LOVEのひろいばなし Vol.120「チベット人はビートルズを知らない」

ドルマちゃんと、チベット人アーティストの彼によって始まった宴の音楽祭。みんなの歌声で、場がずいぶん華やいできました。お酒も進み、チベット最後の夜はふけていきます。
チベット人アーティストくん、丸めがねの奥から興味深そうに私を覗き込んで話しかけてくれました。
「あなたも日本のアーティストだそうですね?一緒に歌いませんか?この歌を知っていますか?」
そういって少しくちずさんでくれたのは、テレサ・テン、「川の流れに身を任せ」です。
「知ってる!じゃあ私日本語でいいですか?」
「もちろん!歌いましょう!他知ってる人もご一緒に!」
カラオケだったのか、彼のギター演奏だったか忘れちゃったけど、私たちはまず台湾出身アジアの大スター、テレサ・テンの名曲を一緒に歌いました。みんな大合唱です。へえ、やっぱりテレサは知られてるんだ!と感動。テレサ・テンがまず私たちの共通語になりました。ありがとう、テレサ。
チベット内にて、俗世っぽいものに触れたのはこの時が初めてかもしれません。テレビもあまりみなかったし、地元にテレビ局があるかどうかも知りません。このバーにもディスプレイがありますが、写っていたるのは、どれも中国本土にあるテレビチャンネルっぽい。
アーティストの彼も普段は本土のチャンネルの歌番組などで歌っているそうです。チベット語のオリジナル曲もあるのでしょうけれど、中国語で歌うことがメインの仕事なんだそうです。
「君もギター弾けるの?じゃあ次、君が何か弾いてよ!」
小さなステージにはコンガとか、カホンとか、ちょっとしたパーカッションとギターがありました。案の定の流れになり、私は喜んで、と小さなステージにあがりました。
「にこっ」の友人ですが、もうずっと日本での私のライブに来れていません。私のデビュー曲「過ちのサニー」が聞きたいといいます。もちろん、と数曲そのまま私はありったけのお礼を込めてライブしました。
「チベットでサニーが聞けると思わなかったよ」と涙ぐんでいるのを見て、彼女もいくら好きで移住したといっても、こんな特殊な環境に他に日本人もいない中暮らしているだもんなあと、感じ入りました。そりゃあホームシックにもなるでしょう。音楽もあんまり聴いていないとか。
チベットの方々は、ビートルズを知りません。冗談かと思ったけど、本当に知らないんです。ローリング・ストーンズも、マイケル・ジャクソンも、ジョン・レノンも。ほとんどの人が知らないのです。プロのミュージシャンであるさっきの彼ですら、ビートルズを知らないというのです。
あれだけ世界中でヒットしたビートルズですから「そんなに知らない」ぐらいはあるかもしれないけど、誰も知らないという現象自体、驚きです。
中国では国内全て情報統制で世界的なインターネットサービスにアクセスはないものだし、GoogleもTwitterも、独自の中国版があるくらいですから、ある程度はチベットでもエンターテイメントへのアクセスが限られたとしておかしくないです。
とはいえ、です。
それまで高い山脈に囲まれた高原として、地形学的にも守られていたチベット高原。中国文化が入って以降、それを通して外世界への知見が広がるのかと思いきや。情報へのアクセスがいかに制限されてきたかに驚きます。主に、国内からの発信を抑圧するために制限されてきた結果、入るものも少なくなったのでしょうか。
というかですね。そんなこともどうでもいいのかもしれない。西側のエンタメなど、おそらくここには必要がないのかもしれない。
ここにはここの美意識や価値がすでに千五百年間で積み上げられていたのだと思います。外のあれこれを知り、別の常識に侵食されることが、全て幸せだとは限らないということです。知らないという幸せもある。
そんな中、じゃあ彼らがどんな洋楽を知ってるかと言うと。
「ねえねえ、これは知ってる?」
チベット人アーティストくん、コード譜を持ってきました。
「ホテルカリフォルニア」
なぜかビージーズのこの曲がチベットでは割と知られている曲なんだといいます。私がギターを弾き始めると彼はコンガで参加してきました。盛り上がる、盛り上がる。
「じゃあ、最後に。これ、知ってる?」
今度は、4ノンブロンズの「What’s Up?」という曲でした。みなさん、ピンとこないでしょう。聞けば知ってる人もいると思うんですけど。
アメリカカリフォルニアで結成されたバンドで、たった五年の活動、一枚だけアルバムを残してます。ビートルズになんてはるかに及ばないバンドだけれど、一曲だけ大ヒット曲がありました。
「What’s Up!」この曲こそが、チベット人にとっての心の支えなのだと説明されました。彼らにとってはもっとパーソナルな曲だそう。どうして?
