LOVEのひろいばなし Vol.119「ドルマの歌声」

チベット旅、いよいよ名残惜しい最後の夜です。

夜行列車で高山病の洗礼を喰らい、寺院巡りで近代史を学び、標高五千メートルに広がる絶景の湖へのドライブ旅を経て、私たちはここまで約十日間ほどのチベット旅行を満喫してきました。

村ホームステイ中、後をついていくる鼻たれ小僧たちにチョコを配っていたアンジェリーナ・ジョリーこと、我が大学の同級生で映画業界のフリーランサー、おちよちゃん。そして、同じく大学の同級生、チベットに語学留学に来ていて、学校の合間にアテンドしてくれている、いつでも「にこっ」と笑顔が眩しい香港育ちの友人。

「楽器もあるはずだから、せっかくだから歌っていってよ」

最後はパーティーだ!ということで夜は首都ラサ市内の音楽バーを彼女がにこっと予約してくれ、同級生やその友達数名に声をかけてくれてました。

同級生の顔ぶれがまた面白いです。今は国内線のフライトアテンダントを務めているというチベット人の女の子、ドルマ(仮名)。大変美人でフレンドリー、ぱっとその場が明るくなるような、いかにもフライトアテンダントに向いていそうな、めちゃくちゃ気のいい人です。

そして、アジア系で国籍はヨーロッパの小国だというアラ(仮名)。どういう経緯でここに来ることになったの?と聞いたら、早速なかなかな話が始まりました。

「うちのおばあちゃんがね、ちょうど毛沢東がチベットに”人民解放”にやってきた五十年代に、命からがらチベットを脱出したの。で、亡命できた先がヨーロッパだった。私は三世として生まれてからその小国で育ったんだけど、一族の故郷のチベットを知りたい見たいと思ってね。ただ、亡命者もその末裔も再入国はできないの。だから私は血縁的には生粋のチベット人だけど、あくまでもただの外国人として語学留学することで、やっと入国できたんだよ」

三代目でやっと故郷の土をもう一度踏んだのだと。チベットについてありったけ学んで帰るんだ、と言う彼女。

そういえば、ドライバーのジイさんもその昔一度隣国に亡命していると話していました。その後、やはり故郷に帰りたいと思って、徒歩で山を超えて、密入国する形で国に戻ったとか。僧侶という以前の立場は抹消して今はドライバーとして暮らしていると話していました。

チベットの入国出国管理、どれだけの制限があるのか、想像もつきません。「自治区」という今の立ち位置自体、本国の統治下にあるのならば本土の方々と同じように自由に行き来できて然るべきなのですが、まさにこのあたりが人権問題として大いに懸念が残るところ(といってもこれはもう数年前の話。今では改善されていることを心から願う)。

出入国といえば、フライトアテンダントのドルマの場合はどうしているのか気になって聞いてみました。

「今は国内線のフライトアテンダントだから、本土内を主に行き来しているだけだからパスポートはいらないの。でも、必ず国際線のフライトアテンダントになってやるの!仕事さえ決まれば、パスポートが手に入るから!」

彼女は随分と自信があるようでした。仕事が先に決まらないと手に入らないパスポート。国際線のフライトアテンダントになること自体、ものすごいハードルがあることや、また彼女が今日まで着実にそのための努力をしていたことも、この時の私はまだ知りませんでした。

数年ののち、ドルマは無事国際線フライトアテンダントの職に合格します。そして初めての成田へのフライトに乗った時、次のフライトまで時間があるから、と私に会いにきてくれました。ほんの数時間でしたが私たちは再会し、一緒に原宿で「牛たん・ねぎし」を食べました。うまいうまいと食べる彼女に、本国ではゆっくり聞けなかったことを聞きました。

