LOVEのひろいばなし Vol.19「傷に見えて傷ではない」

私の顔、小鼻の脇には、傷があります。
ほとんど目立たないし、人に指摘されたこともないです。自分から「実はここに、さっくりと見えるでしょ」と指差すと、あ!本当だ!とわかってもらえるくらいの傷です。
傷自体は大きいのですが、鼻の小鼻のカーブにそって綺麗に残っているので、顔に馴染んでいるのでしょうね。思春期の頃、鏡を見つめて「ここにこんな傷さえなければ」などと泣いたこともありませんし、「どうしたん、それ?」と同級生に聞かれることも特にありませんでした。
ところが、デビューしてまもない頃、メイクさんに「あああ、可哀想!こんな目立つところに傷があるなんて!!綺麗なお顔がもったいない!!」といわれたことがあります。
あのときの「あん…?」という感情、今、顔を洗っていて、ふと久々にこの傷に目がいって思い出しました。
長年違和感がなかったのに「そうか、これは世の中では恥ずかしいことだったのか」と初めて知らされと同時に、それほど大袈裟に哀れんでいただく覚えもないのだが、というかすかな不快感。ただし「綺麗なお顔」と褒めていただいていることで相殺するのがマナーなのだろうな、と瞬時に先回りした18歳の私。
あの日のどこぞの放送局の楽屋に、今の私がバーンとカメラを引き連れて登場することができたとして。18歳の私の隣にササッとひざまづいて「どうですか!正直なところ、今のお気持ちは!!」とマイクを向けることができたならば、「ゲーノーカイ…なんかもう感じ悪いです」と答えていたかもしれません。
だって、この傷は傷なんだけど、傷じゃないから。楽しい思い出しかないから。
5歳の頃でした。
この頃と言えば、私は3姉妹の末っ子ですが年が離れているので、ほぼ犬とか猫と同じ扱いだったと聞いております。ということは、可愛がられてはいたものの、やはりどこかペット的に、だったそうで。おちょくったり、ものをとりにいかせたり、嘘を吹き込んだり、「マドンナのライクアバージン歌ってみて」などと急にアダルティな洋楽を仕込まれたり、あるいは放置したり。
ただし、当の私は5歳の脳みそで「お姉ちゃんが遊んでくれている!!」と毎回ハフハフしておりました。この「遊んでいただいた」シリーズは数知れず。もちろんこちょばされるときは果てしなく、「やめてええええええええ」と泣き叫ぶまでがデフォルト。やがて“楽しい”が“なぜこんな目に合っているのだ”に変わるのですが、やっと開放されて、涙をぬぐいながらふうふう息つく時になると、心の片隅で「…なかなかの収穫、しっかり遊んでもらった…」と喜んでいるという。妙なMっ気が育った原因は、姉(主に長女)にあります。
で、姉が暇で私に興味がある日はいいのですが、ない日が辛い。母も然り。
7個上と10個上の姉たちは、すでに12歳と15歳、つまりは立派なティーネイジャー期を迎えており、自分のことで精一杯。母も思春期の娘を2人抱えている状態。3女が何やらニャーニャーいってる音声なんぞ、脳内消去するのは慣れっこだったんでしょうね。
「ねえ、前髪が伸びたから、切って」
ニャー、ニャエニャミガノミナガニャ、ニッテ。
「ねー、切って」
ニャー、二ッテ。
「切ってってば」 ニッテッテニャ。
「…。」
リビングのセンターで主張したにも関わらず、全員気づかず。
仕方がないので、その日私は生まれて初めて自分で前髪を切りました。
しばらくしてもう一度リビングの入り口に立った半泣きの5歳児にやっと気づいた一同、生え際ギリギリまで切り上げた私のマヌケ面に笑いを必死に堪えたそうです。「ど、どうしたん」と、5歳児の尊厳を傷つけまいと(姉1は堂々と笑っていた気がしますが)。切ってしまったものはもう戻らないので、この時期の幼稚園での集合写真などは、おでこギリッギリまで全開で、全面的に不服そうな私がこちらを睨み付けている写真がいくつか残っております。
そんな私が、いまだかつてこんなに注目を浴びる出来事があっただろうか、という出来事が「小鼻の傷」事件なのです。
我が家の冷蔵庫は、右半分が冷蔵庫、左半分が上下に分かれている冷凍庫、となっておりました。
まだ小さい私でしたが、上の冷凍庫の取手を開けることはできました。その扉を開けた内側には氷をストックしておくポケットがあって、手を伸ばせばギリ氷とれるかも、くらいの高さ。
その日、何を取ろうとしていたのかは記憶がないのですが、えいっと手を伸ばして上の冷凍庫を開けた瞬間、何かが落ちてきて顔面にガーン!!とヒット。ザザー!バラバラバラ!っと音がして、瞬時に目を閉じたけれど視界には漫画みたいに星が飛びました。
何が起こったか分からないまま固まっていたのですが、さすがに大きな音がしたのでしょう、姉たちが2人とも走って来ました。2人とも、ですよ。この時点でもうキャストが豪華。
「どうしたー!何があったー!大丈夫ー!?」
冷蔵庫の上はストックを置いておくスペースでした。どうやら1番手前に置いてあった豆をいれた大きな瓶が、冷凍庫側の扉を開けるたびにジワジワと手前にスライドしていたようで。私が開けた瞬間にちょうど落っこちてきて、氷のポケットでワンクッションしてバリーンと割れ、粉々になったガラスの破片と豆のシャワーを私は浴びたのでした。
周囲に飛び散った、豆とガラス。
「血がー!血が出てるー!!」
姉2、パニック。
「ティッシュやー!テッシュを詰めろーー!!!」
