LOVEのひろいばなし Vol.13「ブライトンの住所」

「うわー!久しぶり!どうしたん!なんでこんなところにいるのー!」
「えええ、びっくりした!俺ずっとここに住んでるんよ」
「嘘でしょ、私も最近ここに引っ越してきたんだけど。何階?」
何百万軒あると思われる東京のアパートメント。
そんな中から選んだ新居の前で再会した友人の話を聞いていくと、まさかの同じ階に、そしてまさかの隣の部屋に、住んでいるといいます。こんなにテンションがアガる案件も久々です。急にいつもの生活圏で奇跡らしきことが起きたので、お互いに興奮しました。これは果たしていいことなのか悪いことなのか、一瞬分からなくなるほど、近すぎないか?と笑いつつ
私の方が後続の移民なので、先住民族に失礼のないように近所の焼き鳥屋あたりで何かしらの儀式を、とよぎったところで「でも俺もうすぐ引っ越すの」とのこと。また改めて、とその場は別れたのですが、ここから三ヶ月間、期間限定の‘友人が隣人ライフ’がスタートしました。
この友人マックと最初に会ったのは、この再会から遡ること、何年前だろう?もう9年くらい前かも。イギリスはブライトンという、ロンドンから電車で1時間くらい行った、英国南東部のイギリス海峡に面した田舎街の駅前でした。
私の家族は、私が1歳の時、ブライトンに一年暮らしていました。残念ながら私は全く記憶がありません。「覚えてるー!バッキンガムパレス前でオムツ変えたよね!めっちゃ飲んだわミルク!」とか言えません。当時の姉二人は11歳と8歳。思い出話を聞くたびに相当楽しそうで羨ましかったですね。ロンドンならまだしも、当時のブライトンにはほとんど日本人もいなかったそうです。
たくさん残っていた写真を見ると、「ばぶー」としか言ってなさそうな赤子の私も色々体験していたようで。「なぜ覚えていないのだ、もったいない」と残念に思いつつ、まあ大人になってから訪れてみるのも風情があってよかろうと、旅に出てみたのです。
ブライトンは海水浴療法で有名になり保養地として栄えた街。セブンシスターズと呼ばれる真っ白な崖があって、砂というより石でできたビーチがあって、ブライトン・ピアとして有名な桟橋には小さな観覧車があって。音楽学校や大学も多く、英国最大規模の芸術祭もここで開催されるほど、音楽・文化・芸術活動が盛んです。ロンドンから電車にのって到着してみたら、完全に現地に馴染んでいる男子が迎えにきてくれました。同い年くらいの日本人のベーシストがいるから会ってくれば?と知人に紹介されたのがマックくんです。
彼、なんとエイミー・ワインハウスのツアーのメンバーだったこともあるほど腕のあるベーシスト。グルーヴと安定感が半端ない。個人的な趣味をさしおいても、群を抜いてすごい日本人ベーシストだと思う。早くから渡英し、鬼のような数のセッションをこなし、とっととプレイヤーとしてのキャリアを積み重ねている京都人でした。頭の回転が早くて、話が面白い。
駅前でランチして打ち解けたあと、30年前にうちの家族が住んでいたらしい家を見に行こうと思ってるの、と言うと、「住所ロッティンディーンなんでしょ。バスは調べておいたよ!」と親切極まりない彼、一緒に行ってくれることになりました。わーい!旅は道連れ!
