LOVEのひろいばなし Vol.39「僕達の国境」

わたしが川村カオリさんのことを知ったのは、やはり15年ほど前、ソロデビューしてからしばらくして、だったと思います。

「きっと好きだと思うよ」

私のライブを担当していただいているコンサートイベンターの方におすすめしてもらいました。

聴き始めて、これはすべて自分の歌なんじゃないのかと衝撃を受けました。まっすぐな少年のような歌声。そして何よりポエティック、詩人としての彼女に深く共鳴しました。日本語で歌っているのだけど、歌っている内容が、あまり日本人の発想っぽくない。

後にクレジットを見ていくと、プロデューサーの高橋研さんと作っていらした時代の音楽が1番私の胸にストライクしていることに気づきます。

「僕達の国境」という曲で答えがでました。あ、だからこの人のことが好きなんだ、と。

あまりにまっすぐ「国境を越えてあいにいくよ」とか、「天国に戦争はきっとないだろうけど」、とか歌っちゃっているもんですから。

高校卒業後、「どこにもしっくりくる居場所がない」と思い続けていた私は、社会に出たはずなのに、どうして世界や社会情勢の話題がこんなに少ないのだろうと不思議に思っていました。じぶんが成熟しているとも全然まだ思えないのに、「あなたの視点はいいんだけど、なんていうか年相応じゃない」と大人に言われて、深く失望したこともあって。

「J-POPの女性アーティストにそういう役割は期待していないから」

はあ。自分の内面と自分が今いる場所が噛み合わない。この違和感がずっとぬぐえずだった20代前半。それでも、何か自分の中に風穴をあけたくて歌を書いていこう、と決めてソロになった直後に聴いた川村カオリさんです。

「ここにあるじゃん!ていうか、いるじゃん!歌っていいんじゃん!」

私にとって、まさに川村カオリさんの歌は、いい意味で肩透かしでした。解放でもあり、救いでもあり。スカッとした上に感動しました。急に、胸のつっかえがおりたのです。

のちに彼女がロシアと日本のダブルのルーツを持つことを知って、心から納得しました。そして私と川村カオリさんとの違いをも思いました。

カオリさんが育った80年代、今みたいに「ハーフタレント」がもてはやされる風潮もなかった頃、日本人らしくない顔立ちの川村さんはまったく楽じゃない10代を過ごしたそうです。

一方、私は多少アメリカ時代に英語がちんぷんかんぷんで困った時期はあるけれど、いうてもえらいファンキーで楽しい大阪のインターナショナルスクールで楽しく充実した10代を過ごしました。日本に両親ともルーツがあります。

きっとコンプレックスの種類も違うし、アウトプットのアプローチも違う。ただ、根っこで言いたいことは遠からずだったんじゃないか、と期待が膨らみました。

みんな違ってみんなOKなんだ、とか、人と人の間に架け橋をかけるのもまた人なのだ、とか、そもそもそういう前提に立って次のことを早くこっちは話したいんだけど、とか。

とにかく、それを、どうやったらこんなに素敵な言葉で歌えるのだろう、と、驚きました。「そうか、単に私は歌詞書きとして未熟だったんだな、もっといい歌詞をかけるようになりたい」と、謙虚になれたのも川村カオリさんのおかげだったのです。

私がやっとカオリさんにお会いしたのは、渋谷公会堂。彼女の最後となったライブ会場でした。そして、カオリさんに私をつないでくださったのは、私が18歳の時に知り合い、遠方の兄貴のようによくしてくださっていた、超・先輩の吉川晃司さんです。

晃司さんにとってカオリさんは若い頃からのリアル妹分だといいます。その日、晃司さんは、他たくさんのゲストの方々と同じく、乳がん末期の闘病中でありながら懸命に歌う川村カオリさんをステージにて支えてらっしゃいました。

ライブが終わって、ご挨拶に伺った時、先に吉川兄さんとお会いした私は、カオリさんのCDとDVDを握り締めておりました。

「実は、人生で初めて、サインが欲しいと思っているんですが」

「えっそうなの。そんなに好きだったの」

「実はそうなんです。うざがられますかね。そもそも体調大変なのに、不躾なお願いですかね」

「いや、あんまりそういう女子、周りにはいなかったと思うから。喜ぶと思うよ」

「晃司さん、カオリさんにお願いする時、一緒に、いいですか」

そもそもの緊張と、闘病中とは思えないほどのライブの気迫に完全にあたっていた私は、プライオリティがおかしくなっていたのでしょう。大河ドラマで殿を演じておられるロックスターにさらなる無理なお願いをし、最強の布陣でカオリさんに会いに行ったのです。

無事、サインはもらうことができました。当然ながらお疲れで、フラフラで、でも目力はすごくて。目を合わせて「はじめまして」と言っていただき、サインをしてくれました。後にも先にも、私がアーティストにサインをお願いしたのはあの時だけです。ほとんど何も話していません。でも本当に吉川さんのおかげでした、お二人の間に流れた暖かい空気と、そこに一瞬同席させていただいたような、そんな優しさをよく覚えています。

ライブ以降、カオリさんはさらに体調を崩されていたようでした。そうと知らず、不躾なオファーしてしまったことに気づいたのは、お返事をいただいた時でした。「恥ずかしながら私自身がシンガーソングライターではありますが、あなたの歌詞が大好きなので提供していただけませんか」という一方的な私からのお願いでした。

「こんなオファーをもらったこともないからありがたく思う、もう新しい歌詞はかけないけど、今まで書いたものの中から好きなのを選んでください」という内容のお返事がスタッフさんから届きました。そして、そのお返事には、すでにいくつかの歌詞が同封されていました。

