LOVEのひろいばなし #146「ロンパ・ーズ」

面白いもので、赤子って、着せるものひとつで如実に可愛さが増したり減ったりするんですね。ポロシャツ着るとちょっとおじさんぽいですし、じんべえ着せると渋いですし、おくるみ着せると赤子らしいですし。
我が息子ですが、今のところ一番似ているのが平泉成さんです。
「きょうこさんっ、やめなさいっ、そんなことをしてお母さんが報われるとでも思うのですかっ、やめなさいっ、きょうこさんっ!」
火サスにて、どこぞの海っぺりの絶壁に追い詰められて行き場を失った犯人をいつも説得している人ですね。いつも犯人思いの善人顔でいらっしゃいますので、光栄ですね。安定した中年風情、ほどよく気に入っています。
さて日本の乳児期の子ども服ですが、病院で着せてもらったガウン然り、お着物の容量で前開きになっているものは、大変着替えさせやすい。一方、外国の友人から頂いたロンパースってのは、手足も全身スーツに近い形状ですので、おむつ替えが若干面倒です。
ですが、その面倒くささとは比較にならぬほどの、ロンパースのべらぼうな可愛さ、ですよ。
赤子型の袋にぴったりと袋詰めにされたかのようなあの形状。ムズムズするほどの可愛らしさに溢れていますね。手足をジタバタさせて、身動きがとれるようなとれないような。ギフトをくれた友人達への感謝も込めて、よく着せていたロンパース、暑すぎる夏が来る前の、束の間のお楽しみでした。
さて、同じ頃。
まさに私が約4ヶ月のオカンブレイクをいただいている間、外の世界では、真逆の「ロンパ・ーズ」が話題でした。まったくもって可愛くないどころか、憎さ余ってちゃぶ台を真っ二つに割ってしまいたいほどの。そう、「論破こそが正義!」という「論破―ズ」のことです。
東京都以外にお住まいの方々にどれほどのニュースが届いていたかは私もわからないですが、東京都知事選の候補者が「論破系」の刺客だということで改めてニュースの見出しには「論破ブーム」などという単語が踊っておりました。
「おい、見出しを作ったどこぞの誰か。おでこから2cmの距離でお前さんに言いたいことがある。2点ある!!本当は5点ぐらいあるけどな!!」
哺乳瓶を洗いながら、やかんより熱く蒸気を鼻から出していた(ホルモンってすごいね)初夏の私の思いを、晩夏の私が今日はなるべく冷静に代弁させていただきます。いかんせん、この4ヶ月間、こういう世の情勢などに物申す機会もなく。浮世の流行ごとの流れの早さにちょっと待ったをかけるものひろいばなしの使命でしょうか。そっと流しておけばいいものを、わざわざ拾って参りたいと思います。
まず1点目。
「論破系」といつしか呼ばれ始めた人たち。ひろゆき氏、古市氏、そして都知事選候補者だった石丸氏、他にも「論破系YouTuber」などなど。まくしたてるような口調で理屈を並べ、なんらかの「スカッと」感を提供する人たちがメディアによって「論破系」と括られているわけですが。
「全員、ぜんっっっっっぜん本質、違うからな!!!!」
です(哺乳瓶しゃこしゃこ)。
イメージしてください。本棚に、本がぐっちゃぐちゃに並んでいるとしましょう。順番も、上下もむちゃくちゃな棚があったとしましょう。カオスですね。そしてカオスに秩序をもたらすのが、整理整頓するための論理=ロジックだと思ってください。
で、会ったことない人たちについて勝手な私見で申し訳ないんですけども。
まず、本をあいうえお順に並べることでどれほど今後の無駄をなくせるか、自分でも本を整理しながら人を説得せずにいられない特殊な気質に生まれた人が、ひろゆき氏。あれはおそらく体質ですので素人がただがんばっても真似はできるものではありません。
続いて、他人がどう思うかは気にしない。とにかく自分のために本を整理せずにはいられないのでひたすら学問的に整理し続けていたらその性格が結果的にメディアに重宝され、ひいては政府機関からも有識者としてニーズがある人、古市氏。彼の場合、同じくそういう体質が必要な上に、学問と知識が必須なので素人が真似するならまず勉強するところからです。
