LOVEのひろいばなし Vol.82「二○二二年です」

僕の名前は、「二○二二年」といいます。苗字はありません。僕の命は生まれた時から三六五日と決まっていて、もうすぐ僕は寿命を全うします。ラヴさんの家族が「逃走中」と「紅白」でチャンネルの奪い合いを終えた頃、除夜の鐘の映像が流れてまもなく、「3、2、1、ハッピーニューイヤー!」とラヴさんが叫ぶ瞬間に、僕は消えます。

僕と同じ名前の子は、実はたくさんいます。あなたにも、彼女にも、彼にも、あの子にも、「二○二二年」は寄り添っている子がいるはずです。

僕はラヴさん専用の「二○二二年」でした。

ラヴさんに出会ったのは、彼女がご家族と近所の初詣に行く途中の住宅街、教会を過ぎたあたり。僕はおもむろにラヴさんのそばに現れ、てくてくと、そしてチクタクと、共に歩き始めたのでした。

ラヴさんは、最初の一日、二日だけ家でご馳走を作ったりしていたものの、ゆっくりする間もなく「今年は最初の生放送が三日から!」とさっそくラジオの生放送に出かけていきました。前任者から聞かされていた通り、曜日通りの生放送に正月休みは特にないようです。今年もラヴさんは、ライブ直前直後、寝不足だろうが天気が荒れようが、月火水の生放送を一日も欠かすことなく完走しています。

一月は、ラヴさんと小笠原諸島に旅行に行きました。二十四時間の船旅で、母島、父島へ。ご友人のおちよちゃんと旅をするのが本当に好きなのでしょう、二人、きゃっきゃきゃっきゃとずーっと楽しそうでした。十日間ほど、けっこうしっかり期間をとったのに、僕もあっという間に感じました。地元の人も驚くぐらいクジラを見ることができた代わりなのか、帰宅後、洗濯機、パソコン、iPhoneが壊れました。今年は運転免許を取ろうとしていたけれど、さっそく金欠になり諦めてました。

二月、ラヴさんは「Someone To Love」を締め切りギリギリに書き上げていました。相変わらずものすごい底力で、その直前までダラダラし尽くしてからブッ通しでデモを仕上げていました。緩急。

前任者が言っていた「三月は、あいつはやたら何かやるぞ」というのは本当でした。まず十五周年のポートレート撮影を、ご友人でもあるカメラマンの「こうへいくん」と決行。かと思ったら鬼のスピードで企画書を書いてMV撮影まで。ASLことAmerican Sign Language、英語の手話を一週間ぐらいでひたすら練習を重ねてマスターしていました。クリエイティヴなお仲間にたくさん出演してもらった愛の溢れるビデオはリリースタイミングで公開となりました。僕は今でも時々ラヴさんが寝た後に見ます。あたたかくてかっこいい作品です。そんな中、物販を作り、SOMA BLUEマーカーも発売になり、十五のお礼参りワンマンシリーズもスタートしました。ベースの真船さんとの二人アレンジの山下達郎さん「蒼茫」からの「SOMA BLUE」は記憶に残る演奏でしたね。

四月は福島へ。まずは相馬に立ち寄ってコロナでしばらく会えなかった相馬のパワフルおじさんたちと大騒ぎして、翌日には中通り飯坂温泉にてライブ、さらには同行していた制作チームが猪苗代湖にキャンプに行くというので同行してデイキャンプ。ほぼ、慰労旅行。

五月、まさかの山下達郎さんのインタビューの日が近づくにつれてラヴさんはお腹を壊しました。そのぐらい緊張したみたいです。家宝にするのでと、オフショットで写真まで撮ってもらっていました。多分、今となってはもう誰もラヴさんがシャイだということを知りません。緊張していてもそう見えない人なので、仕方ありません。

六月は少しゆっくりしたみたいです。しばらく会っていなかった友人と再会したり、ご飯を食べに行ったりしていました。それにしてももう酔い潰れることはないみたい。きっと昔と比べたら大人になったんでしょうね。その隙に新曲「We Only Live Once」を書き上げていました。後半は、新人アーティストYUP YUPちゃんの作詞以来が舞い込み、なかなかキレキレの曲を書いていました。

七月は、ライブ用にラヴさんは急にみっちり体調管理を始めました。THE LIPSMAX、そしてFUJI ROCK。どれも十五周年を飾るにふさわしい華やかなライブばかりでした。FUJI ROCKではあっという間に夕日が沈んで、ラヴさんの歌と真船さんのベースが山にこだましていました。新曲リリース、ビデオも解禁されて賑やかな夏になりました。

八月頭には十五のお礼参りのお師匠さまとのギターデュオセットワンマン。実は出会ったのはもう十五年前とか。「井上慎二郎さんとやっとライブを一緒にできた年になった!」と大喜び!あと、急に健康診断をかたっぱしから制覇してました。

九月は相馬で保育園児たちにもみくちゃにされるライブを幸せそうにこなし、川崎でも初のライブを。

十月は名古屋でイベントに出演し、TFMの番組用「おむすび」「享年十歳」の2曲を書き下ろしました。さらに大坂幸之助さんとのピアノカバーライブを晴れ豆で。

十一月は頭に初の上高地へ旅行。外で暖かいコーヒーが飲みたくて、初めてのキャンプ用具、ガスバーナーも買いました。噂には聞いていたけれど、あまりに美しい紅葉、そして大自然。上高地の奥地にある明神池にたどり着いた瞬間、ラヴさんは泣いてました。何かと重めの負荷を乗り越えたがるM気質はやはり健在です。「ありがてえ…」と泣きながら拝んでいました。さらに、月末には大阪のライブ直後に「実は行ったことがなかった」という太陽の塔へ。内部を見て度肝を抜かれ、そのままテンション冷めやらず京都は東福寺へ紅葉を見に行って、さらには嵐山まで足を伸ばし、クタクタになって宿に戻っていました。やる気ありすぎ。

