LOVEのひろいばなし Vol.62「目指せ Aプラス」

「今回もBプラス止まりやなあ、なんでかなあ」
中一、中二、と担任してもらった、みしま先生。中一に上がりたての私たちに、「教室はおでん鍋で、生徒は具。各自いい味を出し合って美味しい出汁を作るように」という名言を残した彼女です。中二だか中三だかの時には、女子の仲間割れのような現象に対して「成長中なんだから当然。去年とまったく同じ価値観で生きるな」と竹藪十ヘクタール分の竹を一気に割るかのごとくスカっとさせてくれた、みしま先生。
あの当時、けっこうお若かったと思います。今の私よりも年下?かも。魅力的な方です。カジュアルでありつつちゃんと大人の女性。彼氏は彼氏は?とみんなで囃し立てたものでした。のちに、同校のイギリス人の先生とだったかな、ご結婚されたかと思います。
男子も女子も分け隔てなく、調子こいているとすぐに見抜かれてしまうので「あんたらええ加減にしいよ」とみしま島先生がいうときは、ちゃんとみんな「ぎくっ」としたものでした。とても楽しくて仲が良かったけれど、決して生徒に舐められることのない、尊敬を集めていた先生だと思います。
あまりマンツーマンで話すこともなかったです。いつも数名で教室でわいわいとか、廊下でわいわいとか、国語教諭のデスクに伺っても周りの先生も一緒になってわいわい、とか。みんながみんな顔見知りなのでダラダラと国語教諭の部屋に居座っていると「もう話は終わったやろ」などと笑いながら帰らされたりもしました。
中学の時、「日本語演劇部」がなかったので、英語だけじゃなくて日本語でできる部を作っていいですか、と相談したときも、「ええでー、好きにし」と顧問になってくれました。どうしても私がやりたかった「 THE SOUND OF MUSIC -日本語版-」。脚本を書いて、照明とか大道具とか、1年半かければ全部できるはずだと計画したプロジェクトが、とはいえ中学生の集まりですからみんな根気が続かずポシャッてしまったときも朗らかでした。他の劇はいくつも楽しくやっていたので「そうかそうか、まあちょっと規模がでかすぎたんやわ。でもええんちゃう!おもろい劇いっぱいできたやん」とおおらかに声をかけてくれました。
ほとんどマイナスなことを指摘することがない先生だったので、高校になって言われた、この言葉に当時の私はドキッとしました。成績の話をする機会だったのか、みしま先生が、渋い顔をして「なんでなん?」と聞いてきたのです。
「頭もいいし、勘もいいし、興味は持ってるでしょ、いろんな科目に。やれば絶対できるタイプやのに。今回もBプラス止まりやなあ、なんでかなあ」
完全に文系だった私は、歴史や国語漢文は面白くやっていました。また、うっかり数学は因数分解のみ何故か得意だったせいで次学期からアドバンスクラスに入れられてしまい、おかげで数学優等生の中で遅れをとりまくるという現象が起きたりしていました。あんまり成績は気にしてなかったので記憶が薄いですが、Bプラスがずらっと並んでいたことに、その瞬間、はっとしたことを覚えています。
我が母校での成績は、A, B, C, D, E, F判定でした。Fは落第。……あれ、Eはなかったかも。とにかくCとDは危険ゾーン。AかBが普通。ですが、それにプラスマイナスがつくもんですから、Aプラスが最上級、つづいてA、そしてAマイナス。同じくBプラス、B、Bマイナス、という順番で評価がついていくのでした。
私は主にBマイナスからAマイナスをウロウロしていたタイプでした。
やればできるのに、なぜやらぬのだ。
と、言われて初めて考える。区切って、ひとことずつ噛み締める。
「やればできるのに」
うん、何かと、ジャンルは問わずやればできる気がする。
「なぜ、やらぬのだ」
……え、わかんない。なんで?なんで私はAプラスをとろうとしたことがないのだろう?
