LOVEのひろいばなし Vol.30「さようならトミー」

「今年のBEST BUY」、最も買ってよかったモノ。
ラジオを聞いていたらそんなメールテーマが聞こえてきました。年末らしくていいですね。もこもこベスト?アディダスのスニーカー?すぐにいくつか思いつき、その流れで逆をふと連想したのですが。
「え、じゃあ、今年のBEST LET GO、最も手放してよかったモノは?」
BEST GARBAGEにするとゴミっぽさが強すぎるので、BEST LET GO、手放したもの、として考えてみたくなりました。
ちなみに私たちがモノを捨てる、ということは、そのモノにまつわるあれこれを考える時間を終わらせることと同じです。長らく手放せなかったものだとしても、いざ、ちゃんと捨ててしまえば、そのことを思い出すのは逆に難しいんだそうです。みなさんどうですか、パッと思いつきます?何捨てました今年?ヒモ彼氏とかですか?
今年、私は来客用の布団を処分しました。
以前は、大阪の友達や海外からの旅人など、よく寮と化していた我が家。引き続き来客はウェルカムだけど、宿泊客はお断りしてもいいことにしよう。そして、この布団のスペースを、日常的に自分のために使おう、と思ったのでした。そして…。
そうだ。今年はこれを捨てたんでした。トミー。
大好きだった、深緑色の巨大ダボダボスウェット、トレーナーです。服に名前をつけて呼んでいたっていうね。大丈夫、うすらヤバイ人の自覚は一応あります。というわけで私のBEST LET GO OF THE YEAR 2021は、トミーです。
19歳くらいのとき、広島キャンペーンの空き時間に市内の古着屋で買いました。ほぼ20年選手かあ。どうりで、左手の袖口はほぼとれてました。首の皮一枚で繋がっている的な。袖の布10cmで繋がっている状態。何度、袖口が勝手に味噌汁を飲んでいたことか。
そういう、ボロボロなのに捨てられない「なぜか結局心地いい」シリーズ、ありませんか。とにかく肌触りが良くて、とかキープする理由はあるけれど、とはいえ「時が経ったなあ」「糸がほつれっぱなしだなあ」って毎回やっぱり思っていて。結局見て見ないふりしてる、みたいな。
私の母は洋裁が得意なので、頼めばすぐに縫ってくれたでしょう。でもなあ…と、この10年ほど、毎年ちょっと考えては引き出しに戻し続けていた、トミーです。
買った当初、外着だったのは束の間、以降は秋冬パジャマとしての余生の方が長かったです。どれだけ私の内部で「好き嫌い」が更新されても、赤ちゃんの頃に覚えたブランケットのように、寒くなったら必ず1番に引っ張り出して着ていた大事な1枚だったのです。
今年の春頃のことです。午後、窓を開けて服の断捨離をしていた日。「ここにあるスペースに入るだけしかモノを持たない」をルールにして掃除してみたところ、まあ見事にいろんなモノが上手に整理整頓できた日でした。
クローゼットをスッキリさせて、最後はパジャマ&部屋着の引き出しへ。ここはまさにトレーナーやらスウェットやらの引き出し。大量に溢れていました。
私はその引き出しを開ける前から、もう今日でトミーとはお別れだな、とわかっていた気がします。季節はまだ春ですから、しまったばかりでした。ああ、この秋冬がトミーとの最後になったな、と思いました。
先にトミーをよけておきました。
そして他の子を数枚、リサイクル行きの段ボールと捨てる段ボールに分けて整理。一応「ありがとう」とか「ああ、あそこで買ったな」とか心の中で声かけをしつつ。
そして、一番最後にトミーを箱に入れました。 あまり心も感情も使わず、流れ作業で、じゃあね、くらいのテンポ感で入れて、閉じました。あえて心を使いたくなかったのです。ただ、1番上にトミーが見えるようには、しておきたかったのです。
私は、このトミーを買った10代の頃から、困った時にはただただ全力でやることしか方法論を知らず、そうやって難関を突破してきました。それは同時に、なんというか、「自分のため」に、正当にスペースや時間を使うことが下手くそだったという意味でもあるし、「人のために」という理由づけがとても便利だと知っていたということでもあります。「誰かのために」と言っている間は、自分のために先にやるべきことややった方がいいことを、後回しにできたからです。きちんと自分をケアする時間をとる代わりに、そのまま技術やら鎧やらをたくさん身につけて走り抜く癖がついたのです。
でも、このトミーだけは鎧じゃなかったのです。袖口が勝手に味噌汁を吸っていても、そんなことは誰も知らない。私にとって、トミーを着ている自分が1番ダメで、1番安心できる、自分だけの自分だったのです。それが良かったのです。袖口を縫っちゃったら、ダメな私じゃいられなくなるから縫わなかった。私は、どこかで、できることならずーっとダメなままの自分でいたかった。ダボダボの深緑に包まれたままの、子どもでいたかったのでしょう。
