LOVEのひろいばなしVol.2「泣きそう」

今日は、ラジオでインタビューを「する」ということについてのお話です。私の場合「される」「する」を行き来しておりますもので、妙なもんです。

皆さん、想像してください。

そもそも私自身、現役のいちアーティストです。友人ならまだしも、新人さんから大御所さんまで、皆様の前で、ましてやご本人の前で、あーでもないこーでもないと作品について解説していい立場にあると思います?

今でこそ腹落ちしていますが、この一点において延々と悩み、いっそ辞めたら楽になれますか、と白目を向いていた時期もありました。特に大先輩や、世に圧倒的な影響を残している方々の作品についてコメントするときなどは「お前、誰やねん」と私自身が誰よりも思っています。

TOKYO FM LOVE CONNECTIONが2010年に始まってから、今ではALL-TIME BESTという番組になり、早11年目。ゲストインタビューさせていただくと、時々「泣きそう」と言って帰っていく人がいます。なぜそう言っていただけるのか、理由がわかる気がします。

我々、POPSを愛し、POPSを誇り、POPSを掲げるアーティストだもの。自分の名前で看板を張ると同時に作者である場合は、伝えたいことは全て作った音楽の中に宿らせて完成させているはずなのです。もし何の気なしに言葉だけを世に投げてしまったら、聞き流されたり、怒られたり、下手したら誰かを傷つけてしまうかもしれないし、なんならパーソナル過ぎてそもそも言いたくないことかもしれないようなことを、我々はわざわざ歌にしています。言いづらいことをオブラートに包んで届けられるから、とかじゃなくて、歌に乗せてこそやっと成立するようなものだったりします。

話せば30秒で済む、もしくは一生かかるかもしれないことを、必死で、知恵と経験と技術と感性を注ぎ込み、曲にし、人様にお聞かせするに値するものに仕上げる。我々はそういう職業をやっています。

な・の・に!!!

そうやって完成させた曲を、自ら話し、言葉にまた変換して皆様にプロモーションするというのも我々の仕事のうち。その機会自体は必要だしありがたいことだとは重々承知しているものの、ああ、なんたる野暮さ。

簡単に言おう。

一番こだわっていることや一番大事に込めたものを、我々は多分、ほとんど言いません。大体が自分で言うとカッコ悪くなることを知っているのです。だからです、誰かに思いを届けようと思ったら、10分話すより、1曲かかることに本当に意味があるんです。

一方、自分で言ったらカッコ悪いことが、他人に言ってもらうことで届くものになるというマジックがインタビューです。これ、「される」側のときは私もコントロールが効かないことなのですが、「する」側になると選択権が私に委ねられます。

曲をご本人が書いているものであれば、聞けばすぐ核になってる思いがわかる作品もあるし、そうじゃなくても「あ、迷ってる時期に書いていたんだな」とか、書き手の状態がわかるまで私は聴き込みます。毎回的を射ているかどうかはわからないけど、それを感想としてインタビューの中で伝える。ただし、アーティストを喜ばせるためだけの代弁は絶対にしないようにしています。本気で作品を作ってる人間を、作品をさておいてチヤホヤするのは一番くだらないことです。

「泣きそう」と言ってくださった方々は全員、私が心から尊敬する作品の作り手です。うまいこと思いが重なってくれたとき、お互いに通常の「せやねん」が、「せやねん、なんでわかるん」になって、最後には「泣きそう」ってなってくれるのでは、と思います。

ところが先日、非常に珍しいパターンがありました。

東京事変、椎名林檎さんのインタビューを担当させていただいたんですが、逆に私が最後「泣きそう」になったんです。

「今の日本の問題点を明確にし、他人との距離感や自分の価値を確かめる指針を示して、持つべき目覚めと謙虚さを持って、今一度軽やかなテンションでストリートを生きていけと言われているようなアルバムでした、合っていますか」というようなことを、インタビューの最後に本心の感想として伝えました。

それを聞いた林檎さんが「作り手として報われました」と言ってくださったのですが、そしたら私、瞬時にブワッと「泣きそう」になったんです。こちらこそ報われたような感覚でした。

帰ってから考えています。あれはなんだったんだろうなあ。答えはまだありません。

逆「泣きそう」。とっても尊い経験でした。


この1年半、世界も日本もずいぶん混沌としました。

少し前までは、みんなに共通していえることがあったと思います。「それでも明るく」とか「それでも協力」とかですね。今は、そんな言葉さえ届く余裕のない人たちもいることを踏まえ、誰も間違いにならないように心がけながら、人前で話し、歌う私です。つうかそもそも、コロナ関係なく人生みんな個々に色々あるしね、ってそんなことを私が日々考えていたこの間、アルバム「Resonant Grace」を私が作り終えたぐらいのタイミングから、今回の東京事変のアルバム「音楽」は作られていたわけですね。

いろんな作品が、各アーティストの人生のタイミングと相まって生まれて世に放たれていきます。私もその大きな「音楽の作用」の一部です。ジョンレノンがあれだけやってもIMAGINEのスピリットは未だ人の世に十分には反映されていないですし、いちアーティストだけが世を照らすような作りにこの世界はなっていません。

音楽以外でも、政治でも、会社でも、家庭でも、そんな特別な「ひとり」はいませんね。ヒーローがいない、リーダーがいない、とぶつくさ言いたくもなる時代かもしれませんが、んなこたあ昔から当然なのかも、です。じゃあどうします?って話ですよね。

どの時代も同じでしょうか、いち早く「文句言いたいだけ大会」を離脱した者から、自ら進んで考えてその時々に必要な役割を果たすのだと思います。で、結局「みんなで」頑張るしかないんだよと。あの偉大な林檎さんもそんな遠からずな思いをもってらっしゃるのかも、と感じたからでしょうか。「おもむろに勇気が湧いた」、これが私の「泣きそう」の正体…もしくはその一部だったのかもしれません。


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