考えたこともありませんでした。数学なんてできなくても死にやしませんし、解けると楽しいけど解けないやつなんかもう見たくもないし。生物の成績が良かったのはいきものの映像みるのが楽しいからだし。化学と物理が全くだめだったのは、化学記号を覚えて、バネひっぱって観測して何が楽しいねん!私の青春を返せ!ぐらいに思ってたからだし。国語は哲学的で面白いし、歴史は年号はさっぱり覚えられなかったけど、そもそも昔の人たちの壮大な人生は物語として面白い。漢文は言語として英語みたいな文法だからわかりやすいし。
つまり、やりやすい&楽しい、で行けるとこまでしか、そもそも私は行くつもりがなかったのです。やりづらい、楽しくない、に片足の小指でも突っ込もうものなら興味が失せるという。
快楽主義……!そうか、私は遊んでいるのだ!勉強をしているつもりで、私はひたすら遊んでいるのだ!!と高校生なりに自己分析をしました。そして初めて気づいたのです。なんとなく優等生風(?)のキャラというか、できる子ぶっていたけれど、私は決してできる子ではないのだと。努力家ではないのだと。努力しないでここまで来たのだと。
なるほど、そう思うと周りの生徒が急にまともな学生に見えてきます。あいつら、勉強しとるぞ、努力しとるぞ、と。
かといってそこから特に努力を重ねるでもなく。休み時間はギターを弾いて、放課後は遊びまくり、週末は梅田のクラブで踊り(内緒です)、作曲だけは大ハマりしてノートに書き溜めておりました。勉強は嫌いじゃなかったし本も好きだったからよく読んではいたけれど、主に多感な時期を音楽に没頭しながら過ごした私です。あっという間に高校三年生になっておりました。高三の夏にはバンドデビューが決まっており、夏休みも少しレコーディングで東京に行くことが決まっていました。まあ、それはそれでキャリアのスタート、いいとしてもですよ。
で、受験どうすっかなっていうね。
実のところ、高校卒業後にびっくりしましたが、同級生たちはみんな進学校に入学していきました。「え!そんなの目指してたの!」みたいな。流石に東大とかはいなかったと思うけど、外交官になると言い切って男子に馬鹿にされていたあの子は京大へ、とか外大、慶応、早稲田、獣医さんになると言って北大行った子もいたし、海外の大学への進学するコースの子も多数いました。なんなのみんないつの間にそんなに勉強していたの!!ぽかーん。ていうか、どの大学がどのくらい進学校なのかもわかってない。なんか、みんな、すごい。
私は指定校推薦を受けることにしました。小論文と英語の試験だけでいけるらしいぞ。ふむふむ。楽そうだぞ。中央大学の総合政策学部。のちに中退してしまいましたので、後輩の皆さんには本当に申し訳なかったです。指定校で入った先輩が辞めると、後輩の枠に影響するというのも後で知りました。本当に申し訳ない。けど、まあ、人生いろいろあるからね。
というわけで、結局大学も卒業していない私は、成績という意味ではとても中途半端な感じを引きずったまま大人になったのです。
ですが、唯一、大学を辞める時に思ったことがあったのです。
中途半端な大学生活は辞めてやる。でも、私は音楽の仕事だけはBマイナスは自分に許さないぞ、Aプラスをとるのだ、と。もちろん音楽が楽しいから、そしてやりやすい環境を作ったからこそ今があるわけですが、とはいえそれだけではBマイナスだったのかもしれないこと。それを私なりに Aプラスに持ち上げるためにこれからは仕事をするのだ、と誓ったのでした。
いつの日か、みしま先生の国語の教諭室のデスクに行って、デスクにかた肘ついて、「みしま先生〜、やっとAプラスとったったわ〜」って言う日を脳みその片隅に想像して、「やればできることをなぜやらないのだ」というセリフを自分に何度もけしかけて継続してきた十五年。ライブひとつをとってもそうです。グッズひとつをとってもそうなのです。一曲作るのも同じく。やればできるならやればいいことっていっぱいあるんですね。
