LOVEのひろいばなし #151「三崎と私と吉村と老婦人」

ランチのピークを過ぎた頃に来店した女性は一人でカウンターに座った。どことなく具合が悪そうに見えた。昼下がりの回転寿司屋は空いていた。

備え付けの茶筒から、あがりの粉を湯呑みに数杯いれて熱湯を注いで混ぜる。ふうふう、と冷ましながら、ひとくち、またひとくち、女性は大事そうに飲んだ。先に注文を入れてから茶を飲む客がほとんどだが、女性は両手で持った湯呑みに顔をうずめ、ふうふう、ふうふう、目を閉じて飲み干すまで数分をかけた。もう一杯新しい茶を淹れてからやっと、女性はメニューを眺めはじめた。たった一杯のお茶でも、顔色が少し良くなったようにみえる。

カウンター席にはそれぞれ注文用のデバイスが置いてある。スクロールして客が自身で選んだメニューを、ボタンひとつで厨房に注文を飛ばすアレだ。正式名称を知る人は少ない。入店時に聞いたけれど、なんといったか、もう忘れたなあ。

店長はあれを「端末」と呼んでいる。40代後半の店長は、午後イチになると諸用で店をあけることが多い。その間、店内は板前の三崎さん、私、パートのおばさん吉村さん、の三人で回すことになる。上京してから最初の夏休みにバイトに入ってからまだ二週間だ。

吉村さんは主にフロアとレジ、お吸い物などのサイドメニューの担当なので、カウンターの内側には、私と三崎さんだけだ。

「厨房はセンターステージだからね」

元バンドマンだという三崎さんは、「お客さんから前後左右ぜんぶ見られているつもりで振る舞うといいよ」という。元バンドマンといえどまだ20代後半、板前修行に数年かけているはず、ということは、おそらく音楽は大学の軽音部でかじった程度だろう。センターステージって、武道館とか広いところでやるやつですよね、三崎さん。たぶんだけど、三崎さんはセンターステージに立って演奏したことはないと思う。

かっこがついているつもりの三崎さんの背中に垂れるエプロンの紐を私は目で追った。長さが左右で違う。いつだって結び目が適当なのだ。前後左右の、前「後」でもう三崎さんはつまずいている。

「ご注文ありがっさいまああーす」

まぐろ三種盛り、貝三種盛り、とびこ。手巻きにイカ納豆、いくら。そしてごぼう巻きもあとからすぐ追加になった。具合が悪そうだったのに、あの女性、よく食べるじゃないか。

「あ、さっちゃん、巻き、さっちゃんにお願いしよかな」

「あ、はい。えーっと」

「大丈夫大丈夫、握りは俺がやるから」

当然だろう。板前は三崎さんしかいない。

「あの、巻きは大丈夫なんですけど、手巻き寿司の方は」

しっ!と三崎さんが声を潜めてぐぐっと私のそばに体を寄せてきた。

「おっけおっけ。大丈夫、簡単だから」

初めてなのをお客様に悟られないように、というのはたぶん言い訳で、三崎さんは私のすぐそばににじり寄ってきた。巻き簾にのりを広げて見せてくれるが、どうにも距離感が近い。例の女性が、チラリとこちらに目線をくれたが見て見ないふりをしてくれているのがわかった。具合が悪い人にもバレるほどわかりやすい。お客様すみません、今からあなたの寿司は、サビ入り、そして板前からバイトへの好意入りで握られます。

「とりあえず俺やるから見てて」

三崎さんが手際よく作る手巻きを私が勉強している間、今度は女性の右隣におばあさんが着席した。

都会のおばあさんって感じ。ショートカットでカジュアルなパンツルック、高価そうなネックレスとイヤリングはお揃いのパールだ。回転寿司を楽しみにお昼を食べにきたご近所の老婦人といったところだろう。うちの田舎のばあちゃんよりも上にみえるから、70歳はとうに超えていると思う。品があって、可愛らしい。

席に案内してからさっさと引っ込もうとした吉村さんを、さっそく老婦人が背後から呼び止めた。

「あのねぇ、ごめんくださいねぇ、いいかしら?」

吉村さんが感情のない声で端末を指さした。

「注文はこちらからお願いします」

老婦人の可愛らしさと、吉村さんの無愛想さのコントラストがまぶしいほどに際立っている。ここ、客商売だけど、いちおう。

「それなんだけどねぇ。私ダメなのよ、これ、使えないの。それでいちいちあなたにお願いするのも申し訳ないでしょう」

吉村さんの全身が一瞬にして「めんどくさい」オーラで包まれた。

「だからねぇ、紙とえんぴつをいただけないかしら?そしたら、私が食べたいのを書いて、お渡しさせていただくから。ごめんなさいねぇ、お願いできるかしら?」

「あ、はあ……あの、ご注文は端末からになってまして」

老婦人がこの店に来たのは、おそらく今回が初めてじゃない。承知の上で頼んでいるという申し訳なさと、できないことじゃないのは知っているという自信が言葉尻に滲んでいた。