どれだけ彼女が苦労したか。

十代の頃から猛烈に働いて少しずつお金をためたドルマは、まず「極小の家だけど」と言っていましたが、中国本土内に物件を買って住所を移したそうです。のちに家族も移し、十年以上のその住所が動かないことを証明する積み重ねを続け、他にも開いた口が塞がらないほどの理不尽な条件をいくつも地道に乗り越えて、やっと手にした国際線の職の面接を受ける権利を得たそうです。英語のスピーキングなどももちろん、そこからは彼女の実力。有言実行、本当に努力の人です。

そしてこのドルマ、めちゃくちゃ歌がうまいのです。というか、うまいとかじゃない。歌い手といいつつ、民謡の担い手なのです。

この夜、私たちが集まっていた音楽バーは、六本木のカラオケバーとスポーツバーを足して二で割ったみたいな雰囲気。壁にはいくつかディスプレイがあって、テレビが流れていてスパイダーマンがちらっとCMに映ったりしてました。天井側には世界中の旗がオーナメントで飾られていて、照明はピンクとか黄色とか、そんな感じだったと思います。

私たちの他にも、あとから数名の若者が来店しました。そのうちの一人、丸ぶちメガネでちょっと文化系のおしゃれな男性がおりました。

「にこっ」としながら友人が教えてくれます。

「あの人ね、割と有名なアーティストだと思う。テレビとかで歌ってるの見たことあるってみんな言ってる」

「へえそうなんだ!けどお客さん、彼が来たからってはしゃいだりしてないね?挨拶はしてるけど?」

「同じチベット人だし、人間だからね (にこっ)」

にこっとちゃん、言うことが毎度本質的でピンポイントなんですわ。そうだね、としか言いようがない。

さて、次々とビールやらワインやら、チベットのお惣菜的な前菜が運ばれてきて、みんなでそれをつまみながらほろ酔いになってきたところ。

彼としばらく話し込んでいたドルマが、彼を連れて戻ってきました。アーティストくん、ギターを持っています。チベット語の民謡なのかな?彼が歌い始めると、合わせて、隣に座ったドルマも一緒に民謡を歌い始めました。

これが素晴らしかった。ドルマの歌は、ファルセットを行き来する元ちとせさんのような民謡歌唱法でした。

チベット元来の文化と楽器演奏などは、やはりチベット仏教と密接な関係にあるそうです。僧院や寺院でお経を読むとき、彼らは低音で倍音豊かにそれを響かせます。そこに楽器演奏が加わったりして、豊かに響く全体像。学校の役割も果たしていた寺院ですから、必ず一家から数名は僧侶を送り出してきたチベットの家庭では、お経と民謡、いずれもずいぶん身近なものだったことでしょう。

その文化形成の基盤だったはずの寺院は五十年代にほとんどが破壊されたといいます。以降北インドなどに亡命した人たちが、言語にしても歌にしても、主に継承しているのだと帰国後に知りました。

ドルマの歌声が、響きわたっています。

若者が集まるところ。もしここが六本木だったのなら違和感しかないでしょうけど。郷愁を誘う旋律に誰もが耳を傾けてました。ビリビリと響く。可愛らしい声で、高音も美しく、表情も自然。素人がいきなり歌って、こんなふうに人を引き込むことができるものでしょうか。

鳥肌ものでした。私は心から大拍手しました。

そして、今度は曲が変わるとお店中の人たちも合唱。チベットの有名な民謡なんだそうです。歌え歌えと言われるので、私もよくわからないまま見様見真似で歌ってみました。店の人たちも、みんなとても嬉しそうでした。

アーティストくんが飲み物を取りに立った隙に、ふと私はドルマがつけていたネックレスが気になりました。象牙に見えるペンダントトップに何か一文字チベット文字が刻まれていたのです。これは、何かの意味があるの?と聞いてみたところ。

「チベットには意味のないものなんてないよ!」

そう言って彼女は笑いました。

「こんなの安物だけど、よかったら、あげるあげる!あなたにあげる!日本でつけてね!」

ドルマはその場でネックレスを外して、私の首にさげてくれました。もらうつもりで聞いたわけじゃなかったのに、太っ腹!豪快!ありがとう!

