LOVEのひろいばなし Vol.122「さらばチベット」

帰国日の朝になりました。さあ、チェックアウトです。

朝、ロビーに降りていくと、ガイドのティーくん、どこで夜を明かしたのか、目の下にクマを作っておりました。「おはようございます」多少力なさげに微笑んでいます。まだまだ、空港まで一緒ですからあとの車内でゆっくりみんなでお話しすることになるでしょう。

「おはようございます。最後までケアをありがとう。チェックアウトはどうすれば?」

おちよちゃんと私、二人ともティーくんに鍵を渡して、部屋に忘れ物がないかチェックを待ってる間ににこっとちゃんと三人でコーヒーを飲みました。我々、大学の同級生三人組。なかなかの個性が勢揃いしたものです。音楽屋、映画屋、チベット移住組。

今思えば、大学一年生の大教室のオリエンテーリングで私に声をかけてくれたのはにこっとちゃんでした。おちよちゃんもいいます。

「改めてだけどさ、あなた、ここに移住したの、本当にすごいよね」

うん、本当に。

どんな海外移住も慣れるまでには時間がかかるとは思うけど、ここはまったく価値観が別物の異世界でした。ただ、「とにかく美しかったから。わかるでしょ、すごかったでしょ」という彼女の気持ちもよくわかる。

標高が高く、手付かずの大自然、どこまでも続く山脈と、宇宙に手が届きそうな湖、澄み渡った空気。湿原、雪原、山、川、大河。何より、太陽がとにかく近くて宇宙的。自然を愛し、精神世界を重んじるチベットマインド。眩しいほどの光にさらされたチベットの人たちの日に焼けた笑顔は確かにすごかった。にこっとちゃんも、いつの日かさらにあの笑顔に近づくのかもしれないです。

「まさか本当にくるとは思わなかったから嬉しかった」

到着時に歓迎してもらった時と同じように、白い布を首にかけてくれ、今度はお別れの儀式。しっかりチベット式に送り出してくれた彼女は、最後までにこにこと最高の笑顔でした。何から何までありがとう、とにかく元気でね。うん、また連絡するね。いるものあったら送るからね。

ドライバーのジイさんが荷物をすべて積んでくれました。ティーくんが、準備はいいですかと声をかけてくれ、我々はバンに乗り込みました。

ラサ市内を抜け、道端を牛だかヤクだかが横切り、あちこちの検問を抜け、私たちのバンは高速に乗りました。空港まで、一時間ほどだったでしょうか。

助手席のティーくんがこちらを振り向いて、何やら巻物を手渡してくれました。

「ラサでたくさんギャラリーがありましたね?若い人たちが曼荼羅や神々など、宗教画を塗っていたのを覚えていますか」

もちろん。タンガと呼ばれる宗教画は、偶像と同じようにチベット仏教には欠かせないものだそうですが、もう少し家庭的なものでもあると聞いた気がします。家の壁に貼ってその前で瞑想したりするんだそう。

とても鮮やかに描かれていて、けっこうモダンでポップに見えるものもありました。絵が所狭しと売っているギャラリーの奥にだいたいアトリエがあって、粉状の顔料がそれはカラフルに所狭しと並んでいたのです。私もおちよちゃんも、ひとつずつ気に入った曼荼羅を購入していました。

「これは僕からの贈り物のタンガです。結局、朝からずっとあなたにぴったりのタンガを探し回っていたんですけど、音楽の神様のタンガがなかなか見つからなかった。その代わり、最も高貴なご神体が三体描かれているものがあったから、それにしました」

ティーくん、助手席から後部座席を振り向くように、巻物を開いて見せてくれ、それぞれが象徴するものを説明してくれました。

「Wisdom, Compassion and Power – 知恵、慈悲の心、力です。生きるためにはそのバランスが大事だと僕達は考えます。いくら知恵があっても、慈悲の心がなければ生かせない。いくら慈悲の心があってもそれを行使する力がなくては意味がない。いくら力や権力があっても、知恵と慈悲の心なくして力は何のためにもなりません」

ほほう、です。確かにその通りだと思います。いい教えです。

「このタンガを飾って、その前で瞑想をして、ご自分の中のバランスを整えてください」そう言って彼はもう一度巻物を巻いて私たちに渡してくれました。

おちよちゃんもふむふむと説明を聴きながら、しっかりとお礼を全身で表しながら受けとっていました。彼女は英語を混ぜつつも、日本語でも直接彼らに話しかけます。

「ありがとう、ありがとう。やっぱ君いいやつだね。おらぶにフラれたのに朝まで土産を探してくれてたとはね。大変だったでしょう。ただね、ちょっといい?これ見逃せないんだけど。ねえ、サイズ感の違いよ」

そう、サイズ感の違い。

私にくれたのがバカでかくて、おちよちゃんにあげたのは小さめ。行き場をなくしたティーくんの好意が、目に見える差をつけております。私も苦笑いするしかありません。

そうこうしているうちに、空港に近づいているのでしょう、高速道路は殺風景な山間を走るばかりになってきました。建設された橋桁の上をカーブする3車線。急に、窓の外が赤くなったように感じました。

