LOVEのひろいばなし Vol.8「元彼がバイセクシャル」

「元彼、バイセクシャルだったよ」
と人に伝えたときのリアクション、数種類あります。
A男子「えっ!いやじゃなかったの?」
B男子「あ、てことはもう男が好きな時期が終わって、女が好きな時期に入ったってこと?」
C男子「……%&‘#0$0!??」
D女子友「どうだった?」
さすが、D女子友、遠慮なくフラットに聞いてくれるのが、恋バナとしては一番楽しいものです。
どうですか、皆さんの中にバイセクシャルの方と付き合ったことがあるヘテロセクシャルの方はいらっしゃいますか?一般的に「どう?」と聞かれた場合の答え方は一言しかないですよね。「人による」、以上です。
私のその元彼は本当に「いいヤツ」でした。誰と会っても楽しく礼儀正しく社交性があって、話題が豊富。そもそも、15歳くらいから自活していて、だいぶ変わった生い立ちだったので、何と比較すればいいのかよくわかりません。
面食らうほど直球アプローチで口説きまくってくれて、いうなれば「男らしい」勢いを持っていましたし、同時に、出かける前の服選びに1時間もかけるので10分で家を出られる私がゲンナリするくらい「女らしい」ところもありました。今では遠方の友人、くらいの距離感です。元気そうで何よりです。
いろんな国に住んでいたこともあり、そんな彼ならではの素晴らしい発想だと思った言葉を紹介します。
「僕は世界中の誰とでも、付き合おうと思えば付き合える性に生まれた。いろんな国に住んだし、国籍ももちろん気にしていない。つまり、誰とでもチャンスがある。その中から、誰よりも君が良いと思って君に決めた。You beat everyone else in the whole world」
“世界中の全ての人間が、国籍と性に関わらず君には敵わないんだよ”という主旨ですね。
これは、めちゃくちゃ嬉しかった。バイセクシャルの方々はこの口説き文句、常套句なのでしょうか?うじゃないならもっと流行らせたらいいと思います。ぜひ使ってください。あなたたちだけが使える特権ですね。
さて、順にお答えします。
A男子「えっ!嫌じゃなかったの?」
これ、「過去に男性と付き合っていた男性」、つまり彼がゲイでもあるということが嫌じゃないのかと言うことかと思いますが、だったら、答えは「別に」です。
というか、過去の話は、そもそもあまり具体的に聞きたくない派。あと、過度なゲイアピールで承認欲求がある人も私が疲れてしまいますので、本人にとっての「心地よいテンション」を獲得し終えていると助かります。彼はそうでした。だからこそ、普段のディープなゲイジョークは爆笑できるほどに楽しかったです。
(ちなみに私が嫌なのは、卑怯で自分勝手で狭くて弱くて、そのくせ自分がいいヤツだと思っているセコい「男役」と、そういう男役に甘んじて知性を発揮しない「女役」です。もしくは相対的に人間関係のセンスのない人、です。同じ空気を吸うのも嫌です。言い過ぎ?笑)
B男子「あ、てことはもう男が好きな時期が終わって、女が好きな時期に入ったってこと?」
…惜しい。バイセクシャルというものをそもそもはき違えています。夏のひまわりが終わったら秋はコスモス、冬は椿で春は桜、じゃないです、笑。
あるとしたら、そのお相手に出会ったタイミングと自分の人生の時期の相性、みたいなことはあるかもしれません。ちなみに私は、スキニージーンズが似合う人が好きだった時期から、もはや趣味が自分でもわからなくなった時期を経て、今は完全に私の都合にとって「楽ちんで信用できる人」という素直な時期に突入しています。そういうフェーズの一部としてセクシュアリティが揺らぐ人も一部はいるのかもね?
C男子「……%&‘#0$0!??」
ある意味、素直なリアクション。いいと思います、これからいろいろ知れば。
私が、彼と付き合いたくなったのは、想像を絶するほどの差別的な宗教色の強いド田舎で生まれ育ったにもかかわらず、自分の苦労の分だけ人を気遣うことができる、「トーンを間違えない」いい奴だったからです。セクシャリティにしても何にしても、です。
この「トーンを間違えない」ということ。どれだけの人が、メディアが、その重要性を意識しているでしょうか。そして、セクシャリティと社会のあり方について、「欧米は早い!日本は遅い!」などとヒートアップしがちですが(同性婚の法改定のことならわかるけれど)、各国それぞれに側面があるということをどれほど日本のメディアは意識しているでしょうか。
アメリカはむしろ極端で、やりすぎだと個人的には思います。
ビヨンセなどなど、いろんな強い女性アイコンが「ウーマンパワー!!!!」って叫んでいた数年後、一般女性が「Me Too!!!!男のハラスメントは吊し上げ!!!」って叫んで、今は「ちょっと待て、それってフェミニズムで差別的なんじゃ!!」「ノンバイナリーに人権を!!!これまでのシステムは破壊に値する!!」。そして同意しない人間は急に「悪」にされる。ほんと、大変そう。
また、セクシャリティについてのムーブメントはすぐに政治の票集めに利用されたり、広告になったり、科学としての性区別(差別じゃないよ、区別だよ)を軽視する材料にもされています。結果、思想が人の分裂を生むことにもなっている。そんな未来、誰も求めてなかったですよね?本質的な解決が遠のかないですか?と不思議に思います。アメリカ人の友人の言葉を借りると、アメリカは「解決するより激論が好きなだけ」。まさに伝える「トーン」を間違えてきた結果だと思います。
