LOVEのひろいばなし Vol.64「にっきのしょっき」

「グーーーーーンモーニング!」
「…あ、ハイマン先生、おはようございます」
「ノーノーノー、say グーン?」
「…ぐーん」
「モーニーン?」
「…もーにん、ミスターハイマン」
「ノーノーノー!ミスターハンサーム?」
「…み、ミスターハンサム」
高校二〜三年生になると、ホームルームが三階の最上階になりました。正門ではなく、駐車場の階段から三階に上がるほうが近道になったので、登校時にそのルートを行きますと、必ず朝イチでアートの先生であるミスターハイマンと出くわすことになります。階段すぐ横が芸術の教室につき、辺り一体はハイマンさんのテリトリーと化しておりました。
この階段の踊り場で、ハイマン先生は時々タバコを吸っていたりいなかったり(二十年前ですからね)。ドラクエで、このエリアを通りがかると現れるモンスター、とだいたい同じだと思ってください。
ルックスは、大きな眼鏡をかけたつるつるスキンヘッドのパブロ・ピカソおじさんで、とにかく陽気なアメリカ人。朝の挨拶からしてゴリゴリの真顔で迫ってこられて「おはようございます、ハンサム先生」と言わないとドアを通してくれない、というこの絡み。私はもう食い気味で先に言ってスルーしていましたが、控えめキャラの生徒は照れれば照れるほどにさらにゴリゴリに絡まれるという、まあまあ面倒臭い、けどご機嫌な朝の名物、伝統でした。
私はアートの授業が好きでした。
水彩画や自画像などのスタンダードから、ダリの作品集を見て「シュールレアリズム」を勉強するぞ、と片っ端からシュールな切り貼りアートを作ったり。また、木工や陶芸の授業まで、ハイマン先生は一手に引き受けていました。彼の明るすぎる謎の絡みキャラが炸裂する芸術の授業は、「行きたくないな」と思ったことがありません。
まじめに絵を描いていても後ろから覗き込まれて、「ふざけてない?ちゃんと真面目に描いてる?」と絡まれ、かと思えば突然「もっと!ふざけて!大きく!」などと絡まれるパターンも。いや、むしろあなたの方がいつもふざけてる、と胸の中でつぶやきながら、我々生徒は、何が起こるかわからない空気感に若干いつもびくつきしながらも明るすぎる指導を楽しく受けていました。
ハイマン先生の指示は、とにかく身振り手振りが大きい。英語がわかる生徒もわからない生徒も、勢いで飲まれて「おお、OK」とあおられては結果なんとなく課題に大胆に取り組んでしまう、という。三階のハイマンテリトリーには常に楽しい空気感がありました。授業じゃなく通りがかるだけでも突然出てきて絡まれる。まさにドラクエ。
陶芸の授業の時だけは静かで集中力が満ちる時間だったのを覚えています。ふざけてたら、ぐにゃってなっちゃいますからね。生徒が作った陶芸は、オブジェから実用的なお皿や花器まで、ときどき学校の廊下に展示されたりしていました。私は深めの小鉢をひとつ作ったぐらいでしたが、とても楽しかった。
さて、学期の最後になると、休みに入る前のロッカーの掃除がマスト。男子は必ず一人ぐらいは恐ろしい量のくっさい体操服などをボストンバッグに詰め込んだりしていて、あたり一体が異様な匂いになったりしていました。
苗字の並びが近くてロッカーもすぐ近くだった、同級生の新己くんも同じく、自分の荷物を色々引っ張り出していました。おおお、よかった、にっきは臭くない。ちょっとホッとして私はロッカーに近づきました。
彼のことは、みんな、にっき、にっき、と呼んでいました。にっきとは中学一年生の入学時から同じクラスだったけど、一緒に遊びにいくとかそういうことも特になかったはず。普段から一緒にランチしてたとかもないし特別近しい方じゃなかったけど。でも陶芸の授業は一緒だったので彼がどんな作品を作っていたのか、気になりました。
ちなみになぜか記憶にあるにっきはいつも大きめのボーダーのTシャツを着ています。赤っぽいやつとグレーっぽいやつだっけな。ぜったい彼は、2枚はボーダーのTシャツをもっていたはず。とにかくボーダーの Tシャツを着たにっきがロッカーから出したその立派なお皿を見たとき、「うわあ、すごい、私のと全然ちがう」と私は驚きました。なのでそのまま、思わず口に出していました。
「うわあ、すごい、私のと全然ちがう」
「え、そんなことないで」
「立派なお皿やん」
「ありがとう。もう捨てるねん」
「え、なんで!」
「いらんから。重いから」
「いらんの!」
「いらん」
「え、じゃあわたしもらっていい?」
「ええけど」
「ありがとう、じゃあもらうわ」
それは、少し傾いてはいたけれど、その傾きがむしろ素敵にこっちに迫ってくるかのように見える、深めの中皿。三つ足がついていて、グレーブラウンですが、覗き込むといろんな色のニュアンスがあります。釉薬をデザイン的に跳ねさせてあって、最後にろくろをまわしながら波のような線をつけたことも見てわかります。にっき、いい趣味しています。とにかく、上手。もっとざっくりしたものを作りがちな高校生の中で、にっきのこの食器は趣味が良かったと思います。
