LOVEのひろいばなし Vol.76「いつから歌えたの」

「いつから歌が上手かったの?」

「歌えるなって気づいた時期のことですか?」

「いや、いつから、歌を、歌えたのか。何歳からなのか。一説によると音楽の才能って八十パーセント以上が遺伝らしいから、どうなのかなあと思って」

先日プロデューサーの井上慎二郎氏とこんな会話になりました。そういえば、いつなんだろう。

自主的に歌を人前で歌い始めたタイミングのことならよく覚えています。

母校には、タレントショーと呼ばれていた放課後に行われるリサイタルがありました。楽器を弾ける生徒は演奏を、歌える生徒は歌を、踊れる生徒はダンスを。ポエムや演劇をやる生徒は少なかったけど一部いたかも。とにかく申し込めば誰でも学校の舞台に立つことができる学校行事でした。特に部活しばりの発表会というわけでもなかったし、でもしっかりお知らせが届くので親御さんもたくさん見にきます。

最初に「出てみよう」と思ったのが十三歳、中学二年生。なぜこの曲を選んだのか謎すぎるんですけどRichard Marxの「Now & Forever」というアコースティックな一曲。ギターに目覚める前兆だったのかもしれません。いま、思わず百万年ぶりに聞いてきました。これ選ぶ中学生、しっぶい。けどやっぱりいい曲だなあ。

その年末のこと。すでに東京で就職していた十歳年上の長女、姉①が帰郷しまして、たしか三姉妹みんなでカラオケに行った時だとおもいます。姉①が、「うわ、ウケる、こぶしコロコロじゃんか」と私のビブラートに言及した記憶がございます。ちなみに、帰宅後、「何時まで中学生を連れ回してほっつき歩いとるんだこの大バカもんが」と父がこっぴどく怒鳴り散らしていた記憶も鮮明でございます。

ということは、この頃にはもう歌えるようになっていた、ということになるので、慎二郎さんの質問の答えにはなりません。

じゃあ、いつだ?

そこから二年遡ります。アメリカ、グランドキャニオンを抜けていく我が家のHONDA。なんで?というくらいエメラルドグリーンのHONDA。以前も書いたことがあると思いますが、アメリカに暮らしていながら我が家の車内で許されていたのは、ひたすら昭和歌謡のテープです。基本リピート。時々、かろうじてオールディーズにテープチェンジ。とにかくあの時代、ラジオさえつけていてくれたなら、POPSもロックもR&Bも、いい音楽教育になったでしょうに。

ちょっと脱線しますけど、まさにその年、九十四年のグラミー賞は、 U2、スマッシングパンプキンズ、ホイットニー・ヒューストン、スティング、REM、シャーデー、トニー・ブラクストンなど、後々私の基礎に叩き込まれていくアーティスト満載なわけでして。嗚呼!ラジオをつけてさえいてくれたら!小六にしてシャーデーを完璧に歌えていたかもしれないのに!

残念ながらそうはいかなかった我が家のHONDA、後部座席の小学生。特に二曲、得意なおはこがございました。

「お元気ですかっ、そして今でも愛してると、言ってくださいますかっ(半泣きボイス)」

昭和を代表する歌手あべ静江さんによる「みずいろの手紙」(七三年)のイントロに入ってるセリフを完璧にコピー。からの、ちょっと鼻にかかった歌声で披露する「♪みずいろはぁ〜 なみだいろぉ〜」。

間髪入れず、続きまして。

「♪報われぬ恋と知りつつ抱かれ〜 飛び立つ鳥を見送る私〜」森昌子さん「越冬つばめ」(八六年)ですね。小学生に歌わしたらあかん歌詞ですね。

といいつつ、森昌子さんなんて、日本を代表する演歌歌手でいらっしゃいますから、歌の練習としてはいい教育だったのかもしれない。この頃の歌なんて「自分の歌」にはなりえないのでしょうが、うーむ、やっぱりこの時点でも、歌えていたということになりますね。

じゃあ、もっと遡って。

その日、小学四年生の私は、リビングに数名の同級生を集めておりました。オール女子。みんな腹を抱えて笑うに違いない。くくく、この面白さを私が一人占めしておくなんて、もはや罪、なんともったいないことでしょう。さあ、同級生にお見舞いしてやろうじゃないか。

「行くよ?ひひひ、行くよ?」

満を辞してテープデッキの再生ボタンをプッシュ。

♪扇風機の風にむかって‘あー’と声をだす〜 あああ〜小市民〜

♪霊柩車とすれ違う時 親指かくしてる〜 あああ〜小市民〜

♪テレビーのチャンネルガチャガチャ回し、とれてペンチで回している小市民〜

♪てぶくろ〜を逆に言ってみろ、六回しばかれる〜 小市民〜

あれから三十年後の今、もういちど嘉門さんのYouTubeに歌詞を確認しにいき、またうっかり三十分ぐらいは寄り道してしまい爆笑でぐったりするほど、私にとっては色褪せない嘉門達夫さん。