箱を閉じる時、あの深緑が最後まで目に残りました。寂しかったし、今思い出しても寂しい。ちゃんとあのとき、箱を閉じる前にありがとうと言わなくて申し訳なかったね。私が手放したのは過去の自分自身でもあるのでしょう。さようならトミー。
もう1度言いますが、たかだかスウェット、トレーナーの話をしています。ですが、私はせっかく忘れることに成功したトミーのことを思い出してしまったこの年末、うっかり目の端に涙を滲ませております。
誰か、今、「トミーにかけたい言葉はありますか」と私に聞いてください。架空のインタビューか記者会見風に、ですけど。
「私はもう大丈夫。そう伝えたいです」
フラッシュ、パシャパシャ。
もう、ダメな自分でいたいとは思わないし、思う必要がなくなりました。以前より、自分のために時間と場所を使えるようにもなりました。意識的に、日常的に。それが人のためになるための前提なのだとやっと肌感覚で身に付いてきた気がしています。
「おまえさん、全力もいいけどな。’人のため’は押し付けではないし、’自分のため’はワガママや自己中でもないんだぞ。我があるがままで、人の役に立て」
引き続き勉強中ではありますが、そんなバランスの大事さを私に教えてくれたのは、やはり2011年の東日本大震災であり、特に私にとっては福島の人たちとのこの10年の交流でした。災害で沢山の物を失った人たちが、物よりも重たいかもしれない見えない新たな重荷を背負いながらも、生きるために必要な考え方を、フットワーク軽く態度で示しているのを見たからです。
「自分で自分をちゃんと大事にしよう。楽しくしてあげよう。誰よりも応援してあげよう。そして、誰かと分かち合おう」そういう、とてもベーシックなこと。そして、沢山の人たちが、恵まれているようでいて、引き続きアンバランスなままかもしれないこと。
今年は東日本大震災から10年の節目でもありました。この間も他地域も含めてたくさんの災害がありました。そこにパンデミックなんてわけのわからないものを現在進行形で体験している私たちです。とはいえ、生きるためにヘルシーなマインドの大事さは、どの時代もきっと変わらないはずです。
2021から2022へと年をまたぐにあたり、心のお荷物が多い方も、身軽な方も、大掃除ができた方もそうじゃない方もいらっしゃると思います。それが今なのか、近々なのかはわかりませんが、時が来てやっと捨てられるモノもきっとあるはずです。得た物ばかりに目がいきがちな私たちですが、BEST LET GO OF THE YEARという賞がもしあったなら、報われる思いもきっとあるはずです。
どうぞ心健やかに、くれぐれもご自愛ください。沢山のご縁に1年分また感謝しつつ、引き続きすべての地域の皆さんの無事を心から祈ります。
どうぞ、良いお年をお迎えくださいませ。

パシャパシャ!記者会見が続いています。
「どうしてトミーという名がついたんですか!」
「アメリカンなブランド、Tommy Hilfigerの子でしたので…」
目を伏せる私。パシャパシャ。
「トミーに申し訳ないとは思わないんですか!」
「あなたに…あなたに!トミーの何がわかるというんですかっ!…もういいですか、ううっ(泣)」
…とかね。
ふう。今日も楽しいな。
今、トミーを捨てた私は、新たに、ふわっふわの、暖かい部屋着で過ごしています。袖口はもう、やぶれてません。ちゃんと自分を労っておりますよ。…はっ!これも深緑だ、なぜだろう。安心の色…。
パンデミックのおうち時間のおかげで、去年と今年、いろんなものやことを整理整頓する時間ができてよかったです。捨てるだけじゃなくて、靴を直したりとかもしたし。そうそう、捨てるが全てなわけじゃない。直す、直せる、は、嬉しいことです。
トミー以外のもので、大学生の時に買ったものやお下がりも、いまでも使っているものがたくさんあります。コートとか、かばんとか。でもそういう直せば直るものって全部、本当に良いホンモノだったりするんだよなあ。20代の皆さん、恐れずに良いモノを見極めて買っておけば、きっといいことあると思います。
友人は人間関係の整理を始めました。 姉1はムカデモンスターばりの大量のストッキングを整理していました。 母と姉2は、忙しすぎて断捨離は来年に持ち越し。 私は主に、時間と心の使い方を整理しました。
2021年、めっちゃへこんだこともあったし、白目むきまくったことも色々あったけど、とてもいい年でした。感謝感謝。新年が来たら、またいい風が吹きますように!