その後上京した私は、自分が作った小鉢と一緒ににっきの食器を東京の一人暮らしの新生活に持って来ました。和風や中華のおかずを盛るのに、ちょうどいいサイズ。
昨日も、麻婆茄子を盛り付けて夕飯でいただいたばかりです。自作の小鉢はとうの昔にどこかへ行ってしまったのか割ってしまったのか、記憶にすらないまま気付いたらなくなっていたぐらいですが、なんと二十年以上たった今も、にっきの食器は我が家のスタメンとして活躍しています。ほとんど二十年間、にっきとは喋ってもいないのに、にっきはずっと私の食卓にいるのです…っていうと怖いですけど。
にっきは今は日本にいるみたいだけど、テレビ局の国際部記者になって長らく東南アジアに派遣されていました。
「現地から中継です、〇〇さん」
マレーシアのクアラルンプール国際空港で金正男が暗殺されたとき、タイの洞窟に少年たちが取り残されて救助を待っていたとき、ネパールで地震が起こったとき。スタジオのニュースキャスターに呼びかけられてテレビ画面に映し出された現地のにっきは、中継レポーターとして淡々と、そしてはきはきとレポートしていました。にっき、あちこちにいる。
そのたびに、たまたまですが、にっきの食器でなにかしらを食べながらテレビを見ていた私は「うおお、にっきだ」と驚くのでした。まるで私がこの食器を使うたびに何かしら事件が起きて、現地からにっきがレポートしはじめるような錯覚さえ覚えました。んなわけはないのだけれど。
確か、もともとのにっきはとてもシャイだったので、あんまりニコニコするタチじゃなかった気がします。デフォルトがむしろちょっと気難し気な表情で、でも笑う時は照れた笑顔だったのが印象深い。中学三年のときでしたかね、一緒に演劇したことがあったんじゃなかったっけか。顔は気難し気なのに、けっこう面白いキャラだったにっき。よくふざけてました。中継レポーターとしての真面目な表情は、その頃の面影を残しつつも、ビシッとしていてかっこよかったです。
今はわたしは家にテレビを置いていないので、食事中ににっきのニュースに出くわすことはなくなったのですが、いろんな人がうちに来てご飯を食べるたびに「この食器いいねえ」「これ素敵だねえ!」と言ってくださいます。
ハイマン先生は数年前に亡くなったそうです。ハイマンさんの息子で同じ学校に通っていたジョエルは冬でもタンクトップにダウンジャケット、寒いのか暑いのかどっちやねん少年でしたが、元気にしているみたい。にっきの食器を眺めるだけで、なんというか、いろんな人の人生や時の流れが見える気がして、感慨深いです。
手作りの良さ。ここにある物語。手になじんだにっきの食器を洗いながら、ふと思った次第です。彼は多分、私が二十年以上もこんなににっきのことを考えていることを知らないに違いない。お互いの近況をシェアしてるわけでもないですし、直接何かのSNSで繋がっているわけではない。私は今のにっきのことはほとんど何も知らない。なんというか、それもそれですごく面白い気がしました。元気でいたらいいなあと自然に願いながら、水切りかごに置いた、にっきの食器です。
にっき、超今更なんだけど、ありがとう。これ、最高よ。割れたら割れたでその時だけど、この先もしばらく大事に使わせていただこうと思います。

にっきの親友、ほり。
急に苗字呼びですが、出会った時から、ずっと、「ほり」と呼んでいます。
十五歳の時点で、「四十歳の阪神タイガースファンのおじさん」感ができあがっていた、ほり。実際、今も変わらず、なほり。
ほりはトラベルエージェンシーの会社に勤めてから独立した旅行業務のプロです。なので、私が旅行にいくたびにフライトをお願いしたり、友達を紹介したりしている仲。むしろ大人になってからよく話すようになったかもしれません、数年ごしに時々長電話をします。
彼自身、バリに拠点を持っていたり、今は沖縄でトレーラーハウスに暮らしていたり。都会を離れて面白い暮らしをいつもしているのですが「そないおもろないで」といつも言います。で、「最近どう」というつまらない質問をしても、彼の視点で世界の話を聞くとめちゃくちゃおもしろいっていう。
コロナ禍真っ最中に、「最近どう」と話した時も、背景に「♪ヒャララー♪ぴょろろー」と謎の音楽がかかっているので、気になるなあと思ったら。
「バリ、今お祈りのシーズンやねん。近所一帯がお祈り中。パンデミックだろうがなんだろうが、お祈りはバリの人たちの最重要事項やから、コロナ関係あらへん」
と、話がふくらむふくらむ。笑いました。
というわけで先日も友人のフライトについて聞きがてら「最近どう」と話している中で、たまたまこのにっきの食器の話になりました。
「マジか、それまだ持ってんのすごいな」
うん、こんだけ頻繁に普段のスタメン食器として使ってて、一箇所だけ欠けたけど、まだ割れてないのがすごいと思います。ハイマンさんの準備した土も焼きもすごいのだと思う。そしてにっきの作り方、成形も良かったんだと思う。これだけモノの扱いが雑な私が使っているというのに。
にっきのしょっき。
口に出して言うたびに気持ちよさすらあります。
にっきのしょっきー!
この響き、元気でるでしょ。なんか。