ところが、この名曲の再生が終わる頃、曲中にぴくりとも笑わなかった同級生のセーラームーン女子どもと私の間には、銀河にまたたく星と星ほどの距離感が生まれておりました。

停止するカセットデッキ。カチャ。

「……しょうしみんって何?」

え、そこから!?そこから説明しなきゃダメなの!?ニュアンスでわかるでしょ!!そんなふうに聞かれたら私だってよく知らないけど!!

リビングの向こうで、「うちの子、完全に浮いてる」と、母が声を殺して笑いながらこの一連の模様を眺めていたそうです。

さて、本題に戻りまして、結局、この頃の私も「あああ〜小市民」の変化するメロディーを全て歌っておりましたので、だめだ。どこまで遡ればいいんだ。

ていうか、もっと前の小学校低学年のときも、歌えてますね。

母の実家がある京丹後に帰郷する際、母が運転する車の後部座席に乗っていた三姉妹は必ず和音で大合唱していました。高速の窓を開け、大声で外に向かってハーモニー。「すいみん不足」「はじめてのチュウ」など、なぜかキテレツ大百科のテーマソングたち。気持ちよかったなあ。

姉①も②も歌は上手です。ピッチがいい。全員がハモリにも回れるので、サビ頭が渋滞。じゃあ、とメインメロディーに全員が移動するので、サビの2フレーズ目も渋滞。この頃の特訓により、三度上、三度下など、私は簡単にハモれるようになりました。

じゃあ幼稚園か?園児の頃はどうだった?うーむ、記憶がない。

と思いましたら、そういえば、さらに遡りまして、乳児の時代。なんと私が一歳のころのテープが残っています。イギリス時代、一歳数ヶ月の私に向かって、小学生だった姉二人が「ぞうさん」を歌った模様を録音したものになります。

姉①&②「♪ぞうーさん」

私「うちゃい(うるさい)」

姉①&②「♪ぞうーさん」

私「うちゃいぃぃ(うるさい)」

姉①&②「♪おーはなが長いのね」

私「うちゃぁぱかぁ!!(うるさいばか)」

姉①&②「♪そうーよ母さんも」

私「……」

姉①&②「♪なーがいの」

私「♪よォーーーーー」

なんということでしょう!この時もピッチをとれております。「よォーー」、わたくし歌えておりました……!

お師匠である井上慎二郎先生、いただいたご質問、ここに検証し、お答えさせていただきます。「いつから歌えたの」問題、私は一歳から歌えていた可能性がございます。

確かに、これ、遺伝なのかもしれません。

 

さらに調べてみました。とあるスウェーデンの研究によると、音楽の才能は九十パーセント以上が遺伝からくるものだということがわかっているそうです。やっぱそうなんだ!でも、それが開花するかどうかは練習と環境次第。そりゃそうだ。

私の場合、音楽的才能は父からもらったんだと思います。ピアノを弾いてたし、今やっているかどうかは知りませんが、引退後には三味線も習っていました。昔から口笛が異常に上手くて、やたらドヤ顔で吹いてくるのでイラッとしていた記憶も多々あります。

「だろうが、そうに決まっとるだろうが、わしが若い頃はレコード契約まで行きかけたことがあるんやぞ、せやけどな、わしの勉学がどうしたこうした」という、いつぞや華麗にスルーした父の話も、もしかしたら嘘じゃないのかもしれません。いや、そうとう盛ってる気はしますけども。

ちなみに、とはいえ音楽が遺伝なら「じゃあいくら練習したって意味ないじゃんよう!」と諦める人たちがいたとしたらとってももったいないです。歴史上、もしくは今音楽活動を続けている人たちのすべてが親族や親に音楽家がいるとは限らないですしね。

ただ、それだけ「DNA=体」といいますか、思っていたよりフィジカルなものなんだということが、私は面白いと思いました。精神論じゃないんだなと。

ところで、巷で言われているいろんな説に参考になる数字も見つけました。こちらは慶應大学安藤教授の研究によるもの。この表、おもしろいな。

30%あたり:不倫 

40%あたり:うつ傾向

50%あたり:IQ・ギャンブル癖・外国語・チェス

60%あたり:美術・反社会性

85%:スポーツ

87%:数学

92%:音楽

98%:指紋

音楽、確かにずば抜けている。すごいな。父ちゃん。サンキュー。

……ていうか不倫!笑。


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