姉1の司令は絶対です。 実際には、ガラスの破片がかすめて小鼻から流血していただけの私ですが、一連の流れで「鼻血が出ている」ということになってしまい、司令を受けた姉2がムッギュムギュにティッシュを詰めにかかります。その圧により、後追いで実際鼻血も出ました。まだ顔にガラスの破片が残っていたのか、目を開けちゃダメ!といわれていたのを覚えています。
この間、5歳児の私は飛び散ったガラスの破片と豆のセンターに立ち、茫然とその場で空を仰ぎながら、騒ぐ姉たちの声を近くに感じ、そして明らかに定量オーバーのテッシュを鼻の穴に詰め込まれながらも、
「…なんという丁重な扱いを受けているのだ…」
と感動しておりました。姉が、2人とも!同時に!私を気にかけているだなんて!ありがたい…!と震える胸。大きな収穫。5歳児の心に深く刻まれた、完璧なシーン。
本当は、あの時のメイクさんに、この全貌を説明したかったのです。
ちょっと感性が偏った5歳児と、姉2人との歴史がここには刻まれているのですよ、と。傷に見えて、それは傷ではないのだ、と。違う意味で哀んでいただくならまだしも、顔に傷があることに同情していただく必要はないのです、とお伝えしたかったです。
はー、何年越しかで、すっきりしました。どうでも良い話です、読んでいただきありがとうございました。

左足首にも思い出の傷があります。
同じ頃か、この数年後くらいかな。まだ自転車の2人乗りが合法だった時です。姉2の漕ぐ自転車の後ろに座っていた、ちんまい私。
途中でどんがらがっしゃんと左足が後ろの車輪にはさまれてしまい、姉は慌てて自転車を止めました。
実家の目の前の道は、西国街道という江戸時代からの街道です。京都から下関、もしくは太宰府までつながっているそう。今はこのあたり、大阪の高槻駅の近くは関西大学のキャンパスができていて綺麗に整備されており立派な形相ですが、そのエリア一帯、元々はユアサ電池の広大な工場の敷地でした。歩道がしっかり整備されてなくて、どぶ川の上に鉄板が敷いてある、道路よりちょっと高くなっている位置を歩行者が歩き、自転車は車道をそろそろと走ってました。
「ユアサのグランド」と呼んでいた、工場内の野球場みたいなエリアは夏祭りになると開放され、音が割れたスピーカーから「♪高槻音頭だ、そーれそれそれー、ひとおーどーりー」という地元ならではの盆踊りソングが、1曲リピートで延々流され続けるという、今考えたらまあまあ耳に地獄なスポットでした。
まさにその交差点で止まった、姉の自転車。
「どうしたの?えっ?ええっ?」
姉2、またもパニック。
「足、からまったの?」
ヒクヒク、うん。
「見せてみ…あああ!血が!!ごめん!ごめんね!!!」
なんというか、いくらおちょくられても平気なのですが、逆に謝られるなんて、どうしていいかわからない。いつも面倒を見てくれている「姉」という圧倒的に上の立場の人が「自分のせいで!」とうろたえるのを見たのはおそらくその時が初めてで、逆にその状況が怖いというか、どうしたらいいかわからなくて。
足のくるぶしの内側がずるむけになっていたので、痛いわショックだわで立ち尽くしていたのですが、ヒクつきながらもなぜか、
「ここはユアサのグランドの横や…ここはユアサのグランドのすぐ横やで…ユアサのグランドの…」
と頭の中で位置情報を鬼リピ。事件現場を後で報告するためだったのでしょうね。
って、ほんとなんでこんなどうでもいいことを鮮明に覚えているのでしょう。痛みは忘れるけれど、5歳児の脳が強烈に刻んだことを今でも思い出せるって、記憶ってよくできてますよね。たしかその日は、そのまま出かけるのをやめて2人で歩いて家に帰ったかと。小学校高学年か中学生になりたてだった姉2の心中を察するに、彼女の方が心苦しかったに違いないと思います。
子どものころの怪我って、色あせないなあ。
公文の帰りに、調子こいて自転車のスピードを上げ、ギリギリまでブレーキをかけないという自分への賭けに出て、ドリフトしながら曲がりきれずに水を張った田んぼに自転車ごと突っ込んだ、とか。ドロドロで帰宅。
おつかいで向かいの薬屋さんの自販機にいったとき、自販機の手前にあったドブ川を、渡るときはちゃんと鉄板の上を歩いて渡ったのに、「導線を省略して帰りたい」という、これまた特に意味のない自分への賭けに出て、振り返りざま先に足を出し足元を見ないでドブ川を渡ろうとしたところ、ご想像の通り、スムーズな動きでドブ川に全身落ちる、とか。ドロドロで帰宅、パート2。
ていうか、子どもって。小学生とかの幼い子どもって。謎な感性。
これ私だけじゃなくって、ある程度似たようなことをみんなやるんでしょ?やらない?やってない?ありますでしょう、何かしらのアホな話。当の本人にとっては大きな出来事ですから、こうして何十年たっても覚えているものですが、そう思うと、その時々の周りにいてくれた大人たちの対応のおかげでいい思い出になっているのかも。
田んぼにしてもドブ川にしても、「は?どうしたの?いや、なんで?」と笑わずにまずは聞いてくれて、「ああ、そう…」とニヤニヤ半笑いで対応してくれた母や姉に今更ながら感謝します。
子育て世代になってみて、お子さんの謎な感性を面白がって応援できるママやパパの友だちはみんなすごいなと思います。子どもって面白いわあ、っていう感性を持っている親御さんたちのお話は、聞くのも楽しいですからね。きっと子どもたちの心には、かけてくれた愛情がピンポイントのシーンとともに、深く刻まれていることでしょう。