LOVEのひろいばなし Vol.123「自分の在り方に悩む?」

いやあ、チベット話も終わってしまいましたね。長らくお付き合いいただきありがとうございました。こちらスリーピースワンマンも終わり、次プロジェクトにむけて英気を養っております。
さて、今日はそんな続きになるようなならないような、ちょっとした雑談をば。つらつらと参ります。
先日友人が、「大人になったのに、いつまでも自分の在り方で悩んでいる人と距離感が生まれてしまう」というようなことをさみしげに話してまして、それはそうだね、なんでだろうね、と雑談がふくらみました。
自分の在り方、かあ。私、長らく悩んでないなあ。
いやね、そりゃあ「もうちょっとらゔさんはこうしたほうがいいんじゃ」とか「明らかにこないだのここはもっとどうにかできたんじゃ」などという日々の反省点は永遠に尽きないものの。もちょっとじっくり悩んでいただきたい気がするくらい、悩んではいない。
仕事のやり方何がベストかな〜とか、他人の都合でどうにもならないこととか、まあ「悩ましいこと」くらいはありますけれども、もはや自分がどうこうなんて悩むことなど最近では思いつきませぬ、ふはははは (仁王立ち)。
いつから安定したんだっけなあと考えてみましたら、明確に、とある分岐点が思い浮かびます。
少し遡りますが、我が個人事務所カフキーノは今年で十七年になります。社長とは、大手事務所時代に出会っております。バンドの最後のマネージャーだった彼女に「マイペースにやりたいんで個人事務所作ってもらえませんか」とお願いしたのがきっかけで、「いやあ、ちょっとないかな」といったん断られるくらいには不確かなスタートでした、あはは。
なんだかんだで結局会社を設立していただけることになったのですが、当時の大手事務所からしたら「マネージャーがボーカリストを引っこ抜いて独立だと!」と、プチ裏切り行為にもなりかねないところ。彼女の元上司で、私もバンド初期から後期までお世話になりっぱなしだったとある方が人格者でいらっしゃいました。この方、協力的に理解を示してくれたばかりか、「独立ったって楽じゃないよ。二人ですぐに生計が立てられるわけでもないでしょう」と、系列レーベルのプロモーター契約、安定したお仕事をうちの会社に振ってくれたのです。
最初の数年間、しばらくうちの社長は、マネージャー業・社長業・レーベルプロモーター業を兼務してました。そのおかげもあって、私はアーティスト業に専念できていたとも言えるでしょう。
ソロキャリア初期、ドリカムレーベルとの数年ののち、ラジオの昼帯を担当するようになり、また音楽の方も順調に仕事は増えていきました。
ただ、週五の東京での生放送、一時期は金曜日にそのまま大阪に移動して週一の生放送、翌日土曜日移動でワンマンツアーなど、どんどんスケジュールはタフになる一方。
意地のように土日ライブをして、月曜日が来れば休むことなく生放送の席に座っており、午後は帰宅したらいったん倒れるように眠る。夜から朝まで制作に没頭して、明け方ちょっと仮眠をとってまた生放送へ。この様子をみていた盟友ドラムスのはたくんだけは「これはいけません、いいものなんて作れません」とずっと警告してくれていました。私もこれが続いたらいつか心か体がパンクするなとは思っていました。
「私は一体何者なのだ、アーティストじゃなかったのか、どうしてこうなっているのだ、他にやり方はないのか」。この時期、ひそかに私は自分の在り方を悩むようになったのです。
とはいえ、日々表に出ている時間が長い&一緒に仕事した人たちが素敵な人が多くて、なんだか人前でニコニコしているうちに、あるていど楽しくなっちゃうんですね(単細胞)。
「ほんとに嫌ならやめちまえ!」「どうせやるなら楽しくやれ」「美味しい酒が飲めりゃだいたいのことはなんでもできる」など、何かとポジティブブルドーザーで駆け抜けた我々。
「不満そうにしている人にいい話なんて来ない。いつでも心は錦です」とホッピー飲みながら社長もよく言ってました。機会あるごとにテキトーにゲラゲラと笑い飛ばし、いかんせん傍目には「絶好調!」に見えていたと思います。で、若さのパワーもあって、実際バリバリできていた。
そんな中、音楽業界も何かと縮小の波がやってきたタイミングがありました。いろんなところで人員削減などという物騒な単語が聞こえ始めていたころ。社長がプローモーター契約をしていたレーベルも例外ではなかったようで。
ある日、「カフキーノは絶好調だから大丈夫でしょう」って言われて、仕事終わっちゃったのよ、と報告を受けました。社長にも意地がありますから、「いいえ、うちも大変なんです」なんて言いたくなかったことでしょう。
「ええええ!!まじか!!」
原宿のホットドック屋でピクルスを飛ばしたのを覚えています。
そして、そう、確かこの時だったのです。私のなかで「自分の在り方に悩む」などという贅沢な選択肢が、自動的にご臨終したのは。
結局、ここからめちゃくちゃ楽しくなりました。
「はいはいはいなんでもやりまーす!やらせてください、どこでもいきます!」
ほんと、自分であれこれいちゃもんつけるもんじゃないですね。
試しに、宗教がらみ、政治がらみ、ヌードがらみ、このみっつ以外のことならなんでもオッケーというアーティストになってみました。その代わり、もう実質上頼まれごとのタダ働きみたいなのはしませんよ、と。そしたら逆に周りが心配して色々スタンスを守ってくれるようになりました。(ヌードがらみは残念ながら一度もオファーがありません、需要なし!)