私たちは少し距離が近づきました。チベット最後の夜、私はこのネックレスを最後までつけて過ごしました。

アーティストくんが戻ってきて興味深そうな目で丸メガネの奥から覗き込んできました。

「あなたもアーティストなんですって?ギターは弾ける?ご一緒にいかが?」

店の端にあるステージにはコンガやカホン、タンバリン、ギターなんかが置いてありました。

「もちろん!ご一緒しましょう!」

このあと、宴はさらに盛り上がるのでした。

(続く)

 

チベットで食べた澄んだ出汁スープのヤク鍋が大変美味しかったものですから。牛テールスープっぽい感じとか、少し似てるかな?と思って。待ち合わせした原宿にもあったので、「牛たん・ねぎし」に入ってみました。

「本当に有言実行、すごいよ、よくきたね!」

ドルマの来日を喜ぶ私。こうして世界を飛び回れるようになってどう?と聞いてみました。

「最高!いろんな国があって、いろんな食べ物があって、いろんな価値観があって、本当に面白い」

牛タンを噛み噛みしながら彼女はいくつか旅の話を聞かせてくれました。そして、どうやって国際線のフライトアテンダントになれたか。例の話も聞かせてくれたのです。

住所を移して十年間とか、他にも色々聞いていたら口があんぐりしました。パスポート、旅券を国に発行してもらって国外旅行をすることなんて、そんなに特別なことじゃないこの現代で。そもそもがあたりまえの自由や権利じゃないのか、と思ってしまう。

どうしても聞いてみたくて、失礼にならないように質問しました。

「国外に出れる今、チベットの現状を世界に訴えようとは思わないの?」

彼女はモグモグしながら、大変明るくあっけらかんと答えてくれました。

「まさか!私は活動家になるために国際線に就職したわけじゃない。普通の女の子だよ」

話を聞いていくと、本心でそう思っているようでした。

「家族とチベットのみんなが幸せになるためにこの仕事を勝ち取ったんだもの。家族がチベットにいる限り、私は絶対メインランドチャイナの政府批判はしないし、あなたも絶対しないでね。それでチベットの人達が幸せになるわけじゃないから。むしろ逆」

ほほう。

結局多額の手数料も払ったそうです。家族や親族構成も住まいも把握されています。みんなの安全につながることだからと。

そんな構図だから、です。彼女と同じように、いろんな特別事項をパスして旅券を手にした一部のチベット人たちも、自分がちょっと国外に出たからと言って、チベット内部からはなかなか報道されようがない人権問題について声をあげるということがどれほど不都合か。私たちにも想像ができますね。

これを「抑圧」として捉える私だったらむしろ腹立たしいトーンにもなりそうなものの。いたってフラットに、むしろポジティブに、彼女は大変現実的に話していました。

「チベットの若い子は、私みたいにチベット人が自由に海外を飛び回るなんてあり得ないと思ってる。こんな未来が可能だと思っていない。だからね、私はとにかくたくさん旅をして、人生を満喫しているこの姿を見せることにするんだ。この方法なら家族に危害が及ぶこともない。親も喜ぶ。私にできる故郷チベットへの最大限は、一人でも多くの子に私みたいな生き方も可能なんだって思ってもらえるようにすること」

彼女なりの理がピシーッと通っていました。

「たくさん旅をする。いろんな国を見る。いろんな勉強をする。それが恩返しにきっとなるから。で、これは何?」

麦飯にかけるとろろの説明を忘れておりました。日本流の出汁でといてある、すったお芋さんですよ。

「美味しい。不思議〜」

ドルマはよく笑います。コロコロ、ケタケタ。

牛たんねぎし、最高でした。これまでも美味しいと思っていたけれど、この日のねぎしは、特別しみました。このあと腹を満たした私たちは、時間が許す限り、明治神宮を散策し、「またね」と別れました。

あれからさらに、もう数年が経ちました。また彼女が日本に来る際には、会えたらいいなあと思っています。今日も彼女はあちこち異国へ向かう国際線に乗って、元気よく仕事をしているのだと思います。


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