バスで海沿いを走ると、映画やドラマでしかみたことないような、田舎らしい低い石造りの街並みがちょこちょこと現れます。なまりの強いアナウンスを聞いてバスを降りると、おおお、来たね、目的地に近づいておるね、とよくわかる超ローカルな景色に降り立ちました。あとは、通りの名前をみつけて歩いて行けば、番地できっと家がわかるね!というところまで来れたので、住所を確認してみようかなとポケットを探りましたら。
…やばい。住所を書いたメモがない。バスに落としたか?ないないない、どこにもない。まずい、実に私らしい展開じゃないか、と。
マックもびっくりです。せっかくここまできたけど、とりあえず適当に歩く?どうする?と聞いてくれました。非常に言い出しにくかったのですが…
「あのね、うちの姉がね、当時、英語の住所を歌にして覚えていたらしいのね。子どもの頃から繰り返し私も聞かされていたから、なんとなくなんだけど、うろ覚えなんだけど、住所わかるかも。ごめん、ちょっと聞いてもらっていい?」
は?…ですよね。
五差路くらいあったかな、ちょっと複雑な交差点のど真ん中で、記憶を頼りにぼやぼやの鼻歌を歌いはじめる私。ちゃんと歌詞として学んだ歌じゃないから、音だけをなんとなく捉えていたという、おぼろげな記憶の旋律。おもむろにそれを聞かされ、戸惑うマック。
もう一度言いますが、彼は立派な凄腕ミュージシャンです。耳コピでこれまでも複雑なコードを何千回と解析してきたはず。そんな彼ですら、ぼやぼやの歌詞から、特定の住所の解析をしたことはないはず。しかも道ばたで。穏やかな午後に、風に吹かれながら。
「♪ハンオーフーン、ヒンコーホー、ロッティンディーン、ブライトーーーン♪」
響き渡る鼻歌。周囲にはいくつかの路地。もう一回。
「♪ハンオーフーン、ヒンコーホー、ロッティンディーン、ブライトーーーン♪」
どの路地の名が、このハミングで聞こえるモノに一番近いのか。
「♪ハンオーフーン、ヒンコーホー、ロッティンディーン、ブライトーーーン♪」
多分、前半に答えがある。
「♪ハンオーフーン、ヒンコー…」
あった!あった!ディンコートロードってのがある!これだ!わ、すごい、本当にあった!!ヒンコーホーってほぼ母音だけやん!ほんまやわ、けど絶対これやわ!ディンコートロードだわ!
ということで、驚くべきかなワトソン君。行くべき通りを見つけた我々、無事歩き始めました。
街並みがここからまたググッと変化します。この通りにある建物、ほぼすべて黒ずんだ古い石造りの洋館で、高くても2階建て、平家の作りがほとんど。あとで知りましたが、なんと築500年の街並みだったんだそうです。ヨーロッパでも築500年はなかなか見ることができないと思います。貴重ですね。
そんな街並みが続き、30分ほど進むと、通りの終わりまでたどり着きました。行き止まりではなく、そこから先はひたすら緑の丘が続く牧歌的なイギリスの原風景が開けています。ちょっと感動しました。
さて、残された暗号は、鼻歌の冒頭、「♪ハンオーフーン」だけです。多分これが番地?
「ワンオーツー、って感じじゃない?」
「うん、もうワンオーツーでええんちゃう」
合ってたらすごいし。違ってても面白いから、いっか。最後は我々二人ともほぼやけっぱちだったのですが、いずれにしてもマックの絶大なるお力添えのおかげで、どうにかたどり着くことができたのです。私の家族が30年前に住んでいたという、ワンオーツー(多分)へ。
マックがビデオを回してくれて、私がピンポンしてみると、白髪のおばあさんが出てきてくれました。日本から来たんですと事情を話すと、中へいらっしゃい、と招き入れてくれました。夕日のあたる小さなリビングでお茶を入れてくれ、ビスケットまでご馳走になりました。
「30年前は私はまだここに住んでなかったわ、多分あなたの家族の次の次に私たちがここに来たんだと思うの。だんなさんと二人だったのよ、もう亡くなってしまったんだけれど」と、彼女の身の上話も聞きました。姉たちが遊んだという庭(多分)は雑多ながらも立派なハーブ園になっていたし、木の塀で囲まれているその庭の向こうには、牧草の緑の丘がどこまでも続いていました。周りにはほぼ何もない。素晴らしい景色の小さなおうちでした。ありがとうございました、とおいとました時もおばあさんは長らく笑顔で手を振ってくれました。
「よかったね」
ピンクの夕陽が沈む、どこまでも続く牧場みたいな丘を見ながら、マックも満足そうでした。なんでしょう、今日初めて会った、とは思えないほどのコース。とてもパーソナルな旅だったのに、違和感なく付き合ってくれて本当に助かりました。
私たちはまたブライトンに戻りました。夜は夜で、マックのガールフレンドと、TWO DOOR CINEMA CLUBのドラマー君などと合流。みんなで飲みに行って。ほろ酔いで歩いた夜のピアにて黄金色に輝く観覧車を見たのも印象的だったし、とにかく一日中、出会った人すべてに良くしてもらいました。あのときマックと一緒じゃなかったら、ブライトン滞在はこんなにいい思い出になっていなかったと思います。
この度、もう一度、ブライトンの住所の歌の詳細が知りたくなって、教えて、と姉にラインしました。
まず反応したのは姉2でした。
まさかの、あの歌には続きがありました。郵便番号などにもちゃんとメロディーがついています。最後は、国名「イングラーンド!!」と景気よく跳ねて終わります。音声で、ボイスメッセージで。仕事中にこっそり歌っているものが送られてきて爆笑しました。どうしようもなく暇な時にリミックスでも作ってマックにベースを弾いてもらいましょうか。(これを人の才能の無駄遣いといいます)
ほぼ同タイミングで姉1はテキストを送ってきました。そうだそうだ、それが正確な答えだった、と納得しました。「♪ハンオーフーン」が合っていたかどうかは、せっかくなので今回はミステリーとさせていただきましょう。謎は謎なうちが楽しいとか、ねえワトソン君。合っていたらすごいし、違っていたら?…違っていたら、イギリスまで行って知らない人の家に上がってお茶をいただいて来ただけのお話です。
ヒンコーホー、ディンコートロード。おかげさまで、いい思い出です。

マックが日本に帰ってきてからも、時々、写真展なんかでばったり会ったりしていました。
遠からずなところにいたのだけれど、特に飲みに行くとか、遊びに出かけたりとかはなく。そんな人と期間限定三ヶ月の‘友人が隣人ライフ’が始まるわけですが、これが楽ちんで楽しかった!
