LOVEのひろいばなし Vol.69「同い年の母と」

とある映画を見ました。

最近では家事をしながら映画やNETFLIXを見るようになってしまったので、ゆっくり腰を落ち着けて字幕を追い掛けないといけないフランス語の映画は久々でした。これがなかなかいい余韻でした。

最愛の人を失った八歳の少女ネリーが、森の中で少女マリオンと出逢います。友達になったその子は実は‘八歳のママ’だったという設定。さらにマリオンの母として登場するのはネリーの祖母にあたる人ですが、まだ若い祖母をネリーがただただ見つめて「こんにちは、マダム」とご挨拶する姿になんだかとてもキュンとしました。娘、母、祖母の三世代の母娘のあれこれが甘酸っぱく、アンニュイながら心洗われるお話でした。

子ども特有の許容力でこの不思議な現象を受け入れて、八歳の言語で会話していく二人。とても可愛かったとともに、喪失の中でお互いに答えを出そうとする姿がいじらしくて、幸せな気持ちになりました。

そして、実に奇妙な気持ちにもなりました。もし私が同い年の母と出会っていたら、友達になれただろうか?

似たようなことを前にも考えたことがあります。ちょっと違う角度ですが、「もし過去に旅をできるとして、どの時代のどこに行きたい?」と考えた時。私は江戸時代の東京(完全に趣味)と、あとは母が十八歳ぐらいのときに京丹後の田舎から出てきて暮らし始めた時代の京都市に行ってみたいと思ったのです。私たち姉妹を産む前の母に会ってみたいのです。

私と我が母は、もし高校で同じクラスにいたら、友達になれたような性格同士だとは、あまり思いません。私はちゃかちゃか、母はおっとり。楽しい時の私はぶっちぎりで「お祝いや!一番高いメニュー食べてまえ!」ですが、母は遠慮がちに「あ、単品で充分かな」って言いそう。何かと母はじっと内に溜め込み思い悩むタイプで、その姿を見ながら、せっかちな私はジリジリイライラし、結論を急かすタイプ。でもイノシシがごとく突っ込んでいく私が大怪我をしたときなどには、「ゆうたやん」と根気よく話に付き合ってくれる人なのではないかと思います。仲良くなれたとしたら、お互いにないものを持った凸凹コンビ。全く仲良くなかった場合は、「あの子、なんやテンション高くて怖いわ…」と母に私が避けられていたと思います。

映画の中の八歳同士のネリーとマリオンは、きゃっきゃと楽しそうにクレープを作っていました。

でも、もしふたりが十八歳で出会っていたら?二十八歳で出会っていたら?三十八歳で出会っていたら?何を話したのでしょうか。

十八歳の私は大学進学とともに音楽道に進み、プロになって上京した頃。大学に行かせてもらいながら、とはいえ締め切りというものを飛ばしたが最後もう我が人生は奈落の底に落ちるのだと思い込んで極端なプレッシャーのなかで暮らしていた頃です。一方、十八歳の母は、両親に大学へは行かせてもらえず、京都市の福祉施設に就職し、翌年には自腹で夜間大学に行こうとしていたころ。で、なんなら早くも我が父と出会っております。

その後、早くに我が長女ができて二人は結婚しますが、母は大学三年まで働きながら夜間に通ったのち、子育てに専念すべく中退しました。二十八歳になる頃には、もう次女も産まれていました。

二十八歳といえば、私は大学を中退しバンドを解散し、覚悟のソロデビューから数年たったころ。ドリカム先輩とのアリーナツアーを経験したのちに新たな扉が開いてラジオパーソナリティも始まってちょうど1年後。東日本大震災を目の当たりにした年でした。自分の存在も、世の中のあり方も、いったんそれまで信じていた色んなことがぶっ壊れて、イチから問いかけ直しはじめた頃。

それから十年、気づけばあっというまに時は過ぎ、三十八歳なんて去年です。十五周年を目前に今日ここライブやSOMA BLUE PROJECTも継続していて充実感はあったものの、仕事以外の自分があまりに未熟だと気付いた頃です。初めて一緒に暮らした彼と別れて、「いやあ思い通りにいかないもんだなあ、どうしようもねえなあ、婚活でもすっか」とやっとこさ結婚やらなんやらに目が向きはじめ。おっそ。

