LOVEのひろいばなし Vol.63「船内着と中華麺」

一人一食限り。今夜は無料でふるまわれる夜食があるという。小麦が香るシンプルな中華麺に、澄んだ黄金の出汁。暖かい湯気が立ち上るその貴重な一杯を求めて、何百人もの行列が、ガラスと鉄柱でモダンに作られた渡り廊下を埋め尽くしていた。

天井の高い宇宙船内、メインロビー横のレストランへの入り口に乗客が向かっていく。磨き上げられた黒曜石を模した床面には、強化ガラスの向こうに映し出されている「トウキョウ」の夜景が映り込んでいた。「オダイバ」からレインボーブリッジを渡った高層ビル群は赤い点滅を繰り返し、東京湾にほど近い「トヨス」エリアにかかるすべての橋は幻想的にライトアップされていた。建設工事中のタワーマンションもよく見える。時折、さまざまな色の車やトラックが光の粒になって橋の上を流れていく。同じ出来事は二度とないのだ。

よく出来ている。たとえ数時間この夜景を見ていたとしても、ランダムなシーケンスに必ず出会えるようプログラムされている。今、私が妹と行列に並びながら見つめている「トウキョウ」は、朝焼けから夜景まで、天気も季節もさまざまに映し出されるホログラム映像だ。そしてそのスクリーンの開発管理会社に私は務めている。

放送専門機器のメーカーとして、我が社はその昔、オリンピックなどの国際放送に必要な変換機器を取り扱っていた。ヨーロッパ、北米、南米、アジア、アフリカ、オセアニア。他国の部署に勤めていた同僚達が、無事それぞれの船に乗れたかどうかは確認がとれていない。

この船が地球を出発、いや、脱出したあの頃の東京を「トウキョウ」として再現し、果てしなく立体的な生活空間を演出することが今では我が社の主な職務となった。船内で生まれた幼い子どもたちの一部は、これがホログラムだとは聞かされぬまま、自分が大都会育ちだと疑わずに育つ。ただし、同じ時の流れの中でいずれ完成するあのタワーマンションに、将来彼らが住むことは叶わないのだ。

はちきれそうな満月に照らされた「トウキョウ」も、それを眺める船内も、今夜はまだ誰も眠りにつく気配がなかった。なくなり次第終わりだが、可能な限り、全員に一杯ずつ。まるで全体が蛇行するひとつの生き物になって、そわそわとこの特別な夜食を待ち侘びているようだ。あたり一体にその期待感が充満していた。

この時間にまだ起きていることを許されている子どもたちは、興奮した様子で走り回っている。それをたしなめる親は、それでも行列から絶対に外れようとはしない。そりゃそうだろう。三十分以上、長い時は一時間ほど。待ち時間を知らせる電光表示版が入り口近くで点灯していた。

「ねえ、やっぱカップル多いよねえ」

妹が耳打ちしてきた。そう、確かに。圧倒的に、一般船員は若い世代が多い。妹がいうには、繁殖目的らしい。本当かどうかはわからない。

初々しさが残るカップルが、終始絶妙な距離感で寄り添ったり手を繋いだりクスクスと笑い合ったりして時間を潰しているのを私たちは横目で見ていた。一部ワンピースやアロハシャツの私服を着た者達が悪目立ちしている。それもそのはず、彼ら以外の乗客は、老若男女すべて同じ船内着を身につけているのだ。

幼児から老人までが同じものを着用している異様さ。

えんじ色のラインが入った紺色のポロシャツと、同色の七分丈のパンツ。作業着、パジャマ兼用。部屋着とも清掃員ともつかぬこのデザインが見事に人々の個性を消していた。また、薄茶が焦茶に色が濃くなっていくほどサイズが大きくなるその単調な船内履きのデザインも合わせて、人々の出立ちそのものがこの宇宙船の限られた船内生活を物語っていた。

私たちの目の前のカップルは珍しく年配だった。研究者とその妻だろう。研究者ならば特別船員のはずだ。ということは、一般船員から特別船員まで、分け隔てなく今夜の夜食はふるまわれるらしい。

「この時間に食べても罪悪感が生まれなさそうなサイズ感と出汁、いいよね」

何気ない会話をしながら妹と共に食べる食事も、これでいったん最後になるのだろう。

無論、今夜、この宇宙船トウキョウベイ号全体が長期冷凍睡眠の段階に入ることを一般船員の人々が知らされることはない。混乱を防ぐためだが、それも幸せのうちかもしれない。妹を含む特別船員や、彼らにこっそりと事実を聞かされた私のような身内だけは、最後の一夜を内密に惜しんで過ごすことになる。

選ばれし者たちこと特別船員は、新惑星に着陸した後、開拓者としての役割を担うことが決まっている。私たちよりも十年先立って自動覚醒させられる彼らは、まず現地調査を経て住環境を構築し、食材の安定化を図る期間「創世紀」を生きることになる。これだけの人口を新惑星に移住させるには、それなりの先発隊が欠かせないのだ。

