LOVEのひろいばなし #157「短く事切れる希望はただの期待、永い希望を持ちましょう」

さあ!久々の! 一時間一本勝負行きましょう!
オカンブレイク後の8月の復帰から、徐々に新たな生活とのペースに慣れてきたつもりが、わちゃわちゃでんがな。小さなことから大きなことまで、今日は言いたいことが2点あります。おい、宇宙。お前、どうなってんだ!っていう。
勢いに任せて、はい、まず一つ目。
「おい、宇宙!洗濯物、おかしくないか!」
なんなんですかね。もう一生分くらい、洗濯してる気がするんですけど。いつ終わるんですかこれ。
独り身のときってほとんど一週間に一回か二回で十分だったはずの洗濯。まじでなんなんですかね。といっても、洗濯は私の仕事ではなくファントムの担当で私はたたむ担当……ってすいません、先に説明します。
私、一応これでも婚活を誠実にがんばったんです。でも、一回「もうほんまにええわ、ようわからんわ、まじでもうええわ」ってなった最後のタイミングにて、息子の父になる人間と出会ったんですね。なので、その人間はもはやいるはずのなかった存在……それは幻、ファントムなのだと思うようになりました。
みなさん、いろんなことをパートナーに求めますよね。年収なりルックスなり、気がきくやら優しいやら、浮気しないやら。もちろん私も腹を開かれましたらそりゃあ超絶長いリストも作れるんですけども。ただ、期待すればするほど「あれができない、これができない、私の方が早い」などと、自分の欠点はさておき他人様の個性に苛立ってしまう。これがどうにもいけないな、まさに私の内なる課題だなと思いまして。
結果、「そうだ、この人間は幻なのだ、ファントムだと思えばいいのだ!」と思い至ったのです。
いるはずのなかったファントムならば、まずいるだけでありがたい。いつ消えるかもわからないのですから。
そして、ファントムが、皿洗ってるとか肉買ってくるとか。ありがたいというより、面白い。
話は戻りまして、洗濯って意外と天気だの分類だの頭を使うじゃないですか。その時間があるなら違うことに没頭したい私。ファントムトレーニングなるものをはじめました。ファントムが洗濯を自主的に担当できるようになるまで、あの手この手でトレーニングしたのです。一回言ってできなくたっていいのです、ファントムなんだから。
結果、半年かかりました。我がファントム、しっかりと天気を考え、分類をし、段取りをできるようになりました。
ですが、結局トレーニングされていたのは私の方なのです。
自分がちゃかちゃかできるからって、人が苦手なことを無理強いしない。本人が苦手だと思ってるだけで実は向いているものって結構あるから教えてあげる。新しいこと、やったことないことは、やってみないと苦手かどうかはわからないし、何度も失敗しないと上手くならないから、責めない、恥ずかしい気持ちにさせない。人のやる気を削がない。
そして気付かされたのです。何度か失敗するうち、遠回りしながらでも、やりゃあできるようになること。やらなきゃ一生できないこと。無理してやらなくても死なないこと。「未来」というものは、そんな3つくらいの「今」でできているということに。
そして、元来イラチ(短気:関西弁なんだって!知らなかった!)寄りの私です。短く事切れる希望なんてものはただの期待で、本当の希望はもっと永いもの。忍耐力を今一度ファントムに鍛えられているのです。
そうだそうだ、福島に永い希望が生まれるためにSOMA BLUE PROJECTを始めた私じゃないか。「放射能やらなんやらが半減して半減してほぼなくなるまでどれだけかかろうと、色褪せない青で描いた夢は希望はそれより永く続く」って言ったの、私じゃないか。永い希望は強いです。始まったときから勝ち!みたいな安心感のある強い気持ちです。私や私のSOMA BLUE PROJECTにご参加くださった皆さんは少なからず知っているはず。
理想として掲げたものがより実感を持って体に入ってきました。まさかのSOMA BLUE PROJECTの精神がファントムトレーニングにも生きているのです。
しかしながら。
永い希望というものを、家庭外のさまざまな人たちがいる現実世界に向けて視覚化してみせることはとても難しくもあります。
本日言いたいこと、2点目です。
「おい、宇宙。4年間、また試練くれやがったな」
です。
アメリカ大統領選、トランプ氏が再選しましたね。特にどっちになりそう、という予想はしておりませんでした。ただ私としては検察出身のハリス氏に少なからず「秩序の再建」を期待していたので、自分が何を感じるか、予想もついていませんでした。
最近のひろいばなしVol.154「集団の狂気」Vol155「民意ってもはや何よ」にて書いていた通り、私は群衆やら民意というものが私が今一番怖いと思っているものです。
案の定、日本のSNS上でトランプ氏再選を喜んでいる人たちはマスメディアの偏向報道を批判するなど「ざまあ」感がすごいことに。他者に対する寛容や、貧困層救済措置の発想よりも、「世の中信用ならない、ぶっ壊すに値する」の精神性。海の向こう、アメリカ国内のトランプ氏とその支持者たちの考え方(精神つぶつぶ)が、日本の私たちの社会へも影響する。アメリカ国外へも、両極化と対立心が共鳴しているのだなと頭ではわかるものの、なんだか非現実的な気分でおりました。
今回、トランプ氏が再選したら、私は自分のあり方を何か変えないといけないという予感だけがあったのです。
私たちは自分でものを考えているようで、たくさんのものに影響を受けています。まるで自分で選んだつもりの答えでも、誰かに掴まされていた答えかもしれない。
何を信じればいいのだろう、という問いによく音楽の歌詞などでは「自分を信じればいい」と答えをくれます。
ですが、私は今後は、自分のことをできる限り疑うようにしようと思いました。もう一度、謙虚になりたい。私も、本当に誰かに洗脳されていないだろうか、とか。良かれと思ったことを人に伝えて、偉そうに聞こえていないだろうか。自分の正気を保つために、私はちゃんと自分を疑おうと思いました。
今、アメリカにも自分を盲目に信じ込んでいる人と、そうじゃない人がいると思います。 彼らの間には深い溝がある。もはや橋は架からないほどに深い溝だと思います。とても悲しいことです。ハリス氏に期待していた人たちは大きな落胆の中にいる今週でもあるでしょう。 私はアメリカ人じゃないけれど、それでもやはり余波がきっと日本の私の人生にも来るんだろうなと予想します。
本当に必要としている人たちに私の声は届くかどうかわからないけれど、もう一度。
「短く事切れる希望はただの期待です。永い希望を持ちましょう」
次の4年より先を見据えて。この言葉を支えに生きてみようかな!と思っています。忍耐力、試される時代ですね。