日本でもダイバーシティという単語が売り物にもなって数年の今です。それでもこの言葉が知られてよかったと私は思っているのですが、それは、敏感な人たちが「いや、言葉だけ先行しても意味ないっしょ」とわかる段階まで来られたからです。
日本がここから選ぶ未来はもっと冷静で、思慮深いものであってほしいなと願います。あんまりテンションあげなくてもいいから、普通に色々読んで、話して、考えて。
「性に関わることで人にわかってほしいこと」と「性に関わることでわざわざ人に言いたくないこと」は、えてして両方あるものです。何セクシャルでもです。その余白を私は常識にしたいのです。少なくとも会話の「トーン」を意識するだけで、思想が人を分断することを防ぐことができるんだ、と思ってもらえたら嬉しいです。

ダイバーシティの本質は、「よぐわがんねえから怖い、近づきたくない」と空けていた100メートルの心の距離が「へえ、そうなんだ」の10メートルに縮まった後に、「あ、そう」で3メートルくらいの距離感でもピクつかなくなる、ということ。(ちなみにそれより近い距離というのは、もはや恋人ゾーンです)
「万人の居心地の良さ指数」という考え方に置き換えるといいと思います。
私はダイバーシティの表面的なPRを見るたびに、脳内で「万人の居心地の良さ指数な」と置き換えては、その本質とずれた演出など、ときに辟易しています。
本編で述べた性のみならず、いろんな多様性がありますよね。国籍、人種、身体的特徴…etc。
例えば、TOKYO 2020。
って、すみません。批判的なわけじゃないんです!!ただですね、あのう、オリンピック&パラリンピックって、そもそもの成り立ち自体、素晴らしいじゃないですか……
「いろいろな違いで諍いがあっても、例え紛争中の国同志であっても、政治的違いがあっても、肌の色が違っても。この期間だけはスポーツで戦おう。スポーツマンシップを結ぼう」
ってもう、この時点で、世界で一番ダイバーシティりまくってる大規模イベントなはずでしょう?
いります?あえてそこにわざわざ“ダイバーシティ”なんてテーマ?と、決定当初から、私、不思議に思っておりました。
だって、ある意味、国連以上ですよ。
国連に難民代表の議席はないけれど、オリンピックには出場枠がある。
国連には障害者代表の議席はないけれど、パラリンピックは全てがそう。
肌の色ではなく、スポーツの成績で、出場権が決まる。
男女種目の区別はあるけれど、性差別で点数が変わることはない。
そんな大会で、“ダイバーシティ”を世界に向けてわざわざテーマに掲げるくらいなら、PRに携わる全てのプロに、ちゃんと本質であるオリンピックの精神こそを忠実に伝えて欲しいと思うわけです。大会を見終わった後に、観客の私たちが各自「居心地の良さ指数」を上げる努力を自らしたくなっちゃうくらいのレベルで、伝え切っておいて欲しいのです。
オリンピック後、街で黒い肌を見かけた日本の5歳児が「黒いね!!」って言ったとしましょう。「そんなこと言ったら失礼でしょ!いけません!!!」というのか、「そうだね、かっこいいよね!」というのが正解なのか。
パラリンピック後、じゃあ今度は障害を持つクラスメイトや同僚に対して、「どうしたら楽?何かして欲しいことがあります〜?」とぱっと聞くことが失礼なのか、気遣って何も聞かないことが礼儀なのか。
これ、いくらマニュアルを作っても、あなた自身が背負っている人種、背景、経験値がまたそれぞれにとても個性的だから共通の答えなんて、ないでしょう。っていうのが、多様性の本質の別側面でもあります。
ちょうど過渡期の今、各企業もマニュアルを作ろうとしている時代だと思うんですけど、枠を増やせばいいってものじゃないので本質を見失わないよう、気をつけたいです。
あなた自身が、あなたの個性に合ったちょうどいいトーンの対応力を持ち合わせられるかどうか。あなたが、自分の力でどこまで「万人の居心地の良さ指数」をあげられるか。
これは一回どっかでセミナー受ければ身に付くってものじゃないです。一生続けてもいいくらいの基礎練習、反復練習をやりながらこれから生きていこうよって言いたいです。ちなみにポイントはふたつです。「余白」と「慣れ」。
まず、余白。
「えーっと、個々の能力や背景に敬意を表したいんですけど、よくわからないかもなんで、もしよかったら教えてください〜、最終的にわかるかどうかもわかんないですけど〜、チャンスください、よろ!」
このマインドを「余白」と呼びます。未知と100メートルの距離で出会ったとき、繰り返し、このマインドを思い出して10メートルまでいきましょう。ちなみに書類などに項目を増やすなら、自由枠、一個追加する、くらいの距離感です。
そして、慣れ。
マジョリティさんがマイノリティさんを無視や差別の対象から外し、マイノリティさんもマジョリティさんを恨まないで済むようになることを「慣れ」と呼びます。同じ部屋で過ごすたびに、1点づつ慣れが加算されていくと思います。一緒に飲んだり、仕事したりしてください。機会が増えるたびに、3メートルの距離が好きでもないけど嫌でもない、かまへんで。くらいになるまで頑張ってください。
各自治体には、「余白」マインドの教育と「慣れ」経験値の実情アンケートをまとめていただき、合わせて「万人の居心地の良さ指数」データを、区や市ごとに数値化して発表して欲しいくらいです。
もう一度言いますが、私自身を含む、「ダイバーシティ」という言葉を掲げるPR側に立つ可能性がある皆さん。会社のホームページでメールフォームを持ってる方や、広報の方などもそうですよね。本質からずれていかないように気をつけながら、繰り返し繰り返し、「万人の居心地の良さ指数」をあげていきましょう。一緒に反復練習を続けましょうね。