LOVEのひろいばなし Vol.79「SOMA BLUEの一人歩き」

お子さんをお持ちの方々の気持ちがやっとわかり始めた今日このごろ。
それが三歳だろうが、二十歳だろうが。いつの日か保護者だった私に反抗し、手を離れ、他の誰かの影響を受けながら、一人前に育っていく。道を外れることがないよう、その背中を心配しながらも喜ばしい巣立ちに涙する。想像するだけでも嗚咽がゲロっと出そうなあの親心。
どうぞ笑ってやってください。
ついに、SOMA BLUE が一人歩きしはじめた二○二二年の年末。私、ただいま完全に親の気持ちです。
え?
らゔさん、SOMA BLUEってあなた、絵の具ごときに何を感傷的に、と半笑いになった方も、ええ、どうぞ、笑ってやってください。そして私の本気の感傷度に、ドン引いてやってください。うっうっ。今だって目尻に涙を滲ませてこれを書いております。
一番最初に思いついた日から数えると、もうすぐで早六年ほどになります。ちょうど人ならば小学校に上がるくらいのタイミングでしょうか。そうか、これか、入学式を見守る親の気持ちは。あの子は私にとって、もはや腹を痛めて産んだ子なのです。おめでとう、うっうっ。ランドセル、買ってやらないと。
来週の火曜日から、東京は初台の国際装飾にて、「SOMA BLUE ART展 -NEVER FADING HOPE-」が始まります。これはSOMA BLUEにとっての、初めての社会進出、小学校入学みたいなもんなのです。
新種の色褪せない青い顔料が見つかった、というニュースを知ったのは2017年の初夏のことでした。
クレヨラ、日本でいうところのさくらクレパスぐらいアメリカでは馴染みがあるクレヨンメーカーが、二百年ぶりに発見されたこの青い顔料にちなんだ新色のクレヨンを出すとのこと。そのクレヨンの新色の名前を子どもたちから公募して決めようとしている、というネーミングコンテストのニュースを知ったのが最初でした。
読み込んでいくと、どうやらそもそも青い顔料って、それ自体が自然界ではとにかく貴重なんだそうです。二百年前に科学者のコバルトさんが発見したコバルトブルー以来の青は、インミンブルーと呼ばれていました。
しかもこれは偶然の産物だったと。作ったのはアメリカのオレゴン州立大学マス・サブラマ二アン教授のチーム。新素材開発の研究の最中、いろんなものを混ぜてオーブンに入れて焼いていて。翌朝出社したら目も覚めるような青ができあがっていて彼ら自身も驚いた、という物語までついていました。使用素材のインジウム、イットリウム、マンガンの頭文字をとってYlnMn Blue、と名付けられました。
今まであったどんな青よりも青い、最も純粋な青だそうです。
というのも、この青の顔料、赤と緑の色を完全に吸収するので、青の光だけを反射します。ど・ピュア。さらに多くの赤外線を反射するので色褪せず、毒素がなく、安定している。
永遠の青。
すごい青なんです、この子。私はまっ先に、このインミンブルーで福島のこどもたちに絵を描いてもらいたいと思いました。
二○十一年以降、日本という国は私たちの命よりも長い期間をかけて取り組まないといけない課題を抱えましたね。福島第一原発の「掃除」です。
原発は、事故炉じゃなくてもそもそも百年事業です。家の大掃除ですらモチベーションが続かずめげている私たちが、そもそも大掃除など自分ではやっていなさそうな(おっと失礼)時の政権の政治家さんたちの「責任」のもとでこの事業を自分ごとして建設的に考えていくだなんて、至難の技。
あのとき、そもそも原発って今の私たちの人間力に対してキャパを超えたものだったんだなと、私はまざまざと見せつけられました。それを掃除する羽目になったという日本、この状況、なんとか逆手にとって関心が薄れず理解が進むようにできないものか。
「あなたは原発賛成なの、もしくは脱原発?どっちなの?」という議論は、私に見えている課題とはまた別のトピックになるので、ちょっと飛ばさせてください。
とにかくそのままにはできないし、絶対に「掃除」しないといけない。これだけは、あなたと私がそれぞれに何派であろうとも議論の余地がない答えかなあと思います。
この世にあるものは、すべてが元来は自然の摂理の中に存在しているはず。火は水で消えるとか、氷が熱で溶ける、とか、そういう。放射能だって宇宙空間には当たり前にあるものですから、「コレ」と合わさると消えるよ!とか、そういう発見がされる日は来るのかなあ、まだ見つかってないだけだといいなあ、と私は思うようになりました。
多くの放射性物質はやがて「放射能を出さない物質」に変化しながらその放射性物質の量を減らしていきます。それが半分になるまでの時間を「半減期」といいますね。どうせものすごい長い時間がかかるのなら、その間を人類の新たな発見のための研究に充てられたらいいのに。
そんなことを考えていた時期に「色褪せない顔料」が発見されたものですからハッとしました。
これで放射能が消えるわけじゃないけど、今、私たちがこの青で希望を描いたとして、それが永く色褪せず残るとしたら?