「うわ」

空港に向かう車線の両サイドに旗がはためきはじめました。十メートルごとぐらい、ずらっと密集して並んだ旗が行く手遠くまで連なっています。まるで赤い龍のよう。カーブを描くその背中を私たちは車で走っているようです。

急に、ティーくんがカーステレオの音量を上げました。私があげた「ひかりのゆくへ」というEPがうっすらかかっていたので、急に自分の歌声が爆音になって、「え、そんなにして聞かなくても」と思った矢先。

ティーくんがぐいっとまた後部座席の私たちの方に体を向けて、話し始めました。聞こえづらいので私もおちよちゃんも少し乗り出します。

「これは観光客のみなさんに、あなたがたが訪れた場所は中華人民共和国であるという念を押しているんです。チベットはもう国ではないからと」

わたしがおちよちゃんに訳している間にティーくんは、いそいで話を続けています。

「チベットを出て日本に戻ったら、たくさんチベットの話をしてください。あなたがたに見てもらった美しい景色や、精神性や、素晴らしい大自然の話を」

うん、もちろん、と返す前に話は続いていました。

「そして、その大自然と私たちの文化や言語や精神性が、今どんどん破壊されていることをどうにかして世界に伝えてください」

え、何、と思ったら間髪入れずに話は続きます。

「あなたが美しいと感動していたあの大河。なぜ、乳白色だったのかと聞きましたね。あれはメタルや銀やターコイズの採掘で大河が汚染されている色なのです。途中で僕の友人に会うために少し寄ってもらった、工事中の住宅街。あれは遊牧民が政府支給の住宅に強制的に移動させられるためのものです。そうすれば彼らの居住区だった草原や山を切り崩せる。抵抗した者は刑務所に行くそうです」

この辺りで気づきました。カーステレオのボリュームを上げたのは、この会話が監視マイクにのることがないようにするためでした。

「ご案内した〇〇寺院、あそこは無抵抗の僧侶が何百人と殺された場所です。そのすぐ郊外に残る寺院では、細々とチベット語の塾を開いていた僧侶が去年逮捕されました。寺院は壊されました」

え、そんなこと現場では言ってなかったじゃない。

「公立の学校ではチベット語と中国語、両方の教育になると聞かされていました。でも去年あたりからもうチベット語の授業は廃止されています。僕の小さな親戚たちは、もうチベットの文字を書けなくなっている。つまり、チベットの千五百年分の書物を読めなくなる未来がもうまもなく来ます。ほとんどの書物が五十年代以降に焼き払われたので、ただでさえ少数ですが。現存の書物から”知恵、慈悲の心、力の使い方”を次世代が学ぶ機会ももうなくなるでしょう。僕らは口頭で伝承していくしかない。本物のチベット文化がこのチベット高原に生きられるのは、もってあと五年くらいだと僕は思っています」

急に、この旅の細かい伏線回収と答え合わせが始まっていました。ちょっと待って。ついていけない。

「くるときの夜行列車でずっとトロッコとすれ違っていたと言いましたね。あれは全てチベットで掘った資源を本土に送っています。そして本土からチベットへ移住してビジネスをする人たちには税金が優遇されているので、中華系人口がラサではどんどん増加しています。ラサ市内の中華系人口と元々のチベット人人口の比率なども、公表されていません。元々いたチベット人は徐々に農村に追いやられるか、資源採掘の労働力になっています。そして」

とにかくペースを落とさないように必死で私も訳していますが、なんだこの内容。感情を挟む暇がないです。

「僕達には外に向かって発信する手段がありません。当局の情報統制の中でインターネットを自由に使える場所がどれだけ少ないかも感じていただけたでしょう。国内ではチベットの旗を振っただけで逮捕です。逮捕歴がある者は、そこかしこにある検問所、通過できない場所がたくさんあります。僕達にとって心のよりどころである大事な寺院だったり歴史的な名所だったりする場所の立ち入りは許されず検問で弾かれます。“ふるさと“に立つことが許されないのです」

……。

「ご覧になった通り、観光客もほとんどが中華系で、その他の国の人が許可証を得てチベットに来れること自体、数が少ないんです。どうか、どうか、あなたたちがみた美しいチベットを、そしてそれが壊され続けていることを、どうにかしてあなたのご迷惑にならないような方法で世界の方々に伝えてください」

バンが空港に着きました。

旅の思い出を振り返ったり、色々あったけど笑えるよね、あれ楽しかったね、などと写真でも見たりしながら、最後は和やかな車中にしようと思っていた私です。

トランクを後ろから下ろし、それを受け取り、ジイさんと握手して、ティーくんと握手して。

「本当に色々ありがとう。あなたのパスポートがとれるように心から祈ってるね」

そう伝えてみるも、なんと空虚に響くことでしょう。手を振って、トランクをゴロゴロ転がして空港のエントランスへ向かう私とおちよちゃん。その姿を彼らはしばらく見つめていたと思います。