最後に、自分から本棚の整理はせず、この無秩序の原因を作った人たちこそが悪いんだからちょっとは怪我してもらうのが妥当じゃないか?と本棚ごと倒すかどうかを選挙の場を使って「二択で」他人(民衆)に問いかけたのが、石丸氏。この手法は、実は一番安易で、誰でも真似ができる論法です。人は二択で聞かれると、どちらかを答えないといけないという気持ちになるものですから。
さて、彼らが全員一緒の文脈として「論破系」にされていることが、私はものすごく気持ち悪い(それこそ本棚がぐちゃぐちゃになっているのが耐えられないばりに気持ち悪い)のです。見出しに収まらないのはわかるけれども、メディアの皆さん、明確な違いを認識していただきたい。
さて、続いて、2点目がこちら。
「論破がスカッとするのは、ストレスや復讐心がある人だけ」
今度は我々、受け手についての話です。
本当に裏金問題とかね、もやもやムカムカする話題がいつまでたってもビシッと整理整頓されないですが、そんな中で誰かにビシッと言ってほしい!という願う気持ちが生まれるのは超わかる。
でも私の胸がザワザワして仕方ないのは、けっこうな人数の人たちが「論破」を見てスカッとしてる、というか、したいらしいということ。メディアはそれをキャッチーにもてはやしはすれど、私たちをいなしてはくれないということ。そして、「論破」というものがバラエティの枠を超えて、選挙や政治のフィールドを侵食していることに危機感を覚えるどころか、むしろ面白がっている人たちが一定数いるということ。
民主主義において、「議論」は必要ですが、「論破」は全くの逆のもので不必要であるばかりかむしろ邪魔なものだという前提、その認識がずっぽりと欠けているように思うのです。
「論破って文字通り破壊的なもので一番あかんことや」っていう話をしている人、私が見かけたのはR&BシンガーのSYRUPさんくらいです。都知事選の後になって、石丸氏の態度に落胆した支持者の方は多かったようですが、なんとなく問題点が明確にならないまま時が経っていくのも気持ちが悪いので、それこそ「これだよ」って整理しておきたい。
アメリカの例を見てみると。
大統領選になると必ず二人の候補者がテレビで議論を交わすディベートがありますが、実は「論破」ってディベートにおいては反則なのです。マナー違反、減点。意外かもしれませんね。
民主党、共和党、両候補者はいずれにしても国の利益について、それぞれの政策の見解を述べる。同じ課題でも、相手がもし理論的なスピーチを展開したなら「その点は大変よく考えられているようですね。とはいえ私の場合は○○を△△とは捉えず…」などと、いかに論理的に相手との違いを聴衆に示し説得力を持つことができるか。そういうロジカルさと、口のうまさも含め、「議論力」はひとつ政治家の度量として注目される点でした。聴衆もそのように耳を傾けてたはず。
……トランプ氏が出てくるまでは。
「私自身、犯罪と同じやり方でこれまでお金をもうけてきた人間なので、犯罪者の考えがわかるんですよ。だからこそよりよい政策を作れます、移民は犯罪者なので排除しましょう。移民にあなたの職を譲るか、移民を排除するか。どちらがいいですか?」
これは実際にトランプ氏が使った驚きの論理ですが、これを私は10代のこじれ開き直り論法と呼んでいます。本棚を倒すかどうか論法、ですね。
みなさんご存知の通り、彼は当選しました。最初の選挙の時、多民族国家のアメリカの多大なるストレスを味方につけたのが勝因の一つ。人種差別的な人たちはもちろん、そうじゃなくても移民に仕事を奪われたと思い込んでいる白人貧困層、増えるアジア系と隣接していて迷惑しているラテン系エリア、など、ありとあらゆる規模感で、それぞれの内事情で、「自分と違う人たちへのストレス」があったからこそ「一理あるな」と傾いた人たちがいた。
そしてトランプ氏の開き直り論法選挙はひとつの勝例になりました。
