺さぬにも、生きるにも生かされるにも。心技体、その全てが足りていない現代。
大都会、東京。そして、日本。今のお前は、自分をどう見ているのだ。
あの男は、一子相伝の武道家精神を丹田に据えて、明日もタクシーを流すことだろう。
背筋を少し伸ばし、私はまた一歩ずつ進んだ。この腰が治ったら、もう一度、いちから体幹トレーニングを始めることにした。

いや、なんなの。まじで。
タクシー、なんなの。
なんでこういうのがみんな運転手さんをやってるの。謎で仕方ない。
「ぎっくり腰で徒歩十分の距離をタクシーに乗ってます」なんて、情けなくて普通なら絶対言いたくないのに、これはもう、それどころじゃないんで。
なんなの、まじで。
三分弱で、なにハモってくれちゃってんの、運転手さん。私の中の精神的小さなサムライ。先に見つけたのは絶対運転手さんの方ですからね。
でも私の中のチビサムライも、乗った瞬間からちょっとピシッとしたんですよね。浪人二人がお茶屋で居合わせて、お互いの存在、気配に気づいてピンときたみたいなやつですかね。ちがいますかね。
あと、こんな話には本来オチなどないのですよ。
一子相伝の武道家と出会ったことで世の軟弱さを憂い、ぎっくり腰を経た私が体幹トレーニングを始めるなど、焼石にスズメの涙一滴以下ほどどうでもよろしい効果のなさ。
でも、あああ、しまったなあ。後悔が一つ。
連絡先、聞けばよかったです。弟子にしてくださいって、腰は曲げれないけど頭下げればよかった。とうてい無理なのは当然だけど、ちょっと特殊な「会員制・丹田トレーニングジム」があるんで〜って紹介されるとか、そのぐらいの面白い展開があったかもしれないのに。もったいないことをしました。
ちっ。これも、一期一会ってやつでしょうか。