まず最初に私たちがしたことは、お互いの間取りの確認と、音楽を作る作業部屋の位置関係から、どのくらい本気で歌ったりギターを弾いたりして音が漏れるかという確認。できることなら引っ越すたびに隣人とこれやりたいくらい。ギターは漏れてなかった。ただ、なぜかカッティングがドラムのスネアみたいな音になってちょっとだけ聞こえました。続いて爆笑してみました。うん、聞こえない、とかそういうアレですね。いちいち行き来しながら、お互いに確認。
結局、忙しくてそんなに遊んだりはできなかったけれど、時々うちにきてお茶飲んで長話をしたり。遅めの時間にもつ鍋食べに行こう、とか。引っ越しに持っていかないからソファいる?いらない、とか、植木鉢いる?いる!とか。
好きなの持っていっていいよ、といくつか植物ももらったのですが、その中に、枝だけが伸びていて葉っぱが一枚もない鉢植えがありました。
「あ、それね、生きてるよ。ウサギが噛んだの」
なんとなくそのエピソードが面白かったので、もらうことにしました。ちゃんと栄養剤も与えられていたし、植物がきちんと育っている雰囲気の部屋だったのも気持ちがよかったし。彼自身が気のいい人ですからね、植物にも気遣いが行き渡っていたのでしょう。
「そのうち、葉っぱが出てくるはずだよ」
マックが引っ越す前日には、うちですき焼きを作りました。
「俺が一番好きな食べ物、すき焼きだと知っていて?」
いいえ。知りません。たまたまです。しかし、この「たまたま」が、いろいろ連続して起こるのが、人のご縁の面白いところです。にやにやとしながら楽しむのが一番です。
マックが引っ越してから1年もまだ経っていませんが、例の枝にはにょきにょきと葉っぱが出てきまして、ウサギに噛まれて裸になってしまったはずのパキラは、今立派に私の部屋で生きています。どのタイミングでこの写真を送ろうかなと思っているうちに、モリモリと繁り始めてしまいました。会わない間は全然連絡もしていませんが、そのうち「1年でこのくらいになったよ」と写真を送ろうかなと思います。
次は、数年越しにどんな「たまたま」が起こるのだろうと楽しみになるので、連絡とかむしろしたくなくなりますね。いや、友達は大事にした方がいいのはわかっているんですけども。
窓際でぐんぐん伸びるパキラを見ていたら、ふとイギリスのあの訪問を思い出しました。これだけは絶対に枯らしちゃいけない気がする、そんなパキラです。
引っ越しの前、そういえば彼に「よろしくね!」と言われていたのですが、例の隣の部屋には、彼の後輩のトラックメーカーの女の子が引っ越してきました。音も漏れないし、家賃も親切だしってことで、ミュージシャンにはこれ嬉しい物件なのでしょう。突然、ケーキや沖縄の黒糖や、アイスコーヒーとアーモンド小魚を持ってきてくれたりして、ざっくり「今朝思いついたんですけどオランダに移住しようかと思って!!」と人生相談をしていく、アーティストらしいアーティストが暮らしています。うんうん、いいと思うよ!とは言ったけど、本当は引っ越して欲しくないなあ。
お互い、留守を預かり合えるので、とっても助かっています。妙に面白い隣人ライフが続いています。