LOVEのひろいばなし Vol.47「精神つぶつぶ論〜後編〜」

20XX年、とある未来のライブハウス。金曜日、午後10時。

LOVE(の孫。1人くらいはミュージシャンになるだろう)のライブが終わったばかりです。今夜の演奏を満喫したようこちゃんとけいこちゃんは、ざわざわと会場をあとにする大勢の観客とともに、頬を紅潮させていました。

「今日めっちゃ良かったよね。だいぶ強かったんじゃ?」

「ああ、うん、ライブハウスの出口に計測器あったけど」

「あ、ほんとだ」

「出た出た。今日1200 ティーエス…tsb-dBだって!」

「へえだいぶ高いんじゃない。つかあれなんて読むの」

「ツブデシベルじゃなかった?」

「そうだ、そうだ、ツブデシベル。今日は特に愛が溢れてたもんね、納得」

「うんうん、気合いが入ってたっていうか」

「いやまじ念力こもってたわ〜」

嗚呼、読者のみなさん。なんという未来が待っているのでしょう。愛、気合い、念力など。目に見えないものが数値で測れる時代がいつかやってくるかもしれません。

ライブレポートには、ライターさん個人の感想に添えて数値が書かれるようになってしまうのです。まるでテストの点数みたいに。そして年末には「ツブデシベル大賞」という、今年一番のツブ最高値を叩き出したアーティストに贈られる新たな賞ができているかもしれません。

Tsb-dB、ツブデシベル。

それは、人の思考や気持ちがなんらかの粒子でできていることが科学的に証明された未来で、計測のために生まれる新たな単位です。それは、今の科学が発見している素粒子よりもさらに小さい何かかもしれません。

現在確認されている「世界最小の粒」は12種の素粒子です。私も見たことはないけれど、そのひとつ、ニュートリノなんて、小さすぎて1秒間に何兆子も私たちの体をすり抜けているとか。え、許可してないわよと、手で前を隠したくなるほど。

そのサイズ、具体的には、0.0000000000000001cm。

って?

1cmの1億分の1の、そのまた1億分の1の大きさだとか。ちっちゃ!!ちっちゃいけれど、見えないからといって、そこにないわけじゃない。質量があります。

「見えないモノを見ようとして〜」。

BUMP OF CHICKENが歌ってましたけど。

そう、我々音楽家にとっては馴染みが深い。多岐にわたって私たちがこねくりまわし曲を書いている素材、「愛」。愛情、愛憎、友愛、情愛。あげればキリがない、愛。

「念」もそう。怨念、懸念、祈念、理念など。

さらに、気功師が「アイヤー!」などといって人を10メートルくらいぶっ飛ばす「気」ってのもそう。指圧、鍼灸なども「気」の流れを取り扱ってますね。気はバリエーションがすごい。陽気、妖気、気合い、霊気、など尽きません。

そのすべて、見えないが故にロマンチックだったり、胡散臭かったり、謎めいていたりします。なので、そのままにしておきたい方はこれ以上読まないほうがいいですが、私はこれらにはすべて簡単に説明がつく、とある時から思い続けているのです。

人の「精神 / 気持ち / 思考」を成り立たせる、なんらかの物質、粒子がある、と仮定してみてください。

小学生レベルの発想で恐縮ですが、私はそれを、「精神つぶつぶ」と呼んでいます。

私たちはこの流動的な精神つぶつぶを、つねに全身で、とてもフィジカルに扱っています。

温泉に入った日にはおそらく綺麗に流れていくし、美味しくて優しいものを食べたら満ち満ちるし、美しい景色をみたら湧き上がる。

逆に、痛々しいものを見ると張り詰め、お風呂に3日入らないと澱み、いくらお風呂に入ってもブラック企業に1週間務めると溜まります。

科学の世界においては、えてしてさまざまな粒子が最終的にはマイナスかプラスを帯びていたり、ペアになったりしています。同じもの同士でくっつきあったりして、それぞれに磁場を形成する。これは基本概念です。例えば北極のN極マイナス、南極のS極プラスもそう。自然界においてはどちらも必要なものです。

