LOVEのひろいばなしVol.3「おでん」

「この教室は“おでん”です」

…え、そうなんだ。

中学1年生のホームルームの担任のM先生の言葉です。私の母校はインターナショナルスクールですが、この先生は日本人でホームルームも日本語です。と言うと、「えっ?何かイメージ違う!」と言われますが、いずれ説明していきましょう。

「あなたたちはそれぞれにおでんの具なのです」

牛すじ役はなんとなくイヤ、などと思いながら聞いていた覚えがあります。彼女は国語の先生で、はっきりした物言いをしますが、決してどぎついタイプではなく、溌剌としたものすごく魅力的な女性だった気がします。クラスメイトを見渡してM先生は話を続けます。

「良いですか、もしおでんの具が全て大根だったら、それはおでんじゃなくて大根鍋」

いや、ほんま、そらそやな。

「みんなそれぞれに持っているものが違っていい。個性があって良い。そんな素材が自分の味を出すからこそ、出汁が美味しくなるんです。自分らしくいながら、みんなと良いハーモニーを作る。私たちは今からおいしいおでんを作るんで、よろしく」

ほほお!!めちゃくちゃわかりやすい上に、めっちゃ良いこと言ってる!!と12歳の私は思いっきり感動しました。いまだによく覚えています。

2年後、中3の時も、同じ先生が担任でした。小さな学校なので学年全部で100人くらい?でしたっけ。みんな顔馴染みだし、交流が多いので名前も全員わかります。中1とはまた違うテンションで少し生意気にもなった頃です。ある朝、M先生がホームルームで、ちょっと話がある、と切り出しました。

「あのな、最近『仲良かったはずの友達と仲良くなくなってきて悩んでる』っていう相談が数件きてる。『一緒にクラス移動したりランチ食べたりしてたのに、悲しい』って」

これには、私も当事者意識があったので、ぎくっとしました。そういえば、最近ランチのメンバー、変わったなと。怒られんのかなって思ったんですよね、M先生に。そしたらM先生、

「当たり前やろ、成長してるんやから」

…バサーッと。話は続きます。

「あんたら、毎日すごいスピードでいろんな経験して自分を作っている最中やから、昨日とか去年とかと同じなわけないやろ。気が合う、合わへんのタイミングは各自成長の度合いによります。うじうじ考えるのは違うで、特に女子。そんな暇があったら勉強でも部活でも、自分にもっと集中しなさい。同じ人たちばっかりで話すんじゃなくて、どんどん違う人と一緒に遊んだりプロジェクトやったりすればいいんです」

ほほほほほおおおおおおおお!

めちゃくちゃわかりやすい上に、まあまあ厳しいこと言ってる!!!笑

女子特有の群れる特性を指摘し、なぎ倒し、一人で立てと。

ほんと目から鱗が落ちました。そしてとても安心したのを覚えています。

結果として私は、中学から高校まで一貫校だったにも関わらず、毎年一番つるむ頻度が高い子が変わっていきました。クラスが一緒になった子、部活で一緒の子、学年が違う子と一番仲良くしていた年もあります。え、去年もっと仲よかったやん、と寂しい思いをさせた友人もいたかもしれません。

そしてその間、つるんでないのに大事なタイミングで集まって話をする、そんな固定の友達が数人いたのですが、彼女たちは揃って独立国家タイプでした。放課後地元でバイトする、家が遠いから放課後は遊ばずに即帰る、学校外でスポーツをやってるからそっちを優先してる、などというマイワールドを持っている子たち。むしろ私は学校内に残って満喫するタイプだったのですが、彼女たちは学校が全てちゃうやろ、と言わんばかりでした。結局、今でもそういうタイプの人たちとの友情が続いています。

大人になってもいまだにあります。成長のスピードによって、話が合わなくなる友達がいます。逆に話が合うようになる友達も。そりゃそうです、それぞれタイミングってありますもんね。より、年齢も関係なくなっていきますね。でも、それが悪いことだと思わずに、気まずいなと思わずに、お互いに変化を見ていられるような友情が好きです。数年経って再会しても良いじゃないですか。距離感はいつも同じじゃなくても大丈夫。

30代後半の友情、結婚や子どもについてなど、話題が繊細にもなってきました。

「うじうじ考えるのは違うで。特に女子。そんな暇があったら勉強でも仕事でも、自分にもっと集中しなさい」って、M先生、今でもきっと言うと思います。

 

大人になってから成長にムラが出てくるところ、私は特に2点あると思います。「死生観」と「お金」です。たとえば、親が病気になったり、家族を亡くしたり。また、結婚、転職、独立のタイミングなど。責任感が急成長させざるを得なくなるような外的な出来事。それは強制的に降ってくるものでもあるので、経験するタイミングは人それぞれだと思います。もちろん子どもの頃にとっととそれらを経験する人もいます。

いずれにしても、「生死」の尊さと繊細さを知り「お金」の大事さと怖さを知った人は、他人に無神経なことを口にしない傾向がある気がします。一部、大騒ぎしながらそれらを乗り越えようとする人たちもいますが、それもそれで方法です。

大人には、教室も卒業式もありません。ですから、おでんの鍋は、私というライフの器そのものになりました。会社なりプロジェクトなり、その場を出たらおしまいな関係性もありますが、たとえ仕事で出会ったとしても友人でいられるような人に出会ったら、私はいつも「今これ、また良いおでんになってきたな、私の人生」と思います。いろんな人達がチャプンと来てくれますし、私も他人の鍋に、よく長居します。って温泉かっつうの、笑。

「ぎんなん」とか「ちくわぶ」とか、子どものころは「…いる?」と思っていたものが、同じ鍋に入ってることが気にならなくなってきました。困った友人がいるときなども、おでんの具に当てはめてみると楽です。腐りそうな具材は、その気配がするやいなや、鍋から出せば良いです。また、大人になっても大根ばっかりでつるんでいる人たちは、一生大根鍋をやっていれば良いと思います。それはそれで、名物になるくらいうまい鍋になるかもです。そしたらきっと私も食べにいくと思います。ゆうても大根、好きですので。


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