時間があるなら練習すればいいこと。
アイデアがあるなら形にすればいいこと。
お願いしたら叶うことなら頭を下げればいいこと。
学べば身に付く新しいソフトなら学べばいいこと。
など。何かのエキスパートになるということは、終わりがないことなのでとても難しいです。そして、だいたい何かをミスしてBプラスになることもしばしばあるので、思いのほかAプラスって本当に難しいです。ですが、これが日進月歩ってやつですかね。一個一個のイベントでAプラスを目指すこと自体を楽しく思えるようになったのが良かったなあと思っています。
この二ヶ月、今年の夏は、たくさんの科目で、Aプラスを目指しました。夏期講習かってくらい、練習しました。たくさんミスもしました。なので、やっぱり結果はAくらいかな〜、笑。でもとてもいいライブや制作が続いているので、この夏を総合したらAプラスだと思います。リリース、 FUJI ROCKにワンマン、お付き合いいただき本当にありがとうございました。
やればできることは、やる。どシンプルな話ですな、先生。できないときは、まあ、無理はしないようにしてますが、何かできることは見つかるものですな。
みしま先生のあの日の「Bプラス止まりやなあ」がいまだに効いている私です。心に、小さなみしま先生を。

ちなみに、Aプラスはわかりやすくいうと何かの一位、なのかもしれません。何かの一位ってとったことあるかしら。数年続いているラジオ。うちの番組の聴取率がもう数年一位らしいですが、それはかなりアツいと思います。チームワークですので決して私だけの功績ではないですが!
自分の音楽において、私はとにかく誰かの一位になりたいと思ってきました。そのために、まず自分にとっての一位を作ろうとしてきたのかもしれません。
仕事にしても、なんにしても。他人と比べての一位はわかりやすくていいです。けど、自分の中でのAプラスかどうかはまたそのランキング結果とは違います。もはや大人になると、自ら何かの基準をもって評価するしかないので、厳しくなりがち、もしくは甘くなりがち。具合がむずい。時々、やっぱりみしま先生みたいな方に「ええんちゃう」とか「ええ加減にしいよ」とか言って欲しいものです。
ついで話ですが、一位、じゃなくても、とにかくやっぱ「日本一」とか「世界一」などは制覇したい。富士山は一回登頂したいと思っています。 (なんの話やねん!!)
本当はまさに今、この八月に登れたらよかったんですけど。というのも、外国人観光客が戻ってくるときっとまた激混みでしょうから、この夏のうちに富士山登ってみようかなと思っていたのです。でも、山が開いているの九月の上旬まで。うむ、行ける気がしない。超初心者だし、なんというか経験者と一緒に行きたいんだけどなあ。と思ってましたら。
今朝、富士山のクリーンキャンペーンで何度もご一緒した、世界的アルピニスト野口健さんが夢にでてきてくださいました。どんだけ願望夢なんでしょう。贅沢すぎる夢です。
「富士山、初めてなんで野口さんと一緒に登れたら安心なんですけど」とお願いしたら「いいよーーーーー!!」っといいながら、野口さんが海パンで5合目を走り抜けていくという夢でした。勝手に脱がせてすみません。というか夢ですら、初心者に付き合ってる暇など、野口さんにはないはずです。
先日、Netflixで「14 Peaks : Nothing Is Impossible」、ネパール人の登山家ニルマル・プルジャが189日で世界の8000m級の十四もの山を制覇するドキュメンタリーをみました。もう本当に、問題解決能力と精神力がすごかったです。 トリプルAプラスでも足りないくらい。すごい人でした。人間ってほんとすごいな。おすすめです。
私のスタート地点はいつもBマイナスです。いつかはとりたい、Aプラス。 引き続き頑張ります。