またね、とは言えませんでした。またね、があるかわからないから。

ましてや、さようなら、とも言えませんでした。失礼な気がして。

私たちが自主的にもう一度ここに遊びに来ない限り、恐らく彼らと会えることはないに等しいのでしょう。パスポートがとりたくてもとれない彼らと、今まさに空港の入り口を入ろうとしている私たちの間には、見えない高い壁がそびえ立っているも同然です。なんだかもう、後ろを振り返ることもできませんでした。

さっきの話、私もおちよちゃんも、まったく消化できていません。慌ただしくチェックインして、とりあえず搭乗口までノンストップでやってきました。 バーガーキングが目に入りました。よく考えたら、スタバもKFCもマクドも何もなかった。チベットに来てから初めてみた欧米系のチェーン店でした。救いを求めるような気持ちでバーガーキングに入った私たちは、一直線にレジでふたつセットを買い、空いてるベンチを探しました。

バックパックをおろし、腰をおろし、お互い無言のままでやっとバーガーの包みを開きました。そんな私たちの前を、ちょうどアーミーグリーンの軍服に身を包んだ何十人の軍隊が整列してゾロゾロと横切っていきました。

味なんて、しません。なんだ、これ。全部ひっくるめて、なんなんだ、これ。

搭乗ゲートがあきました。飛行機に乗り込みます。二人ともシートベルトをセットして、あとは飛び立つのを待つのみ。私は日記帳をすぐに開きました。何か書きださないと、やばい。

感情が死んでいます。今、何か書きださないと、鉛を飲まされたかのようなこの居心地の悪さから一生逃げられなくなりそうな気がしました。

「帰りたい。帰りたい。帰りたい。すぐにでも家に帰りたい」

ペンで書き殴ったそれを、おちよちゃんに見せました。

「……だよね」

二人でやっと息を吐きました。

はあああああああああああああああああ……!

何を思ってもいけないような気がしていたけど、これだけは思ってもバチは当たらないでしょう。ほんとに、もう、帰りたい。地団駄を踏んで泣きたいくらい、帰りたい。

その後、行き先が変更になってどこかよくわからない空港で乗り継ぎをして。上海でかろうじて深夜一泊してから、朝の便で私たちは日本に帰国しました。

素晴らしかった。二度とないくらいいい旅だった。でも、重たかった。私が見たチベットも、あった人たちも、あくまで一部です。真に受けすぎなのかもしれません。ただ、巨大な教科書と巨大な宿題を、知らない間に持たされたような感じです。

ティーくんと、ジイさん。ドルマとその家族。何より、にこっとちゃんとその仲間。みんながおだやかに無事に暮らせるよう、一番にそれを祈ります。

元々の居住地を狭め、言語を取り上げ、建造物を破壊し、文化を輸入して、資源を採掘し、領土を広げる。これは歴史上、たくさんの国々がやってきたこと、今もやっていること。日本も例外ではないです。ただ、チベットの非暴力の精神世界はどこの土地にもあるようなものじゃないです。

チベットという土地に根付いていた特定の人たちだけが、千五百年間の積み重ねを持ってやっと証明できたことがあったとするなら。

知恵、慈悲の心、力。その三つのバランスなくして平和はないということ。「非暴力」の実現がいかに難しく根気が必要で、でも何よりも尊いから優先順位の一番に置くべきもので、そしてそれは確実に可能なんだよということ。

私は、それを、たくさんの人に知って欲しいと思うのです。

 

チベットから戻ったとある夜。私は、渋谷の終わらない高層ビル工事を見上げていました。ビルのてっぺんに月が煌々と明るく出てましたが、その下で夜中の工事のおじさんたちの現場の照明もまぶしいほどに照らされていました。

怒ることが恥だと学んでいるチベット人。抑圧に怒らずして、「慈悲の心」だけで現世で現状を解決できるわけがないじゃんか。つけこまれて、追いやられて。今世で長生きしたとしてひとり八十年とか?時間が足りなさすぎるに決まってる。

「そりゃ、あの人たちは輪廻転生するわけやな」

そんなことを考えながら渋谷にいた私です。もう渋谷すら同じように見れなくなっちゃったじゃないか、と。

私にとっては「怒る」はそれまで大事な発電エネルギーだと思ってました。ただ、チベット旅行以降、怒るにしても成熟させなあかんわと思うように。って今から千五百年分の修行をしろってか?間に合わねえ!途方もない気持ちになって明治通りをふらふらと歩いたのを覚えています。

単に怒るのって、怒りたいから怒ってるのと同じなんだそうです。自分が正しいと証明してやろうとか、思い通りにいかないから、とか。単にイライラしてるとか、そういうのも。

何より、「怒り」自体が悪者じゃないにしても、その友人になりうる「暴力」。これが本当に厄介だということは今世界中が改めてわかっていること。

少しずつですが、元凶を断ちたくて「怒っていいことないわ」と折々言うようにしています。もちろん、未だに修行中です。


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