それぞれに特殊技能を持った精鋭たちが、この「創世紀」を施工期間として街を作り上げる。準備が整い次第、今度は彼らが私たち一般船員を順に目覚めさせ、「ようこそ」とご馳走の朝食で迎えてくれる予定だと聞いている。

十歳年下だが、妹も先発隊のひとりになる。

エンターテインメントが人々の心的健康に責任を負うようになった現在の医療において、彼女の仕事はいくつかの分野を股にかける。メディア班そして医療班・心療予防内科の一人として、「創世紀」期間中、日々新天地でリスクと向き合う特別船員たちを支えるために、ラジオ放送と音楽療法を担当するという。

「次に会う時は、同い年、もしくは下手したら年上になっているかもしれないよ!」

そういわれても、実感が湧かないものだ。

特別船員は水色のスカイパスを持っている。一般船員の私が持つ白パスではブラックコーヒーしか飲めないが、スカイパスでならカフェオレが飲める。砂糖も、ミルクも、船内では希少品だ。食料は全て、船内の一部工場や農畜産区画で人工生産されており、厳重な管理下に置かれている。

今夜は、久々の有給をとったところなので一緒に大浴場に行かないか、と私が妹を誘ったのだった。露天風呂を楽しんだ後、いったん私の部屋に寄りたいと妹が言ったのも内密な話があるからだとはわかったが、ここまで事態が緊迫しているとは思わなかった。ベッドに腰掛けて、妹は話し始めた。

「実はもう、小麦がないんだ。食料班の人たちからSOSが出たの」

本来は、船内の自給自足サイクルで暮らしていける人数が計算され尽くして乗船人数も制限されているはずである。どうして。

「わからない。でも思っていたより食料消費が圧倒的に生産を上回ってるのは確かだよ。これだけの人口、もう今のペースでは食べていけないんだ。本当は、冷凍睡眠はもっと先の予定だったんだけど、今夜中に、各部屋の通気口から、睡眠ガスが出ることになったよ」

冷凍睡眠は、私自身が孫の顔を見る頃の、遠い未来の選択だと思っていた。

「でもね、お盆休みが始まったばかりでしょ。食料班のみんながね、楽しい夏休みの思い出を作ってから今夜は眠って欲しいって。それで全員に中華麺をふるまうことにしたんだって。この麺が本当に最後の小麦になるみたい」

テレビのスクリーンには現在の待ち時間が表示されていた。数分ごとに点滅して更新されている。さきほどまでは「現在四十分待ち」だった表示が「二十分待ち」に変わったタイミングで、私たちはロビーフロアに降りることにしたのだった。

行列の先にやっと厨房が見えてきた時、だんだん近づいてきた湯気と熱気に、なぜだろう、私は圧倒されてしまった。もう何百杯と湯切りをしている食料班の一人がそれでも元気よく「あいよ!」と、声をかけながらラーメン鉢に麺を踊らせるように入れていた。そしてもう一人が、すかさずおたまいっぱいの黄金のだし汁を注いでいく。トレイを持って右へ右へと流れていく人々が、その一連を楽しんでいるのがよくわかった。

これだけ待ったのだもの。手元のラーメン鉢からあがる湯気と一緒に、人々の喜びも一緒に立ちのぼっていくのが実際見えるようだった。そして誰もが後続を待たせまいと気遣っては、いそいそとトレイを運んで広大なカフェテリアに席を見つけにいくのだった。

食料班の男たちは、使命感に燃えて生き生きとしている。カフェテリアで食器の返却を「ありがとうございます!」と受け取っているスタッフも笑顔をたやさない。

今夜が終わる頃、彼らの分の麺はもう残っていないだろう。そう思ったら、思わず目頭が潤んでいた。慌てて私は船内着のえりで目元を拭った。みんなで誰かを喜ばせるための今夜なのだから、私が泣いていてはいけない。

やっと私たちの番が来た。

「あいよ!」と掛け声と共に艶々の麺が湯気をあげて私の手の中に滑り込んできた。すかさず注がれた出汁の香りは懐かしく、海のようにラーメン鉢のなかで波を立てた。

そのままカフェテリアの一角へと、乾燥わかめ、メンマ、輪切りのねぎ、小さなパックの胡椒をセルフサービスで取りにいく。ねぎは育てやすいから本物だし、船内下部の海水タンクで養殖されたわかめの磯の香りも本物だ。メンマは?と聞くと、妹が答える。

「ラーメンは人気だからね」

どんな食感も再現可能にしている食料用3Dプリンターが、メンマ製造専用に数台確保されているのだという。素材はタンパク質と繊維質と脂質などだ。しゃきしゃきと見事な歯応えだった。

胡椒は地球時代のそれの半分以下も分量がなかった。一粒も残さぬよう、妹は袋から大事そうに胡椒を振っていた。そんな妹の背後に、急にたくさんの人たちの人生が交差して見えた。