「こんな掃除もうやってらんねえ!」ってなりそうな未来の人にも何世代も先に渡ってなんらかのメッセージが寄り添うことができるんじゃないかと思ったのです。ロマンチストですかね。
悲しい震災を経験した世代が、それでも今度こそ間違った未来を作らないようにと心を砕いて頑張っています。震災以降、東北で出会ったたくさんの大人の顔が浮かびました。彼らには、そして彼らの子どもたちには、この青で自由に未来を「お絵かき」をする理由がある。
未来の人にもそれを知ってもらいたい。安易な答えじゃなくて、ずーっと悩みながらでも「子どもたちの成長を基準にして街を作る」っていうアプローチをいろんなシーンで生かしてもらえたらいいなあ。
この思いをわざわざ全員に説明しているわけではないんだけど、私は最初からずーっとそんな風に願う気持ちが強くて、そこにいろんな人たちが「俺もそう思う」とか「この青綺麗だね!」とか「絵の具があったらいいね」とか、楽しく一緒に夢を見てくれたおかげで、SOMA BLUE PROJECTは始まり、今日まで続いています。
で、この青の顔料インミンブルー。新種すぎて&希少すぎて、通常の十倍のお値段がするわけ。ははは。だから、私が望んだところで一人の力では決して生まれなかった SOMA BLUEなのです。
クラウドファンディングで全国のみなさんの応援のおかげで絵の具が生まれました。釉薬を研究してくれた大堀相馬焼の吉田くんや、タイルを焼いてくれたお父さんのおかげで、「未来に残る見える形」のアートタイルができました。さらにもっと広げたい、身近に使いたいと言う相馬の街のひとたちの声から、マーカーが生まれました。
そのどれもが、混じりっけのない純粋な青みたいな、混じりっけのないポジティブな人の気持ちだけでできている「SOMA BLUE」なのです。
なんでみんなこんなに協力してくれるんだろう。本当にこの青の力はすごいです。
どうしてもこういう活動って「うさんくさいバックがついてない?」とか、「誰が得してんの?」とか思われがちなので、疑われる余地すらあってはいけないなと。とにかく参加してくださる一人一人の気持ちに恥ずかしくないように運営を心がけてきました。相馬の人たちと一緒にやっているのでむしろ「チャリティ」ではないというか、わかりづらいとしても言葉遣いひとつにも気をつけたりしてて。
そこにきて、また一人スーパーマンが登場したんです。
「SOMA BLUEがアートになったらいいですね!いつかアート展やりたいですね!」
この人も、本当になんでだろう。どうして、こんなにものすごい労力を一緒に注いでくれることになったんだろう。大手百貨店のメンズ領域でバイイングからフロアマネジメント・メディアを担当されて、今は卒業していろんな企画やウェブものをデザインされています、いでさんといいます。
同僚とそのお子さんを連れて、相馬で開催した今日ここライブにも遊びにきてくれました。その後、こんなことはできないか、砂時計をつくれないか、何かインクや糸は作れないか、などなど、クリエティブなアイデアを何度もミーティングしてくれたのみならず、町工場や職人さんなども紹介してくれて実際に一緒に足を運んでいただいたりしました。一円も発生していないのに、笑。
そんな彼がいいました。
「SOMA BLUE、ここからは少しずつ一人歩きさせましょう」
これまで、私は過保護なまでにSOMA BLUEを守ってきました。誤解が生まれないように、心ない人にも誰にも傷つけられることがないように。
必ずこの世にはいちゃもんをつける人がいますし、そうじゃなくても人様のお金を集めるだなんてよっぽどの意味と気持ちがいい説明がないといけません。
相馬のひとが嫌な思いをしたり、クリエイターさんとこにクレームがいってしまわないように、私は自分の名前を一番に出して「これは私が考えてやってることなんで!」と両手でブロックするような形で守ってきたSOMA BLUEです。
今回は、私が自分の言葉で説明するばかりではなく、いでさんからアーティストの皆さんへ、さらにPR会社さんから世の中へと、どんどんSOMA BLUEの存在が語られはじめました。