以降、建設的な議論ではなく「論破」したもの勝ち、「一理あるな」とさえ思わせることができれば過激であることは許される土壌ができてしまったように思います。
今回の石丸さんの支持率の上がり方を見ていて、私は小規模版トランプ氏を見ているような気持ちでした。色々な意味でトランプ氏とは実情が違うので重ね合わせるのも本当に一部分ではあるのですが。指示した方々は「一理ある」「現状が打破できる」と期待したはずです。
裏金問題でいよいよ自民党の支持率は下がり、都知事選の頃までには、本来の自民党の支持層ですら「許せない」と政治全体に対する不信感と恨みが募っていましたね。今もそうですけど。石丸氏が使った、「老害」ですとか「政治屋の排除」という単語は、まさにその「嫌いなもの」にイライラさせられてきた素直な人たちのストレスには大変響く言葉だったと思います。気持ちはよくわかる。
トランプ氏当選の際に見かけた一番しっくりきた言葉を紹介します。私の好きなイングランド出身、アンビエント音楽家、ブライアン・イーノの言葉をざっくり引用します。
「それがなんであろうと、嫌いなものを共通言語にして(一国の)指導者を選んだ多くの人たちの発想自体が差別的で未来を阻むものだ」
ハッとするものがありませんか。
私の中にも「裏金問題で逃げてる政治家は根こそぎ財産を取り上げて二度と議席に座るな」ぐらいの嫌悪感がありますので。っていうかこれって復讐心?罰を与えたい気持ち、私の中にもあるんです。
今回の選挙に限らず、うちの甥っ子ふくめたくさんの10代や若い世代が「論破系」に惹かれている傾向があるとするなら、それだけ、「大人って嘘つきじゃん、筋が通ってないことばっかじゃん、ふざけんな、罰を受けろ」って思ってる人が多いのだと思います。そう思わせる悪例が多い証拠だと思います。
SNS世代は、ちゃんと自分で考えて、論破系政治家やチャンネルを選択している人も多いはずです。そこに「論破系」とか「論破ブーム」というメディアの煽りもある。
こと選挙の候補者を選ぶ場合には、もっとその先に大事なポイントがあるということを、もうすぐ18歳になろうとしている甥っ子たちとも会話する機会があったらいいなとおもうのだけど。危なっかしい気がします。
「あの人たちなら本棚の下敷きになっても仕方ない、それが因果ってものでしょう?一理あるよね」
という論理の「正義」もどきはこれからも出てくると思います。「一理ある」ってやつ、危険信号だと思うんだけどなあ。
嫌いなものややっつけたい人たち、罰を与えたいという気持ちなどを共通言語にして選ぶ未来の先には何があると思う?って聞けばいいのかなあ。
端的に言うと、最終的には戦争があるってことだと思うんだけど。ていうか、そもそも本棚は倒すもんじゃないから間違った二択を迫られたときは絶対に交わせって話なんだけど。
アルファベット順にするか、あいうえお順にするか、色別にするか。あと、もっと面白い本を書く人が増えるようにできないか。予算を組んで新しい本棚を買えないか、それとも古い本棚をリサイクルしてみるか。
そういう「好きなもの」を描くための方法を探すための会話を「議論」で、「破」はいらんのだよ、と、どこに向かって言えばいいんだろうな!
私は誰かが倒すかもしれない本棚の前で、安心して昼寝する気にはなれないし、ましてや可愛いロンパースでハイハイしようとしているミニ平泉成さんを寝転がしておく気にはなれないです。そんな自分すら、時と場合によっちゃあ「本棚を倒してもいい場合がある」という発想になるかもしれない民衆心理、その可能性にゾッとします。うむ、修行が足りん。人間、怖い怖い。スカッとしたい時の選挙とかって、今後もほんと要注意案件ですね。
論破系などというものは存在しないです。「全員、ぜんっっっっっぜん本質、違うからな!!!!」。
そして、「論破がスカッとするのは、ストレスや復讐心がある人だけ」。
以上、初夏の私からの伝言でした。哺乳瓶、引き続き、泡泡、シャカシャカ。