白髪の女性は夫と一杯を分け合っている。その隣の男は、麺を食べ終わったあともわかめとねぎを大量にせしめて出汁を啜っている。どうしてこんなに小さいの、と船内スタッフに文句をつけている女もいれば、そのすぐ近くで子どもが「おかわりー!」と叫び、もうおしまいよ、おいしかったねとなだめている父親がいる。「おいしいね」と愛くるしい表情でふうふうしながら麺をすすっている若い男女は、開けた未来を疑うことをまだ知らない。

誰もが地球にいた頃と変わらない。時に自分勝手で、時に健気で、人間だ。今夜、誰もが平等に一杯の中華麺を食べた後、冷凍睡眠の長い夢へと旅立つことになる。

私は両手で持ったラーメン鉢に目を落とし、まだ見ぬ故郷と懐かしい生まれ故郷を心の中で重ね、思わずそのまま目線を挙げられなくなってしまった。胸がいっぱいだ。目の前で妹が勢いよく麺を啜って、満面の笑顔で話しかけてこなければ、今度こそ泣いていたかもしれなかった。

「あああ、美味しいね!!」

私たちは一滴残らず出汁を飲み干した。出汁であたたまっていく心と体を感じた。

「もう一度入ろっか」

トレイを返却したあと、部屋に戻る前に私たちはまた大浴場に向かった。内風呂から露天風呂に出ると、誰もがゆったりと「トウキョウ」の夜景を一面に見て肩に湯をかけていた。よくよく見ると、ジジ……と雲の隙間に揺れのバグが出ている。会社に報告しないと、と思ったが、そうだ、次に目覚めるのは新惑星に着いてからなのだ。急ぐ必要はない。そう思ったら、急に長年の肩の荷が降りたような居心地がしてほっとした。

ぬるいぬるい夏の風がそれでもだんだんと涼しく感じられ、満腹感と満足感が自然と眠気を誘った。もう寝よっか、と声をかけたら妹も、うん、と後をついて出てきた。先に妹の部屋まで見送りに行くことにした。

「今日は誘ってくれてありがとうね。じゃあね、またね」

そういって妹が扉を閉めた後、ドア上の天井についているランプの赤色が点灯した。すぐに黄色も点灯した。しばらくたってから、やっと最後に、緑色がついた。

見届けた後、私も自分の部屋に入室した。そして、電気を消した。きっと私の部屋のドア前も同じように、赤、黄色のランプが点灯しただろう。そしてもうすぐ私が眠りに落ちる頃、緑色のランプが灯り、私も冷凍睡眠に入るのだ。

次回妹に会うとき、私たちは新しい惑星での最初の朝食の席に座っているはずだ。彼女は幾つになっているのだろう。特別船員たちが先に開拓して用意してくれる豪華な朝食を楽しみに眠ろう。メニューは何?と最後に露天風呂で聞いたとき、妹は笑っていた。

「朝から海鮮ビュッフェに決まってんじゃん、いくらぶっかけ放題だよ」

 

これは豊洲に新たにオープンしたドーミーイン系列のリゾートホテル「ラビスタ東京ベイ」に宿泊した私と姉一が、無料提供される“夜鳴きそば”のサービスに並んだ三十分間をやりすごすために作り上げた、宇宙船設定の寓話である。

宇宙船トウキョウベイ号。話に入り込みすぎて、姉一は実際に湯切り職人を見たときに涙ぐんだ。寝る直前も冷凍睡眠ガスが流れてくるはずの通気口を長らく眺め、「未来で会いましょう、おやすみ……」と切なげに電気を消し、直後、冷凍睡眠がごとく爆睡した。

翌朝の海鮮ビュッフェでは、全てが新惑星での最初の食事という体で各食材の本物感を確かめた我々だ。人の十倍は楽しんだ自負がある。

……というこれは実話の記録である。

ちなみに、新惑星に着いた最初の朝のこと。

「海鮮ビュッフェは朝からそんなに食べれない」という衝撃の事実に我々は敗北し、その後最初に向かった先は買い物だった。掃除婦のようなあの船内着にしばらく耐えていた反動からだろう、「特別船員の建設班が先に街を作りオープンしてくれていた、宇宙船着陸地点のすぐ隣のモール」こと豊洲ららぽーとへ。姉は「ふう、新惑星、明日からもう仕事なんで」と現実感を醸し出して仕事着を購入。私は料理用大きなスプーンを一本ゲットした。

ちなみに姉の懸念事項は「トウキョウベイ号、アジア人ばっかじゃん」という点。人種はくまなく地球を脱出させて欲しいとのことだった。きっと他にも宇宙船が脱出してるはずだと調べてみたら、函館、草津、箱根湯本、強羅、岐阜白川、石川和倉温泉など、ラビスタ系列の宇宙船は主に日本の温泉地から出発していた模様。世界中の宇宙船が無事脱出できていることを祈る。

……じゃなくて。ていうか、脱出なんかしなくていい地球をマジで作らないとですよね。食糧危機は実際まったく作り話じゃないですし。ぶっかけたいくらは絶対に食べ切るのがマストですし。二ヶ月走り抜けた直後のプチ休み、豊洲よりだいぶ遠いところに行って帰ってきた気がします。ていうか長いよね。もういいよね。


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