娘さんに向けて書いたんだろうとすぐわかった「遠い声」。この歌詞をいただいてから曲をつけるまでどのくらいの期間だったかなあ。結局カオリさんに完成した曲をお渡しして聴いていただくことは叶いませんでした。2009年7月、私の1番好きな日本語の詩人は38歳で亡くなりました。

カオリさんの娘さんが高校生になった頃、私のライブを観に来てくれたことがあります。やんちゃそうな子です。

直後、「LOVEちゃんを見てギターを始めるって言ってるらしいよ」と友人から聴き、なんだか胸がぽっと暖かくなりました。

そして、その1年後くらいに直接会った時だったかな、「で、ギターどうなの」と聞いてみたら「無理に決まってんじゃん、全然弾けない」と、とっとと諦めていたことを知りました。これまた可愛くて微笑ましくて、笑ってしまいました。

そんな娘さん、今年20歳になりました。街でばったり会ったりすると「ちょちょちょちょ嘘でしょLOVEちゃん何してんの」と話しかけてきたり。インスタグラムもまあ華やかでファッショナブル、今時の子です。今はモデルとしてのキャリアをスタートさせて、一生懸命、頑張っているようです。

そんな彼女が、インスタグラムのストーリーに自分がロシアのクオーターであることを記し、10代や20代の子達がほとんどのフォロワーさんに向けて、発信しているのを見かけました。

「戦争をはじめたプーチンは確かにロシアの指導者だよ。でもロシアの人たちが全員戦争をのぞんでいるわけではないの。それを知って欲しいな」

確か彼女はロシアに暮らしていたことはないはずです。日本育ち。でも彼女が自分のルーツであるロシアを当たり前のように背負っていることがすぐわかりました。

そして、おおお、川村カオリさんの歌詞に通じる何かがやはりあるな、と思ったのです。

日本で育ったロシアのクオーターの若い女性が、ウクライナの死傷者に思いを寄せて、ロシアの市民たちの心情と憤りを慮って、個人の見解を、人前で自分らしい言葉で、丁寧に、でも当たり前のように伝えていました。そのことを私はとても頼もしく思ったのです。

20だろうと、40だろうと、60だろうと。年齢って本当に関係ないですね。

私は、「国や社会のアイデンティティを背負いながら、それでも個人として自由でいられるんだよ。そして、それをわからない人たちにも悪意なく伝えることができるのが人間なんだよ」というようなことを、彼女を見ていて改めて気づかされました。心の中で誇らしく思いました。

万が一、今、ギョーカイ人がふらっと寄ってきて、あの頃の私と同じくらいの20歳の彼女に「あなたの視点はいいんだけど、なんていうか年相応じゃない」なんて、言おうものなら。

まもなく39歳になる私のヘソで、シュンッシュンに茶を沸かしてやろうと思います。そして、もう飲めないですってくらいルイボスティーを飲ませてやることになると思います。(ほら、デトックスにいいっていうから)

私は昔からずっと、国境を越えて、誰かに会いに行きたいのです。あなたの胸の大地に、どんな人が住んでるのか、どんな花が咲いてるのかが知りたくて。そんな気持ちで歌っているのです。

ってこれ、カオリさんの「僕達の国境」という曲の歌詞からの引用です。

そういえば、書いていて気づきました。亡くなった時のカオリさんの年齢をこれから追い越していく私です。だからでしょうか。最近、よくカオリさんのことを考えています。

 

ロシア、モスクワに行くこと。実は書いている小説の舞台の参考にもなりうるので、絶対行くんだから、と随分前から決めています。そして、カオリさんが生まれた街でもあるので、1度はその土地に御礼申し上げにいかなければと思っておりました。その思いは変わりません。

でも、戦争してたら、行けないよ。

さて、いくつかの国にルーツを持つ人じゃなくても、ですよ。

アイデンティティって面白い。国籍、親、住んでいる場所、本当にいろいろなスペクトラムがあって、個々に持ち、育むものだなあと思います。

20歳になった彼女も、私も。もちろん読者のあなたにも。それぞれのバージョンがありますよね。これまでの人生で経験してきたこと、いま取り組んでいること。それは、何にも変えられないあなただけの物語でしょう。

でもそこに、望もうが望まなかろうが、やはりもう1つ大きな「社会」や「国」も時に入り込んでくるものです。特に、国際社会を生きるということは。

自覚させられます。

指導者の決断や、大人たちのパフォーマンス、社会全体の仕組みなど。

私のアイデンティティの一部である「日本」ってのはとんでもなく遅れている側面をもっていたり、めちゃくちゃ素敵な国だったりするので、そのどちらをも私は自覚して背負う瞬間が時々あります。それは妙なフィーリングだけど、けして嫌いにはならないし、なりたくない。だって母国だからね。

ウクライナとロシアに両方ルーツを持つ方を想像しました。ふたつの国を愛する気持ち。その人の中で、相反するような敵対の気持ちではないはずです。

人が起こす問題を解決する答えは、人の中に絶対にあります。ただ、時としてその人の中にはないだけだと思います。たぶんプーチンさんは、残念ながらもうこれ以外のお答えをご自分の中にお持ちじゃないのだと思います。

私たちは、映画や音楽や小説などが大好きで、いろんな他人の人生の話をみたり聞いたりします。本来の社会は、みんなの人生から答えを分け合いっこできるように、よくできています。

実際は私も「こんなもん見せられてどうしたらいいんだろう」と思う日々ですが、そんな私たちの人生ですら、ですよ。この物語や言葉を待っている誰かが、どこかにはいるのだと。そんぐらい、思って生きてやろうよと思っています。


You may also like

VIEW ALL
Example blog post
Example blog post
Example blog post