この間、SOMA BLUE ART展は実は夏ぐらいから準備がはじまっていて、いよいよ十二月に開催。会場はたくさんの人たちのキラキラとした驚きや素敵な表情で大盛況となりました。そして、まさかの年末に飛び込んできたのは、布袋寅泰さんの四十周年のバッキングボーカルのお役目。「後輩なんだから暗記しなきゃ」と白目をむいて夜な夜な復習しているラヴさんです。先日、幕張メッセ終わって、大阪城ホールにむけてまだまだ復習してます。

僕は「時間」です。

人間は、時間を無駄にするなとはよくいいます。

でも、無駄にしてもらったっていいんです。

ラヴさんのクリスマス当日なんか、昼まで寝て、カレー頼んで置き配して、食べて、また寝てました。

この間、月に一度のYouTube配信ライブとまいっかレシピ、そして週に一度のメルマガ執筆と英会話をやっています。

とても忙しそうに見えるかもしれませんが、ラヴさんの「時間」になってみて、わかったことがあります。それは、僕は一日に二十四時間しかないというのに、毎日が変化に富んでいて、まるで同じような日がないということです。それは、今年ラヴさんが、とにかく季節を大事にして、だらだらしながらも、今までよりもあちこち外に出かけてくれたからだと思います。

春は桜と焼き鳥。

夏は浴衣と遊覧船。

秋は紅葉。

冬はイルミネーション。

行く先々で、なぜかまったくわからないけれど「死んだふり」をするという写真撮影をするのを今年は趣味にしていたようです。誰にも見つからないように都会のビルの真ん中で死んだふりをする、というのがルール。見つかったら負け。スリリングで楽しかったそうです。「コンプライアンスがあるのでどこにもこの写真を出せないのがもったいないクオリティ」というのが今年の唯一の後悔だそうです。

ラヴさん、生き生きとしていました。僕は他の時期を知らないけれど、もっと若い時のほうがエネルギーは有り余っていたに違いないけれど、今の方が楽しみ方を心得たのかもしれません。

「二○二○」が言ってました。「パンデミックなんてもんにあたってしまって不運な俺だったけど、ラヴさんがやっとゆっくりペースを落としたみたいでよかった」と。

「二○二一」はこうも言ってました。「とはいえラヴさんは妙な工夫をやめないのでメルマガとか始めたりちょこちょこ変な動きするから予想がつかないので覚悟しろ」と。

僕、「二○二二」は今年ラヴさんと共に過ごせてとても面白かったです。十五周年、たくさんの人たちの愛に恩返しをするのだという気概だけはすごくあったから、それがたくさんのひとたちに伝わったんじゃないかと。

大晦日、ラヴさんは、大阪城ホールにてハイヒールで踊りまくりながら「ひっくい声からたっけえのまで、めっちゃ出すわ」と話していた布袋寅泰さんのサポート、バッキングボーカルで締め括るんだそうです。でも多分ですが当日に東京に戻って来れたら帰って来るらしいから、帰りのタクシーの中で運転手さんと談笑でもしている間に僕は消えると思います。

あなたのそばにも、「二○二二」という名前の、あなた専用の子がずっと寄り添っていたはずです。つらかった時間、優しかった時間、寂しかった時間、嬉しかった時間、楽しかった時間。すべての時間が、それでも「あなたと一緒にいれてよかった」と最後に思って消えると思います。

どうもありがとう、さようなら。三百と六五日。八千七百と六○時間。五十二万と五千六百分。

一年間が一生の僕です。僕は、僕を、精一杯刻みました。 ラヴさんを通して皆さんに出会えてよかったです。

ありがとうございました。

あと三十六時間、もうすぐ消える僕ですが、ラヴさんに寄り添ってこようと思います。

 

前任者が言っていた「三月は、あいつはやたら何かやるぞ」というメモにも、いろいろ追加事項をつけようかと。

「この人、まじで一回寝たら起きないよ」とか。

「一日十分だけでも掃除させろ」とか。

あと、意外と急カーブは曲がれないけど、決めたことはやり切る性質があるから「週一のランニングをどうにか定着させろ」とか。

ラヴさん、ほんとうにやりたいことしかやりません。

というか、ラヴさんが言ってたんですけど、ある時、とある人に言われて、「やらなきゃいけないこと」を「やりたいこと」に変換するのがうまくなったんだそうです。「やらなきゃいけないこと」、お皿洗いとか、頼まれ仕事とか、生活に必要なこととか。イコール「やりたくないこと」として脳に直結していた回路をぶった切られたんだそうです。

「やりたくないならやめちまえ!」「イヤイヤやるくらいならやめちまえ!」

という言葉で。

以降、全てはやりたいことだと思って暮らすようになったら、しんどいことがほとんどしんどくなくなったんだそうです。

ということで二○二三には、より念を押して伝えておこうと思います。

「阿呆はうまいこと踊らせてやってください」

「あと冷蔵庫の掃除は早めにさせてください」


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