「歌詞を聞けばわかるよ、僕たちの七十年分の気持ちがこもっているから」
一応私も知っている曲だったので、適当にコード私がギターで弾き出しましたら、アーティストくんはコンガを叩きながら歌い始めました。確かに。これまでのカラオケ大会とは熱量が違う。周りの人たちも、ただ騒ぐだけじゃない、グッと熱が入りました。
その時は弾いたり、コーラスしたり、セッションをすることで精一杯だった私です。歌詞までは明確に思い出せていませんでした。
帰国後、検索して、目から鱗がおちました。腑に落ちました、これは抑圧に対する抵抗の歌だったのです。訳してみます。
「25年も生きてきてなお登ろうとしてる
偉大なる希望の丘ってやつを 目的地に向かってね すぐに気づいたよ 「この世界は兄弟の絆で作られている」って
どういう意味で言ってんだろうね
私は時々ベッドに横たわって泣くんだ
頭の中にあるものを外に出すために 変な気分にもなるさ
そして朝起きて外に出たら 目一杯空気を吸って
これでもかってぐらい大声で叫んでやるんだ
“何がどうなってるんだ”ってね
I say hey yeah yeah, hey yeah yeah
言ってやるんだよ おい何が起こってるんだって
私は努力している ああくそう、本当に耐えている
ずっと努力している この「制度、機関」の中でな
私は祈っている 嗚呼!神よ!そう毎日祈っている
革命が起きるようずっとずっと祈っている」
カリフォルニアの金髪(白人)社会が主流のベイエリアの近くで生まれ育った非・金髪、ノンブロンズのメンバーが人に見下された経験をもとにつけたバンド名。そして生まれたこのヒット曲が、めぐりめぐってチベットに流れたのがいつだったのかはわからないし、どうやってこの意味が浸透していったのかは謎ですが。
時ともに、当局に検閲されずに歌える唯一の静かなるプロテストソングになったんだそうです。
とにかく熱気のこもったセッションになりました。私は彼の真意もわかっていなかったのに、熱気に答えていたらそこそこ歌って終わることもできず。ソロっぽいことをやってみたり、ひたすらリピートしてみたりしながらこの曲をいつまでも演奏したのでした。
「ありがとう。素晴らしい夜だった。元気でね。良い旅を」
「こちらこそありがとう。会えて嬉しかった。歌いつづけてがんばってね」
丸メガネの彼、この曲で締めたあとは、もうおしまいという感じで帰っていきました。なぜかわからないけど、互いにお名前も聞かなかったなあ。
全貌を理解していない当日の私は、とにかく充実感に満たされ、ありがたい気持ちで高揚していました。旧友にも会えた。おちよちゃんとは最高の思い出がたくさん作れた。こんな旅、二度とないだろうなあ。貴重な体験ばかりだったことは間違いない。
……さて。
そんな呑気な私の様子を一晩中、思い詰めた様子で見つめていた青年がおります。ガイドのティーくんです。
村ホームステイの際、満点の星空の下で「将来の夢はパスポートをとって国外に出て人権について勉強すること」と話していた彼です。それまで楽しくみんなで観光していた全ての寺院や町に隠された強烈な近代史を、あの夜やっと理解した私はあまりのしんどい話に疲れ果て、お開きにしたいがために「いつか日本に来れたら、お茶しようね」と言って階下に降りたのです。
ええ、言いました。言いましたとも。
どうもそれで火がついてしまったらしいティーくん。
宴の後半、隙間でそっと話しかけてきました。僕たちは日本で会う約束をした、将来を約束した、と。急な展開すぎて、「はい?」と呆気に取られたその瞬間の私の豆鉄砲感、ご想像いただけますね。
「今日はみなさんのホテルに別部屋をとりました。いいですね。このあと来てくれますね」
……は????チベット人、段階踏まないの?「えーっと、何かお話でもあるんでしたっけ〜」とはぐらかすも。
「待っています。いいですね。僕にとっては、将来日本であなたと再会してお茶を飲めるその日まで、今日が最後の夜なんです。パスポートがとれるかどうかもわからない。将来を約束したなら、今夜は一緒に過ごしましょう」
いやいやいや。チベットで「お茶飲む」ってなんかの隠語なんですか。あなたがた、じゃんじゃんバターティーでもてなしてくれたじゃないですか。そういうつもりじゃないし、そりゃあ日本に来てくれたらお茶ぐらい飲みますとも、飲みますけれども、とぶんぶんにバッチバチに否定するも効果なし。
「一緒に暮らしている親戚には今日は帰らないと伝えてあるので、鍵も開いていません。家には帰れません。あなたと過ごせる最後のチャンスです。絶対に部屋に来てくださいね、いいですね」
……まったくヨクナイデスケド。
引き下がってくれません。こういう場合はどうしたらいいのでしょう。だめだ、一人では逃げきれる気がしない。だってティーくんがガイドとして最後ホテルまで私たちを送ることになってるわけで。友人二人に話さねば。
ヘルプヘルプ、ちょっと、おちよちゃん、にこっとちゃん。どうしよう。ティーくん、目がすわってるんだけど。そいでもって歴代口説かれた中で、なんていうか一番理由が重くて全然笑えないんですけど。
にこっとちゃんは、爆笑してました。
「すごいねー。でも本気かなあ?部屋取るの、チベット人には高いんじゃないかなあ?」
おちよちゃんは、見透かしておりました。
「ほうらー、二十代男子に星空見ようとか誘われてへらへらしてるからこういうことに。面倒くさいの自分でしょうがー」
はいそうなんです、そうなんですけど、助けてください。一緒にまいてください。お願いします、さっきから何度断っても断ってもダメなんです。納得してくれない&力づくでも連れていかれそうなのでどうにか阻止してください、お願いします。
この後、私はベロベロに酔ったふりをいたしました。
タクシーの後部座席で友人二人に挟まれながら作戦会議をし、ホテルに到着して助手席のティーくんが降りるも、ぐでんぐでん(のフリ)で目も開けられないまま友人二人に部屋まで運んでいただく形で、どうにか彼をまいたのです。
ええ。
いたいけな。
チベットの青年を。
私はまいたのです。
(続く)

終わらないチベット最終夜、そして次回は空港までいけるかな。どうかな〜!