LOVEのひろいばなし Vol.7「ナンシーとアラレちゃん」

私には甥っ子が3人おりまして、今年、中2になった者が2人おります。

いい具合に自立心を育みつつ、いい具合に男子特有の愛すべきアホさ加減をも引き続き発揮しております。

ビビリな彼らの姿を見ていると、まさかこの夏、子どもだけで海外旅行することなどありえないんだろうなと思います。わたしの中学2年生の頃は、また全然違いました。女子は成長も早いものなのでしょうか。

私は大阪は大阪でも北の方、高槻市という街出身なのですが、中学2年生当時、仲良くしていた同級生の女の子は南の方、河内長野出身でした。お母さんが南米のチリ人、お父さんが日本人という家庭で育った彼女には年の離れたお姉さんがいました。25歳になる、その名も「ナンシー」。

妹よりも姉の方が、ほぼアジア人には見えないタイプで、チリ色が濃い。ボリューミーなカーリーヘアがふんわふんわで、わあ素敵!と思ってご挨拶したのも束の間、私たちが中学生らしく部屋できゃっきゃと遊んでいると、おい、とドアを開けて入ってきました。

「あんたら、うるさいねん。ええ加減にせんと、いてまうど」

人生13年間ほぼ関西圏のみで生まれ育った私ですら、リアルライフで聞いたことはなかったです。ほんまもんの「ぶっ殺しますよ」こと、「いてまうど」を普段使いするエキゾチック美女。ケタケタとよく笑うナンシーは、夕飯時にはチリの家庭料理、レモンサラダやセビーチェの作り方を教えてくれたりして、とてもいいお姉さんでした。

その夏、友人は、オーストラリアで過ごす予定でした。親戚の家に夏休みを使って会いに行くついでに、現地のサマーキャンプを体験し、さらにその後ナンシーを保護者として、バックパッカーで旅をする。

なんとこのコースに、ご両親がせっかくなら一緒にどうですかと私を誘ってくださったのです。

サマーキャンプと英会話学校で1ヶ月。そして、25歳と13歳2名によるバックパッカートリオ旅が1ヶ月。合計2ヶ月、フルの休みを満喫する夏が始まったのです。

オーストラリア大陸の右下あたりであるシドニーを出発し、海沿いを北上。長いビーチが有名なゴールドコースト、ワーナーブラザーズムービーワールドのテーマパークがあるブリスベン、そして最後目的地である赤道近くの亜熱帯ケアンズへ。絶景、すばらしい海沿いのコースです。

高速バスを乗り継ぎ、バンクベッド(一部屋6〜10個ぐらいのね)のユースホステルを転々としながら、私は初めてのバックパッカー旅というものを体験しました。交通や宿は、ナンシーがとってくれていたのだと思います。ユースホステルのフロントにつくたび、私と友人は、ナンシーの後ろにくっついてニコニコしていました。

もう一度言いますが、中2です。私の中身は、ほぼアラレちゃんです。「んちゃ!」で大体のことを乗り切っていた、小学生の延長線上をまだうろうろしている頃です。

英語が話せるという点では役に立てました。水はどこで買えるんだ、バス停は本当にここでいいのか、など。旅人が多いコースでしたので、宿で出会った家族連れに助けられたりしました。友人とナンシーは、スペイン語もネイティブなので、ラテン系の旅人とは彼女たちがご機嫌に仲良くなってくれます。

とはいえ、危険な目にあわないよう、協力して気を張っている女3人。それぞれにお財布は持っていましたが、旅の資金とパスポートは、すべてナンシー預かり。宿につくたび、金庫があるならその中に、ないならないでナンシーの肌着の中に。貴重品は彼女が管理してくれていました。

「酒、のみたっ…」

時々、ナンシーがぼやいてました。箇所箇所で夜のバーに消えてたんじゃないかしら。今考えれば、25歳が13歳を二人連れて旅をしてくれていたこと、よく1ヶ月もやってくれたな、と思います。

たぶんナンシーが大人としての希望も叶えたかったのでしょう、素敵な贅沢をふたつ敢行することに。グレートバリアリーフ、世界有数の海でダイビングの教習をうけること、そして、一泊だけでしたがリゾートホテルに泊まること、です。

別名イルカ島ともいわれるモートン島、そこは海の上の天国でした。

世界で3番目の大きさの砂の島。ほぼ手付かずの自然で、島の98%が国立公園に指定されています。

到着からペリカンに迎えられ、砂浜から海に歩いて入るだけで、すぐ桟橋の近くでイルカと触れ合うこともできました。1泊ながら、心から満喫しました。来た時同様、フェリーで島を離れる時も、本当に満たされた気持ちで、ああ、素晴らしい体験をした、なんて嬉しいんだと。本当に来てよかったなあ。この先、目的地までの残りの旅は水しかでないシャワーでも構わないぞ。ほこほこした気持ちで陸地へ戻ったのです。そして次のユースホステルにチェックインしようと…思ったら。

「…ない」

ナンシー、ぼやきます。一同、不安がよぎります。

「ないわ。あかんわ」

何が!!