今までだったら私がすべてコーディネートしたり会いにいったりするところ。会場の国際装飾さんも、デザイナーさんも、必要な宣材用のフォトグラファーさんも全部、いでさんのご紹介です。私がお会いする前からすでに皆さん大変深い理解を寄せてくれていました。
今日にいたるまで、いでさんがあちこちで伝えてくれた言葉と想いが、素晴らしかったに違いありません。だからこそ、今回のアート展は実現するのです。
そして、関わってくれる人それぞれに何か理由があって、その人なりの願いがあって、ご協力してくださることになったのは間違いないのです。今日文字にしたような私の想いが全てではありません。
子どもが外で誰とどんな話をしてきたのか、その会話を聞くことはできないのに似ています。でも、キラキラとした個性的な作品になって次々とアートが届くのを見ていたら、もう涙が出るほど嬉しいのと、あまりに新鮮でとにかく感動しました。各アーティストさんとSOMA BLUEの間に、きっと素敵な会話があったに違いありません。その聖域には入れない私たちは、それでも作品を見ながらまた会話の続きを想像するのです。
この展覧会でアートになったSOMA BLUEをみなさんに見てもらえることが、もうなんというか、誇らしいやらありがたいやら気が引けるやら。なんならちょっと寂しいけどやっぱり嬉しくて仕方ないやら。いろんな気持ちでいっぱいです。私が十八歳の時にバンドデビューした際の母もこんな気持ちだったのかもしれないですね。
十三日の火曜日から十八日の日曜日まで開催しています。京王線初台駅から割とすぐの会場です。どうぞ足を運んでください。いろんなことがあった今年です。この鮮やかな青で、あなたの胸にも色褪せない希望を持っていただけたなら本望です。

SOMA BLUE PROJECTは、私が代表で共同代表に相馬の漁師の菊地さんがいます。そして今回のアート展は、名前こそ出さないものの実質プロデュースはいでさんで、うちの相談役こと事務所の社長が今日ここライブと同じように実行委員長的な立場です。
いでさんは長崎。相談役は仙台。私、大阪。菊地さんは相馬。そのうち都道府県で四十七人集まるプロジェクトになったりして、笑。
さらに、元大手広告代理店勤務、形相も考え方もガンディーかブッダみたいな、たださんというメンバーもいます。また、その相棒、茨城の豆腐屋の娘さんでそめのさんは一緒にクラウドファンディングのときの返礼品アクセサリーを発想してくれました。彼らこそ最初のころからお力を分けていただいています。
顔料を取り扱っている日本の商社へ一緒に行ってくれたり、絵の具を作るための工場とうちの社長を繋いでくれたり。このお二人は、実は私は昔からドリカムやラッドの現場などでご一緒していたこともあるメンバーなので、気心が知れているとは言え、なぜ彼らが手伝ってくれているのか。
いや、「お力貸してください」って言ったからだとは思うんですけど、笑。それでもなぜここまで一緒にやっていただけることになったのか。そういえば聞いたことがありません。ここも、たしか一円も発生していないはずなのに、笑。
元・広告代理店などというと、最近では中抜き業者の代表格として印象が悪いと思う人もいるんでしょうけども。実は、本来は必要な重要な役割がある職業だと私は思っています。
どんな印象で人は動くのか、どんな言葉に人は感動するのか、どんな対応に人は信用を寄せるのか。広告ってそういう側面があります。
私がご一緒したことがある方はみなさんとにかく世の中をどう導くのが倫理的かを考え尽くしているような人たちしか会ったことがないので、毎回いろんなミーティングのたびにすごいなと思うことばかりです。めちゃくちゃ勉強になります。
とにかく私は「言い出しっぺ」の音楽屋さんですから、えてして理想主義といいますか。夢があることを子どものように発想するのが役割ですが、それがここまでの形になるまでには、各職業のエキスパートにお力を分けていただきました。
なかなか名前を外に出したがらない人たちばかりなので、こっそりと。読者のみなさまには、そんな素敵な大人がいっぱいいるんですよとお伝えしておきつつ。あと、期待されても困るので、私一人にここまでの能力はないということも知っておいてもらえたら安心です、笑。