母は三十八歳になるまでに、「まわりに日本人なんていなかった」というその時代に、英語も話せぬまま家族五人でイギリス移住を経験し、同じ年に祖母を亡くしています。帰国後も、日本の学校でイジメに遭ってしまった上の娘がなんとか高校生に進学し、次女も中学生、三女だった私もすでに七歳。手に負えないほどてんやわんやの毎日だったはずです。

母と私は、まったく違う人生を歩んでいます。

折々に、どうしたらいいかわからないことがお互いにあったはずです。

それを、もし同い年で出会えていたら、話しあったかしら。もう全然ちんぷんかんぷんだったんじゃないかしら。それでもお互いの話を聞く余裕って、お互いにあったのでしょうか。

今でも母はときどき「私にはわからないけども」という前置きをつけていろんな話をします。関西人特有の、最後につける「知らんけどな」にも似ていて、でも最後より先に言ってくれることに、気遣いを感じる、それ。

母の言う「私にはわからないけども」は、嫉妬でもなく、あざけりでもなく。ただの事実というか、「これからもそれは私の人生じゃないから知らんけども」的な、なんというか、理解しようのないお互いの人生に対する敬意や距離感みたいなもの。

この「私にはわからないけども」を、本当は同い年のリアルな友だちなどとも分かち合えたらいいなと思ったりします。私も含めて、同い年の女の子同士っていくつになっても知らず知らずに他人と比較してしまったりしますし。だんだん上手に距離感を掴めるようにもなるけれど、嫉妬深い人はいくつになっても変わらなかったりするし。

ネリーとマリオンは不思議な設定の中で、友達であり親子だったのだけど、この「私にはわからないけども」「まあ大丈夫じゃない」「それぞれの人生だから」というような距離感で過ごす、たった数日の中に、それでも愛を感じられるんだ、という後味がしたのがとても良かったです。

そういえば、ちょっと前にワイドショーなんかでもてはやされていた「なんでもシェアできちゃう友達みたいな親子」を、私は羨ましいと思ったことが一度もありません。正直にいうと、逆にその距離感が実は少し苦手です。素敵な親子はいるけれど、別に仲が特別いいからだけじゃない。

ちなみに世の中にはめちゃくちゃ仲がこじれた母娘もいますよね。そもそも、親子が「仲良くしたほうがいい」なんて風潮が邪魔なのではないかと。仲が良くなくても、親子の絆って色々あるから、他人様に何か言われること自体が大きなお世話だろうなと思ったりします。父&子も同じく。

たとえ、八歳だろうが、十八だろうが、二十八だろうが、三十八だろうが、飛んで六十八になろうが。母娘といえど、お互いに一生わからない何かがあるのもきっと自然なことでしょう。

だから、人生で数日だけでも、時を超えて分かちあえるあのクレープ作りみたいな日があったらそれだけで貴重なんだろうなと思います。

 

母の十八歳、あれ、大学行ったんだっけ?就職したんだっけ?京都なのは知ってましたけど、なんだっけ?と思って電話取材してみました。

「あんたまたつらつらと人のことを書くんやないやろうね」とど頭からガチで警戒されました。書くけど別にあなたが主役じゃないからと言う趣旨で丸め込んで色々聞いてみました。

我が父と十八歳で出会っていたとは。若すぎてびっくりしました。

ところで、わたくし、同い年の父とは、会いたくないです。想像するだけでイラっとする自分が浮かぶ。

我が父は、議論好きな「学者っぽさを醸し出すのが好きな学者」という、見る人がみれば「ご立派ですねえ!」と言いそうな、私からするとめちゃくちゃ癪に障るタイプ。娘としてだろうが同級生としてだろうが、鬱陶しくて仕方がなかったと思います。なので、もし私が当時の母の友人だったとして、「どう思う?」とでも聞かれようものなら「はあ?よくうざくないね!?」と話を聞くだけでイライラしていたかもしれないです。ほほほほ。

付き合うのも結婚するのも阻止したかもしれない。

そして生まれない、我々。

みたいな。

まあそれはどうでもいいとして、母が夜間大学に通っていたことをよく知らなかったので頑張ったんだなと思い、素直に「え、すごいやん」と繰り返していたら、豪快に笑っておりました。

「まあいわばお父さんと出会ったことで、ははははは!!初志貫徹できなかったということで、ほほほほほほ!女の人生、男で変わるっていうアレね、あはははははは!!」 私にはわからないけれども。 なんというか、今が楽しそうで本当によかったです、知らんけど。


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