「パスポート、現金、全部ないわ」

…なんとナンシー、ごっそり貴重品を島に置いてきたそうです。

というのも、モートン島では、相部屋ではなく私たちだけの部屋に泊まっていたので、金庫に預ける必要もなく、肌着にも入れず…どこに保管したかというと。

「ソファのクッションの下に隠したんやけど、あんたらにも内緒にしててん。あーあ、最後に持ってくんの忘れたわ」

おい、ナンシー。この旅きっての一大事じゃないか。こういうとき、大人ってどうすんだろうなあ、と思いましたら。

「あんた、出番やで」

まったく動じていない(ように見える)ナンシー船長に、アラレちゃん三等兵、ご指名いただきました。

オーストラリアの公衆電話に大慌てで入ります。使い方、まじでよくわかりません。ぜんぜん電話がかかりません。島のホテルにどうにかこうにか、何トライかして持ち金の小銭を減らしながら電話がやっとかかります。さあ、こっから必死の説明。これが全然うまくできないもので。ソファのクッションの下に、ソファのクッションの、え、どこ、右?左?え、どのクッション?と、しどろもどろになる私。

「右や。どっちから見て右か言わな、向こうもわからへんやろ」

ナンシー船長、怖いです。

どうやってお願いしたのかも記憶があやふやですが。たしかルームキーパーの方も気づかないまま掃除を終えていて。新しい客人がまだ部屋には入っていなくて。どうにかソファの下から改めてピックアップしてもらったパスポートと現金の束を、そうとわからぬように封筒に入れて、どなたかに預けてフェリーにのせて、次の宿まで届けてもらうところまで話をつけた、と記憶しています。よくやった、中学2年のアラレ三等兵、よくやった!!!

「この話、親にいうたらあかんで」

ニヤッと笑ったナンシー。(もちろん帰国後、一番に爆笑しながら親に報告したのもナンシーです)

そんなこんなで、どうにかこうにか切り抜けました。

明るい人はよく、「人生どうにかなる!」と言いますが、同じ文脈ながら、その心は、単に本気のピンチの時は「どうにかするしかない!」これに尽きる気がします。

まあ、パスポートなくして現金も返ってこなかったら、またそれはそれでどうにかするしかなかったでしょうし。いい意味で私の人生において、「どうにかなる」「どうにかしてもらう」という概念を最初に取り上げられたのはあの時かもしれません。同時に、他人に本気で面倒を頼みこむ、無理を承知でお願いします、という作業をしたのもあの時が最初だったとおもいます。

時代と場所をしっかり選ぶ必要があるとはおもいますが、「可愛い子には旅をさせろ」を地で行かせてくれた親と友人家族に感謝します。おかげ様で、旅と危機的状況が、多少得意になりました。

 

あの夏のアラレ三等兵の手応えのおかげで、その後の私は度胸がつきました。

中3の夏には別の友達と、京都・丹後の海に2人だけでキャンプ。高校は合宿が多かったからあんまり旅しなかったけど、18歳になる頃には、国内だろうが海外だろうが、一丁前に飛行機をとってホテルを押さえて、といった具合に一人旅ができるようになっていました。空港からホテルまでの現地の迎えがこなくて、タイのド田舎の空港でひとりで2時間、公衆電話の使い方を解明したこともあります。また公衆電話か…と思ったのをよく覚えています。タイのときは本当に無理でした、英語、まったく通じなかったし。

LOVEちゃんは英語ができるから世界どこでもいけるね、とよくみなさんに言われますが、まあ確かに心強い。けれど、英語はあくまでも言語です。日本だってそうでしょう、英語、普通に通じないでしょう。そんなところが世界には山ほどあります。何もできないのに「どうにかする」という実行部隊として挑戦を積んだ、友人とナンシーとのあの夏に、私の「旅好き」の原点があると思います。彼女たちと、ご両親に感謝します。今はみなさんチリにお住まいだそうです。もう連絡をとらなくなって久しいです。元気かなあ。

これが LAのアングラのドープなクラブシーンと触れ合える旅、などだったら危険度が違うのでまた話が別ですが、大自然と触れ合える旅だったのがよかったのだと思います。ダイビングでグレートバリアーリーフの海を見たことは私の未来を変えました。特にナイトダイビングで、まっくらな海の底で眠るウミガメをみたこと。今まで何百回も作曲作業の中であの海の底を思い出しては役に立っています。

結局、「いいとこの家」に育ったから行けたんでしょうと思われたりするのかなあ?この旅もけして安くはなかったものの、内容からするとどうやったの、というくらいミニマムな旅費に工夫したそうです。また、当時うちは借金があった。それでも「幸運な機会だから」と送り出してもらったと思うと、金額面はもちろんですが、なかなかできることじゃない、と恐れ入ります。逆に、今の時代的には「なんて非常識な親なのだ、危険極まりない」と、送り出した親こそ非難されたりもするのでしょうか?どうなんだろう?

旅に限らずですが、危機管理なんて、最初っからパーフェクトにできるわけない。だからこそですよね、めっちゃがんばれるのって。最大限気をつけて、それでもトラブって、協力して解決して、経験を活かしていくしかない。

ナンシーだって大人だったけど若者でした。みんな初めて尽くし。まず送り出してくれた親がすごいし、無事帰ってこれたのはやっぱりナンシーのおかげだし、でも帰国後ナンシーが笑ってられるレベルに収まったのは、私と友人も一緒に頑張ったからに他ならない。ナンシーとアラレちゃん。これがもし、どこぞのエキゾチックな昔話なら、「頼る人が弱いとは限らない、頼られる人が完璧だとも限らない。支え合って旅をするのだ、子どもたちよ」みたいなエンディングだといいですね。

コロナの今、旅をしなくなって久しいですが、特に子どもたちには、これから近場でも遠方でも、旅することに挑戦して楽しんでもらいたいと思います。子どもの時の旅って、いつでもできるような旅じゃない。だからこそ面白い。童心で見るすべてのことが、人格形成に直結していくのを楽しみに見ていたいなあと思います。


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