なので、精神つぶつぶも、あるとするなら、似たような感じでマイナスを帯びたものはマイナス同士で溜まり、プラスを帯びたものはプラス同士で溜まるはず。

昔、奈良の天河神社に行った時、「なんという綺麗なところなのだ」と圧倒されたことがあります。何千年も昔からそこは綺麗にはかれて守られてきた。それがわかる慎ましさ、綺麗さ、静けさでした。

そもそも行きやすい場所にないのです。東京から6時間ぐらいかかった気がします。冬に雪が降ったらバスは止まるし。チャラチャラした酔っ払いが「おっけー!カラオケついでに天河さん寄って帰ろうぜ!う、やばい気持ち悪いゲロゲロ」などとたどり着けるような場所ではないのです。

なので、あかんわけがないというか。

天河さんは一例ですが、いろんな神社が「驚くべきパワースポット!」みたいにいわれたりしてますけど、それが当たり前じゃないかしら、というか。

日本での神社は、主に豊作を祈り、苦しみの終わりを願い、土地の神に感謝し、時には荒くれ神を鎮めた場所だと聞いています。平和が祈られ、御神木に代表される大木や自然に守られた調和の中にありますね。地形上も安全な場所に作られ、人が繰り返し掃除をし、清く保つ努力を繰り返してきた場所です。都会の喧騒の中にある神社ですらそれと同じ「気配」が保存されています。その気配こそ、「精神つぶつぶプラス」でできていて、これを、「気が良い」ということだとした場合、

ジジジジ……。

はい、出ました、ポータブル精神つぶつぶ計測器。 天河神社、ツブデシベル+1000ぐらい。

まあ、神社も色々ありますしやる気のない神社のレベルはガタ落ちするなど、きっとまちまちだと思うので、きっとツブデシベルの差はあるのだろうと想像します。

さて。

一方で「気が悪い」といえば。

静電気のように、その場所に留まって放電を待つ「精神つぶつぶ」マイナス編がそれにあたるのだと思います。

谷とか、行き止まりとか、風の通り道がないとか、そういう場所にがっつり溜まって然るべきそれ。

ちょっとだけ怨念の話をします。嫉妬、復讐心など、人間最大のこじれエモーションの塊、怨念。

これは亡くなった方が……とかいってスピ系の人たちがそれっぽく扱っておりますが、私はそのアプローチはまったく好みません。「ああ、単に、粒子だからね、そこに溜まることあるよね」っていえばいいのにと思っています。

そしてそれが幽霊や人の形や顔として見えるという点だけはさっぱりわかりません。「ああ、あるね」くらいにしておいてほしい。

スピ系の方々で、人を怖がらせるタイプや言葉で「してはいけない」などと呪いをかけてくるタイプは、つぶつぶ業界では最も低レベルな寂しがりやor商売人、と思うことにしています。

怨念とやらに、ポータブル精神つぶつぶ計測器を向けてみましょう。

はい、ツブデシベル-1000。

でそれをあなたに見せた「してはいけない」おじさんに向けてみましょう。多分-500くらい、出るでしょう。

そして、プラスでもマイナスでも、「精神つぶつぶ」は、燃料です。というところまでが私の「精神つぶつぶ論」です。

それは水のように蒸発し、石油や石炭のように燃える。なんらかの推進力を生むために、ある程度の技術を必要とするものだと思っています。

それを教えてくれたのは日本語の表現です。たぶん太古の昔、人間がみな精神つぶつぶのマスターだった頃の名残りが今の言語に現れているのでは。

以下、それぞれのあとに動詞をつけるなら何が浮かぶか、ぜひみなさんも考えてみください。

念を。気を。愛を。

押す、送る。配る、遣う、もむ、張る。注ぐ、込める。など。

不思議ですが、理念があって、気持ちがあって、愛があるプロジェクトの推進力はすごいです。 一方、理念がなくて、気持ちもなくて、愛もないけど遂行したいプロジェクトは人をお金で動かします。