「そうよねぇ。ごめんなさいねぇ、でも私ねぇ、これ、わからないのよ。お若い方は皆さんお使いになるけど、難しいのよねぇ。私が食べたいもの、紙に書いてお渡ししたら作っていただける?お願いできるかしら?」

老婦人は今度は三崎さんを見た。

店長のいない時間帯、彼が責任者代理だ。ただ、小心者の三崎さんはとっさに堂々とは振る舞えない。

「あ……じゃあ…紙」

ぺこ。

お客様に向かってなのか、吉村さんに向かってなのかわからない中途半端な一礼だった。

「どうもありがとう、助かるわぁ」

そして一同は無言になった。私は手巻きを作った。三崎さんは寿司を握り、女性は三崎さんが握った寿司を、まぐろから食べ始めた。そして吉村さんは奥から紙と鉛筆を持ってきた。

老婦人は吉村さんに会釈してから、さらさらと鉛筆を走らせた。時折カウンターの上に貼られている魚種を見てはいたが、食べたいネタはおおまかにもう決まっていたようだ。数分が過ぎ、再び吉村さんが呼ばれた。

「これで、お願いしますねぇ、どうもありがとう」

「……めねぎは、ないですね」

紙に目を通した吉村さんのあまりのぶっきらぼうさに、隣の女性までがピクリと反応している。もはや今日のカウンターは、愛嬌と無愛想の戦場だった。

「あら、じゃあ結構です、どうもありがとう。あと、わかめのお味噌汁もお願いします」

「……わかめの味噌汁もないです」

「あらそう?」

女性の寿司を食べる手が止まった。右半身すべてが、老婦人と吉村さんの攻防戦に聞き耳を立てているようだった。そして女性は端末をチラッと見やり、手に取った。メニューをスクロールし、おそらく味噌汁のページを確認している。女性の頭上に((( 絶対 味噌汁 あっただろ )))と大きな字幕が浮かんで見えた。

以前、老婦人はここでわかめの味噌汁を飲んだことがあるに違いない。私もそう思って助け舟を出したいが、いま進行形で手元ではうまくシャリがのりに広がらないし、本来フロアは吉村さんの守備範囲だしで、タイミングがつかめない。

「今日は何かのお吸い物かしら?」

「……あおさの味噌汁ならありますけど」

女性が思わずのけぞって天井を仰いだ。またも頭上に字幕が流れている。

((( あるじゃねえか わかめが あおさになるだけじゃねえか )))

「じゃああおさのお味噌汁でお願いします」

それでも笑顔を絶やさない老婦人に吉村さんはなおも続けた。

「あのう、すみません、サイドメニューは端末から注文入れてもらっていいですか」

((( なんでだよ! )))

私の心の声と女性の頭上の字幕が重なった。今度はさすがに三崎さんが割って入った。

「あ、大丈夫です。あ、よしむ、らさん、うーんと、あ、出して。もらって、味噌汁、大丈夫なんで」

三崎さん、話しながらコクコクと何にうなづいているのかよくわからない。そして間に割って入るにはあまりにも日本語の文法がおかしいが、この場をなんとか収めてくれたのは結局彼だった。よくやってくれた。もう少し早く介入して欲しかった点だけが悔やまれる。

一部始終をヤキモキと見ていた女性は、大きなため息を隠すように、私が初めて巻いたまあまあ大きいイカ納豆の手巻きを一口でほおばってもぐもぐと咀嚼していた。よかった、美味しそうに食べている。かくして、昼下がりの回転寿司の陣は、愛嬌の勝利に終わった。

「どうもありがとう」と老婦人は一同にニコニコと会釈し、機嫌良さそうに一人でお茶を淹れて飲み始めた。

三崎さんは相変わらず全ての動作に「かっこいいだろう」という私へのアピールを含みながらまな板をふいていた。

具合が悪そうだったはずの女性は、吉村さんへの苛立ちも相まってかキビキビと元気を取り戻し、寿司をパクパクと食べ、さっさと会計を済ませて出ていった。

そうだ、思い出した。あの端末は、正式名称を「オーダーハンディターミナル」という。

いろんな飲食店で導入されているアレは、本来、注文の始点と終点をお手軽にハンディーにつなぐためのもの。まさか吉村さんがその交通のすべてを麻痺させるとは思わなかった。どちらがマシンなんだか。

((( 端末がなんだってんだ)))

私の頭上には、このあとシフトが終わるまで、ずっとそんな字幕が流れていたと思う。


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