LOVEのひろいばなし Vol.51「てーんてーん」

私が生まれ育った大阪府高槻市のとある線路沿いのマンション。最近では、どうやらコンビニとかドラッグストアとかができていますが、当時は周囲にお店はほとんどありませんでした。ごくごく平和な住宅地。
近所には「安田ローソン」と呼んでいた、姉の同級生の安田家族が営むローソンがありました。向かいには、薬屋さん、そして、一度もヘアカットにいったことのない昔ながらの床屋さん。
そして。
我が家の真横には。
とある事務所がありました。
小さな小さな事務所でした。そしてその前にはいつも美しく洗車された、立派なエンブレムをつけた黒塗りの車が路駐しているのが定番でした。
そう、いわゆる。
ヤ○ザの方々の、事務所でした。
どうですか、みなさんの地元は。周りに「兄さん方」がいらっしゃる地域でしたか。
特に私より上の世代の方々、子どもだった頃はどうですか。特に関西や九州、関東も一部の方々は「はいはい、いたいた」ではないかと思うのですが、どうでしょう。
関西だと、主に神戸に本拠地を置く「山口組」系列というのがメジャーどころ。組長だか副組長だかの家の近くに住んでいる神戸の友人宅に遊びに行った時のお話です。
「みてみて、めちゃめちゃでかい邸宅でしょ」
「ほんとだー」
「長、すごー」
「ねー、長ってすごー」
などと見上げたものです。ああ、懐かしい。
思いっきり監視カメラがこちらを向いています。きっと「見張っとけ」「へい!」と指示された若い衆の1人がモニターをみていたことでしょう。白黒のモニターに映り込む、玄関先。ひょこひょこしている、こども2人。
「じゃ、いくよ」
おもむろに私の友人、走り出したわけですが。その直前に、マッハでまさかのピンポンを押していきました。
「え!?」
「いくよ!!!!」
青ざめながら必死に彼女を追いかけて走る私。
「おいこらガキ!!」と若い衆が後ろから追いかけてくる……ということはありませんでしたが、いやあ、生きた心地がしませんでした。
こちら、歴代いちばんシビれた「結果的にピンポンダッシュしちゃった」巻き込まれ事件です。組長か、副だったかは忘れちゃったけど、とにかくふつうのピンポンダッシュとは話が違います。寿命、縮みます。くれぐれも、良い子は絶対に真似をしないように。ていうかピンポンダッシュ自体、やめれ。
さて、例の我が家の隣の事務所はあの邸宅とはまったく規模が違いました。
街のお米屋さんと同じくらいのサイズ、同じくらいの古めかしさ。木造で、横にスライドするガタガタいう戸。その横に縦文字で小さな看板が出ていたと思います。その名も、「砂○組」。
当時、幼かった私は5歳。何も事情は知りません。「時々会うおじちゃんたち」くらいの認識でした。別にサングラスもスーツも着てなかったし、チンピラ感も特になかった気がします。ぱっと見、普通のおじさんたちでした。ただ、ピカピカの真っ黒な車だけが異彩を放っておりました。
ある日のことです。小学校6年生だった姉2と2人で、駅前の西武デパート、関西スーパーにおつかいに行きました。無事、何やらと買い込みまして。姉が荷物を持ってくれます。私はなにか小さい袋だけ持たせてもらって。帰り道の5歳児など、ただただ楽しいだけです。
てくてくとふたり仲良く歩いて帰宅。ユアサ電池の工場の敷地を囲むコンクリの塀沿いにある歩道は非常に狭く、1人がやっと歩けるくらい。ちょこまか動く私は先を行き、姉2はそれを見守りながら後ろから歩いてくれていたのだと思います。
そのコンクリの塀。5歳の私はその壁を、てーんてーん、と叩きながら歩くという遊びで、帰路を満喫しておりました。
ユアサ電池の工場は広大な工場だったので、塀も長く続きます。長々と、てーんてーんと壁を叩きながら歩いてく私。
そして、やっとその塀が終わるところ、そこにあったのは例の事務所でした。まさに砂○組の兄さん方が停めていた、黒塗りの立派なお車が、塀の続きのちょうどいいところに。
「……ちょっっっ」
姉が止めるよりも早く、すばしっこい私はそのまま進みました。てーんてーんとピカピカの車体を叩きながら前進したのです。だってねえ。進行方向にあるもんですから。5歳児の私にとって、その時は、てーんてーん、がメインの仕事なもんですから。これは仕方ありません。
「だ……んぐ!!!!」
かわいそうに、小学6年生の姉2が「だめ」とすら言い切れなかったそのタイミングでガタガタと事務所の戸が開かれました。
「おっ」
砂○組のおじちゃん登場です。