また、残念なことではありますが、怨念や復讐心からくる戦いの推進力もすごいものです。それがない戦いを、「士気がない」といったりしますね。

だから、私が思う「精神つぶつぶ」は燃料なのです。

使い方には技術が必要です。ただし、前回のひろいばなし最後にも書いたように、私たちは知らず知らずにそれを活用しています。

お母さんがお腹をさすってくれた手。

あなたが私のライブを見て泣いてくれる涙。

神社で手を合わせるときの沈黙。

亡くなったおじいちゃんが残してくれた若い時の家族写真。

地震や災害時の温かいラジオ。

それはすべて「精神つぶつぶ」のやりとりです。

燃えて、伝わって、残って。燃料が作用した現象です。

そしてまだまだ使い道の余地がある、人類最大の資源だと私は思っているのです。

 

「LOVEさん、燃料って。さすがに石油や石炭にとって変わるものじゃないですよね?」

と思った方。

答えは、「さあどうでしょう」です。

その昔、石炭や石油を燃やしていた人たちにとって、原子力発電だの「核融合」だの、意味不明だったはずです。

「ちっちぇつぶつぶを?ぶつけあって?エネルギーを産む?そのつぶつぶってのはなんなんだい?目に見えないだって?笑わせんじゃねえよ、オラ石炭ほってくるわ」

だったはずです。水素、とか「は?」みたいな。

ですから、もし精神つぶつぶに質量が確認できた未来で、それを使ってなんらかの発電ができるかどうかはまだわからないけど、不可能じゃないかもしれない。

モンスターズインク。

ピクサーの名映画ですが、あれはまさにそんな電力会社のお話でした。モンスターたちが子どもたちを怖がらせ、叫び声、すなわち恐怖を集めて発電してましたよね。

あれ、精神つぶつぶ論が立証され、質量が確認され、それを捕獲して保存する技術が確立されたら、あながち不可能じゃないですよ。

SF作家(自称。デビュー前ですけど)としては、いくらでもその先にある怖い筋書きが浮かびます。そしてそれでいいのかどうかも考えたりしています。

例えば刑務所での労働が精神労働になり、囚人たちが苦しい思いをすればするほど「苦しいつぶつぶ」発電ができるようになる、とか。これはマイナス発電ですね。またスタジアムやアリーナなど、大型スポーツ観戦の会場には、「興奮つぶつぶ」発電装置ができる、など。

今、その装置がない時代を生きる私たちはこのつぶつぶをどう使っているかと言うと。例えば「苦しいつぶつぶ」、ストレスはめぐりめぐって他人にも悪影響を与えていたりします。人間のイライラって、目の前のことにイライラしてるわけじゃないことがほとんど。他でイライラしてるのが、目の前で噴出してたり。ストレスたどっていったら原因って絶対あるし。

一方、喜びや愛などの「嬉しいつぶつぶ」は、そういうストレス社会を生きる人間同士の間でほっとしたり共感したりするための支え合いのエネルギー、優しさとして今は使われているはず。

だから、もし精神つぶつぶ発電が始まってしまったら、人間のエネルギーは人間同士の間で使われる分が足りなくなってしまうかも。いろんな風に、生活が少し変わるかもしれません。だから、いいのかどうかはよくわからないなあ。みんなが自分の「優しさ」を電池にして、小遣い稼ぎに売り始める企業ができたりして。それって本当の優しさじゃないだろう、みたいな。

何かと最近また「エネルギーの搾取」について考えています。

それが石油でも、石炭でも、天然ガスでも、原子力でも、精神つぶつぶでも。人間は、本気でエネルギーを分かち合うシステムを作り直さないと。このまま搾取は続くよ、どこまでも。だと思います。

私は、いつか「精神つぶつぶ」が燃料となることがわかった未来で、それを扱うにあたっての倫理的な国際法の草案を後世に残してから死のうと思っています。

多分それが、「過ちのサニー」という本に、いつかなるのだと思います。これ、私のライフワークなので、どうぞ気長に。お楽しみに。みなさま、長生きしましょうね。


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