LOVEのひろいばなし Vol.133「二○二三年です」

私の名前は、「二〇二三年」といいます。苗字はありません。私の命は生まれた時から三六五日と決まっていて、もうすぐ私は寿命を全うします。お節料理はお正月からだというのに、ラヴさんの家族が早くもお重を開けて数の子だなんだを我先にとつまみだしてから数時間後、「3、2、1、ハッピーニューイヤー!」とラヴさんがどこかで叫ぶ瞬間に、私は消えます。
私と同じ名前の子は、実はたくさんいます。あなたにも、彼女にも、彼にも、あの子にも、「二〇二三年」は寄り添っている子がいるはずです。
私はラヴさん専用の「二〇二三年」でした。
前任者の「二〇二二年」を知ってる方もいらっしゃるかもしれませんね。彼は、ラヴさんが布袋さんの大晦日公演を終えて零時直前に帰宅し、開いたケージからペットのうさぎが飛び出して、猛ダッシュ空中ジャンプを決めたのを見届けてから消えました。そしてその瞬間、私が誕生したのです。
ペットの空中ジャンプに「卯年だからか!」と声を出してリアクションをしたラヴさんは、そのままハイヒールを脱ぎ捨てて解放された足をひきずり、チャリにのってご近所の初詣にご家族と向かったのでした。
一月、私がラヴさんと最初に見た音楽ライブは氣志團の武道館公演でした。お姉さん(二人目の)と一緒にヤンクロックを楽しんだあと、おふたりは勢いで見かけたロブスター屋に入り、「ぷりっぷりじゃないか!」「うまいうまい!」「バチが当たる!」「当たらんよ!」と叫びながら肉厚のロブスターを食していました。その力がみなぎったのか、初打ち新年祭をドラムの佐治さんとキメたラヴさんは、1月は上々のスタートを切った様でした。
二月は、日本に避難されているウクライナ避難民の方々とのイベントの司会兼ライブがありましたが、ラヴさんは大変心を使った様でした。長年お友達でありながら実は一緒にライブをしたことがなかったシンガーソングライターで映画音楽の作家である世武裕子さんとの「Someone To Love」アレンジは鳥肌ものだったと大変感慨深かったようです。
さて、三月。相馬で高校生とのワークショップを開いていた傍ら、ご自身の甥っ子おふたりも中学校を卒業されたということで、卒業式当日はご家族でのRoyal Hostファミリーランチを楽しんでおられました。私も同席させていただきましたが、とにもかくにもラヴ一族のみなさんの「フライドポテト」好きっぷり。ふたつも単品で頼んであげくに、たわいもないダラダラした話をしながらもう一個いけただのいけないだの、一族の衰え知らずな食欲に驚きながら私は時を刻みました。十五周年を駆け抜け終えたLOVEさんは一旦ベトナムへ、パンデミック以来の海外旅行を多いに楽しんだようです。ただし現地ですぐに風邪をひき、ベトナムの薬局で身振り手振りのアドベンチャー、買った薬が正しいかどうかビビりながら飲み、結局海辺の宿で数日読書して保養しておりました。やはり前任者から聞かされていた通り、三月のラヴさんは何かと詰めすぎの傾向があるようです。
そして四月末。世の中ではコロナがいよいよ五類にというタイミングのちょうど一週間前、ギリギリセーフ、いや、ギリギリアウトでとうとうコロナ罹患です。無事だったからよかったですが、「持ってるね」「あいつやっぱり最後の最後に」と身内にはやいのやいのと囃し立てられながら、朦朧とした数日をへて復活。
おかげで、五月五日が最終回となるはずだったゾロ目の日ライブは、五月十二日というゾロ目でもなんでもない日に移動になりました。にもかかわらず全国の皆さんからの暖かい「888888」を全身全霊に受け、三年間月イチで続けてきたゾロ目ライブは完結とあいなりました。
あとは駆け足に参りますが、六月から七月にかけては、島根でのドラムス刄田綴色氏とのライブおよび古代アドベンチャー、浜端ヨウヘイ氏との七夕ツーマン、相馬でのシーサイドフェス出演および潮干狩り、京丹後市への一族での墓まりなどなど旅が続いて夏らしい夏になりました。
八月はぶっちぎりデスクワークをすすめ、九月十月には春のコロナ罹患で飛ばしてしまったMIA MIA での生声ライブとスリーピースワンマンを大盛況で終え、かと思ったら急に舞い込んだ一月からスタートの深夜ドラマ「セレブ男子は手に負えません」の劇伴制作で十一月はあっというまに終わっており。そのまま流れ込む様に十二月はまさかの伊勢丹新宿店でのSOMA BLUE展と新たなSOMA BLUE PROJECTのクラウドファンディング開始、という怒涛の展開に。
常々書き物と企画と視察などに追われながら、日によっては数時間ごとに役割を七変化させながら、ラジオ、音楽制作、企画屋、ときにデスクの中村さんとして、ますます最近では「迷ってる暇がない」とめきめきと腕を上げている気配があります。
が、最後の最後にインフル罹患!おかげさまで私の手記を皆様に読んでいただくころにはもう全快しているラヴさんの元気の秘密はと聞いてみたところ。
「ビタミンCは水溶性だから、過剰分は水分になって排出されるのね。だから体がやられてる時は数時間起きにとにかくCをとってもいいはずなの。で、サプリだけより効く気がするからいちごを惜しみなく食べるに限るね!!」
だそうです。前々からいちごを崇拝しているなとは思っておりましたが、根拠のない、いちご教、ご健在のご様子です。
わたくし「二〇二三年」といたしましては、これ以上ない「四十代一年目」を一番近くで駆け抜けさせていただき大変光栄でございました。ただし、前任者には聞かされておりました通り「行く先々で人に見られない様に死んだふりして写真撮ってるから気をつけろ」という例のご趣味に関してだけは、とにかく奇怪で理解が難しゅうございました。あれは、一体、何のための。
何度も言いますが、コンプライアンスがあるからどこにも出せない代物ですので純粋なるご趣味になりますが、これは残念ながらまた次へと引き継ぐ必要があるようです。
皆様それぞれの「二〇二三年」も、あなたとのあと少しの時間を惜しむ様に残り数日も時を刻むことでしょう。主に引き継ぎ業務、「〇〇には気をつけろ」ですとか「もうちょっと〇〇させてやれ」など。最後の任務は、消える前に幸せを願って申し送りをするためのメモを制作することとなっております。次年へとうまくバトンが渡らないと、またいちからやりなおしになってしまうこともあるものですから。私の学びを踏み台に、来年のラヴさんにはより進歩していただきたいと思います。
悲しい日も、疲れた日も、それでも希望を感じられた日も。すべてワンパッケージの一年間。まもなく私の一生は終わろうとしておりますが、ラヴさんを通して一年間皆さんに出会えてよかったです。
誠にありがとうございました。残り数日、愛しくお付き合いください。
皆様もどうぞご自愛くださいませ。

毎年そうなんですが、年の初めに「こんな年になる」とか「こんな年にする」と予定したことの予想を超えていくんですね。今年は特に。
コロナやインフルもそうですが、伊勢丹ですとか、劇伴ですとか。まさかの展開が舞い込んで本当に面白かったです。来年末までにはアルバムを出したい気がしますね!
とにかくいろんなことをやる私を追いかけてくださるばかりか、相馬への思いの深さをご理解くださるか方がこんなにたくさんいてくれるということ。お付き合いくださるファンの方々には、年々感謝の念が湧いています。いっつもいっつもマイペースにやらせていただき、本当にありがとう。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
どうぞ良いお年をお迎えください。