姉2、「終わった」と思ったそうです。瞬時に足を止め、自分はあのちびっ子の同行者ではないというスタンスでやりすごそう、と後退り。
私「(てーんてーん)こんにちはあああ」
砂「おお、おじょうちゃん、どこ行ってきたんや、西武行ってきたんか」
私「うん、そおおおぅぅぅ」
砂「おつかい行ってきたんか」
私「うん、そおおおぅぅぅ」
砂「1人で行ってきたんか?」
私「ううん、おねいちゃんとぉぉぉぉ」
がっつり、背後の姉を指さす私。
逃げられない、と思ったそうです。電信柱の陰から小学6年生がビシッと直立して登場しました。
姉「こ、こんにちはっ」 砂「おお、ねえちゃんえらいなあ、妹連れておつかいかあ」
姉「はいっ」
砂「がんばりやあ」
姉「はいっっっっ」
私「さようならぁぁぁぁ」
砂「おう、ほなさいなら、気ぃつけてなあ」
姉「失礼しますっっっ」
たったこれだけの会話でしたが、私(と迷惑千万だった姉2)にとっては忘れられない、「兄さん方」との最初で最後のコンタクトとなりました。
というのも、それからしばらくして、砂○組のあの引き戸の隙間に、大量の封筒が挟まれていくようになったのです。今考えたら、請求書だったのだと思います。いろんな色の封筒が挟まれて、もう挟みきれなくて、軒先にばらばらと落ちていたほど。
砂○組の目の前は、道路を挟んで田んぼでした。田植え直前まではピンク色のレンゲやシロツメクサがたくさんびっしり咲いていて、私はそこでよく遊ばせてもらっていて、田んぼの真ん中で花冠を作っていました。
編んだ花冠を頭に乗せて、田んぼの真ん中から見る事務所。たくさん散らばっている封筒と古ぼけた木造の引き戸。
春だったんですね。
その景色がとても切なく、寂しいものだった記憶があります。
やがて黒塗りの車を見かけることもなくなり、いつの間にか「砂○組」の小さな名札も外されました。
私は小学校に上がり、そして中学は、電車で通う私学に入りました。その間、ずーっと同じ、駅までの道を行き来していました。事務所のあった建物に新たなテナントが入ることはなく、長らくそのままがらんどうでした。
高校生くらいになって、その木造の古い建物自体、気づいたらたて壊されていました。跡地に何ができるのだろうと思っていたら、代わりばえしない戸建て住宅が建ち、代わりばえしない極小の花壇が作られました。パンジーばっかり。
時が経つと、常識も、法律も、街並みも、いろんなものが変わっていきます。そして、変わって然るべきですね。
これ、きっとこれからの子どもたちはあまり体験することもなさそうな話です。だからでしょうか。人にいうほどでもない、どうでもいい話なんですけど、鮮明なままです。幼少期の記憶はそう多くありません。この頃の思い出代表作といえば、このくらい。
絶滅した、もしくは足を洗った砂○組のおじちゃんたちが、ほどほどにパチンコでも行き引退後を慎ましやかに暮らしている今日を、心の片隅で願っています。
請求書、もう溜めたらあかんで。

「お母さんお母さん、下の砂○組の車に、あの子、平気でてーんてーんするからドキドキしたよ〜!」
帰宅して、母に報告したのは姉2です。いうても小学6年生です。彼女自身ががまだ子どもだったのに、笑。
可愛らしい報告だったそうです。母は、まあ子どもは可愛いからおじちゃんたちも何も言わんやろう、ぐらいの構えだったそうです。車を傷つけていないかだけが心配で、確認した覚えがあるとか。
姉2に久々にこの話をしたら、「普段からよく挨拶しとったよ、お前さん。仲良しか」とのことでした。「ちゃんと挨拶しなさい」といわれてましたから、ムダに守っていたのでしょう。
さらにどうでもいいディテールですが、姉2によると、塀沿いの歩道を降りて砂○組の事務所前を通る時、そこからが鉄板歩道に切り替わっていて。
「いつも必ず事務所前であなたジャンプして着地していくからバイイイイイィィィンって鳴り響くの超ハラハラした。走りぬけるときもバインバインバインバインいうし」
姉2を常にハラハラさせていた、5歳の私と砂○組の関係。今ならその触れ合い、関わり合い自体が法律違反になるんでしょうか。
さて、話は飛ぶようですが、先日、友人が「ハトの子どもってみかけなくない」と言い出しました。確かに。カルガモは親子で歩いているのに、ハトの子ども、みたことない。どこにいるんだ。
……それとおなじくらいの謎感なんですけど、そういえば。幸いなことに、昨今は「兄さん方」の生息地がわからない。どこかには生息しているのだろうと思うけれど。
普通に、あかんやつですからね。
さすがにもう、てーんてーんも無理です。
大人になったなあ。