自分のあり方に悩むというのは、何よりも十代、若さの特権かもしれません。むしろ十代にとっては重要な彼らの仕事というか。しっかり悩んだほうが、二十代いろいろ実践に生きるというか、そういう順番になっていたんだなあと思います。
ただ、実際は、大人になっても自分の在り方に悩む方、たくさんいらっしゃる。やりたくないことを長くやりすぎたとか、一緒にいたくない人と長くいすぎたとか。欲しかったものが手に入らなかったとか。あとは別に何があるわけでもないけど、急に自分の人生が目的もなくつまらなく思えてきたとか。他の人たちは自分よりも充実した生き方をしているのに、なぜ私は、僕はここにいるの。どうして思い通りにいかないの。そんな悩みで忙しくなる、みたいな。
友人が言うには、「大人になるほどに、自分のことよりも他人や社会や弱者のことにもう少し心を使い始めるのが自然だと思ってた。なのに、どうして自分のことだけで精一杯でいられるのだろう。わかる気もするんだけど、なんだかなあ」と。
それは時間があるから、なんなら暇だからだと思うよ、と私は答えました。
馬鹿にして言っているんじゃないんです。
こんな研究があります。
治験者に、たっぷりと待ち時間を与えて、やることもなく食べるものもなくひたすら待ちぼうけを食らわせたあげくに、他人の幸せそうな生活の写真を見せると猛烈な嫉妬反応が観測されたそうです。
一方、暇もなく、やらなきゃいけない課題があって、食べるものもある中で、ある程度好きな子もできる治験者は、同じ写真を見せられてもさほどの反応はなかったと。
科学的に証明されちゃいましたね。「嫉妬」というものは、その時々の自分の不満っぷりが反映される鏡みたいなものだったんですね。そして「あなた、今暇なんですね」という証拠なんだという研究結果でした。
その記事を読んだ時、これまで私が人に嫉妬してきた瞬間を思い出して「ぎゃふん!」と言ってしまいました。ああ、恥ずかしい。確かに、暇だったんだわ、私。
私、曲書いてる時に、人に嫉妬なんてしてませんし、自分の在り方に悩んだりしていません。曲書いてますからね。作業してますから。で、書いてないときにはうじうじと悩みまくってました。
ライブしてる時も然り。リハしてる時も然り。物書いてる時も然り。ご飯作って食べてる時も然り。見たかった映画見てる時も然り。人のライブ見てるときはあまりにいいと若干嫉妬することくらいはありますけども。それも自分がやってないからですね。 友人はいいます。「特に悩みごとのない自分が申し訳なくて、なんか無理矢理悩み事を作らなきゃいけない気もしてきちゃった」と。いやいやいや、笑。
きっとこの友人は毎日他のことで充実しているのでしょう。わざわざ悩み事で時間を潰す必要がないのです。私が知る限りですが、仕事にしても、「大変なものは大変なのが当たり前、それ自体に特に不満ってなくない?」と合理的な上に、何事も楽しめるキャラなのが大きいと思います。
私自身、「自分のあり方に悩んでいる時」って、そもそも自分の人生に不満があった。そして、不満があっても暮らせていけるぐらいには困ってもいなかった時期でした。それなりに愛しいものもあって、文句をいいながらでも生きていけてたというか。だから別に悪いことじゃなかったんでしょうけど、贅沢でしたね。そして視野が少し狭かったかもしれませんね。
追い詰められて変わらざるを得ませんでした!っていう私のパターンはむしろ幸運だったかもしれません。
半径数メールで暴れようがサボろうが文句たらたら言おうが好きにしてて良かった自分だけの世界が、自分が立つ広いドームみたいな世界に変わってました。自分が生きる世界の背景が変わった、みたいな。だから、他者との協力の仕方とか、同じドームのどこかにいる弱者とか、世界の問題とか。自然と意識が内から外に向くようになったのかもしれません。
本当に自分の居心地の良さを作ることに本気になって勇気を出せたら、いろんなモノが必然的にグルリンパと変わっていくものですね。
いじめとかも、ざっくり究極論をいったら、何かに不満でさらに暇があるからやっちゃうんじゃないのかなあと思います。スポーツの練習とか絵の練習、何か好きなことを見つけて没頭できていたら、人をいじめている暇などないはず。
戦争も似たような側面があるのではと思います。昔はもっと、宗教とか思想とか、政治的な理由とか、なんか大人の難しい事情があるんだと思ってたけど。
好きな人や家族と過ごすこと、農作物を作ること、生きるためのクリエイティブなことに没頭できないような基礎環境、それよりも他に優先される心情、それぞれの事情と不満。それを片っぱしから解決できたらいいのに。不満と嫉妬がどんどん暴力化していくようで日々胸が痛いです。
「あんたは幸福だからいいだろうけど」
世界の半分が、もう半分にそう言ってるのが日々聞こえます。日本の私たちは言われる側でしょう。
一昼夜では解決しないことばかりだけど、人間みんなで本気出してやればできることもいっぱいあるだろうに。じりじりしますね。