LOVEのひろいばなし Vol.112「十四歳は子どもか大人か」

「アニメーションはまずもって子どものものであり、真に子どものためのものは、大人の鑑賞に十分耐えるものである」。

ジブリのボックスセットの企画原案を読んでいたら、宮崎駿監督のそんな言葉に出会いました。

”真に”子どものためのものは。

世にはキッズ向けとされたものが溢れかえっていますが、そう謳っていながら、”真に”子どものためのものがどれだけあるかは別の話かもしれません。さまざまな業界にいらっしゃる皆さん、どうですか。私たちの仕事は直接的でも間接的でも、”真に”子どものためになっているのでしょうか。

宮崎さんの言葉は、子ども騙しの発想をしている人からは絶対出てこない言葉だなと、改めて目を閉じて反芻してしまいました。

さて、子どもはいつから大人になるのでしょうか。

脳の発達でいうと、子どもの脳は十四歳になったときに大人と同じ数の脳細胞にまでなるのだそうです。そこからは横並びということですね。

十四歳という年齢がキーかもしれません。

みなさんはご自分の十四歳を覚えていらっしゃいますか。まだ全然子どもぽかったよ、という方が多いのか、割と大人だった自覚の方が多いのか。どうでしょうね。

私は早生まれでして、三月に十四歳になってから中学三年になった一年間がそれにあたります。中高一貫校で高校受験がなかったため、青春を満喫しておりました。

スクールミュージカルでコーラスガールの役を務め、上級生と仲良くなって夜の梅田に踊りに出かけ、比較文化の授業で一年間日米エイズ対策の違いをリサーチにまとめプレゼンした結果ほぼ性教育のレクチャーみたいなことをし、ピアノをギターに持ち替えて作詞作曲を始め、JR京都線で経験した初めての痴漢をとっ捕まえてフルフルしながら駅員さんに突き出した年です。

ほぼほぼ、出来上がってますね。らぶさんという人間の人型、もうこの頃には存分に。ええ。

私学で制服もなかったので、中三くらいから服も自分チョイスだったと思います。いっちょまえにアジアン雑貨店にハマり、夏はタイダイのワンピースなどを好んで着ていました。あとは基本的にジーンズTシャツブーツ、ヘッドフォンして登校。お小遣いをやりくりしてやっておりました。

こうして振り返ってみると、十四歳で大人の脳細胞数に追いついた感、自覚あります。周りがそういう扱いをしてくれたというか、一丁前な環境に置いてもらっていたことが大きいとは思います。

その直前の十三歳までは、写真を見ても親が買ってくれた服を着ています。「脱・子ども」したくてたまらなかったあたり、やっぱり、思いっきり子どもだったんだなとわかります。そんな私の十三歳はといいますと。

サッカー部にて島田珠世走りを披露しつつ、ビン底メガネをコンタクトに変え、まだまだ背丈もおチビなくせに初めての口紅を買ってみたら口裂け女と化し、ともだちについていったお店で「知ってた?これ借りれるんだよ」と言われたことをまるまる信じ込み「へえ!そうなんだ」とロリポップキャンディーをそのまま持って店の外に出てしまった年にあたります。

……情報量が多いですね。いったん脱線しますが、弁明をば。

電車に乗ってロリポップを口に入れたあとで、「ねえねえ、借りるったって、なにも書いてこなかったけどいいの?」と図書カード的なことを心配していたら、「はは、借りれるわけないじゃん」とあしらわれ、顔面蒼白になった思い出。

「共犯……!とうとう私は犯罪者になってしまった」と思いつめながらなめたチェリー味のロリポップは私にとって罪の味です。いまでもソニ○ラに入ると、あの日の罪滅ぼしがしたくて無駄にいろんなものを買ってしまいそうになります。

そんな十三歳を経て、善悪の判断もしっかりとついていたはずの十四歳。今の身長まで伸びきったのも、十四歳でした。

ニューヨークタイムズの記事にもなっていましたが、音楽の記憶も十四歳がキーポイントだそうです。人は自分が十四歳のときに聞いていた音楽に一生、一番影響を受けるという研究結果があるそうです。厳密に言うと、女性は少し早熟なので十一歳から十三歳までがより色濃く記憶に残るというデータもあります。いずれにせよ、それに比べて二十歳以降で聞いた音楽は、半分も影響力を持たないとか。

十四歳、ジブリの世界で見てみるとハッとします。幼い子たちから並べてみます。

トトロのメイちゃんと火垂るの墓の節子が四歳で、ポニョと宗介が五歳。

千尋が十歳で、ハクとトトロのサツキが十二歳。

ラピュタのシータとパズー、そして魔女宅のキキは十三歳です。

そして、火垂るの墓のにいちゃん、清太が十四歳なのです。

ここまで楽しく読んでくださった方は、ここから急に悲しい気持ちにさせたらごめんなさいね。宮崎駿さんが希望と夢の見かたを教えてくれたなら、絶望と現実を見る力を教えてくれる。高畑勲監督の作品にも、私は同じくらい育ててもらったと思っています(ちなみに「火垂るの墓」を見ていない方は、ネタバレしたところでこの映画のメッセージが色褪せることはないので、安心してくださいね)。

戦争で身寄りをなくした清太は、妹の節子とふたり、なんとか生活していこうと防空壕で暮らします。そして、栄養失調で日に日に弱っていく節子を最後は看取ります。

清太は自分の手で妹を焼きます。そして、駅の構内に横たわってたった一人で亡くなります。

その時、十四歳なんですよ。

もちろん、映画の中には、勇敢な清太も、子どものように楽しそうな清太もいます。何より命の輝きをしっかり描いている映画でもあります。だから、私も幼い頃に見た時は、悲しかったけど年齢なんて考えずにただただ「にいちゃん」として見てました。

でも今は捉え方が違うのです。清太が十四歳だったということに、私は打ちのめされる。

東日本大震災以降、子どもはいつから大人になるのだろう、とずっと考え続けている私です。

生活が脅かされるほどの出来事に出会ったとき。自分より弱い誰かを守ろうとした意識が芽生えたとき。自分を守るはずだった者を失ったとき。望む望まないに関わらず、たくさんの子どもたちが、他より少しだけ早く大人になっていくところを見ました。

その後をずっと追いかけられているわけではないけれど、今では社会人になっている子もいます。あの子達と再会するたび、彼らの立派な姿に大変温かい気持ちになります。と同時に、帰り道になると、いつも彼らの子ども時代に想いを馳せて今でも胸がいっぱいになることがあります。

子どもが子どもでいられる時間は、本当に尊いです。

いろんな出来事にさらされて、人によって子ども時代が短かったり長かったりしたところで、それ自体で幸不幸が決まるわけでもないです。だけど、やっぱり、それはものすごく尊い時間だと。

ちなみに、震災直後に私を福島県相馬市に呼んだ女の子、羽根田真子ちゃんは、当時まさに十四歳でした。彼女はもうその時点で、子どもというより若い大人だったのだと今は思います。

先日の相馬ライブ、彼女がお母さんになって生まれた一歳になる赤ちゃんをステージ前に抱かせてもらいました。そのあと数曲、地元の子どもたちと演奏をしました。夏の日差しの中で、わあわあと子どもたちが楽しそうで、とても楽しかった。

そして、相馬から帰ったその足で、ジブリの新作「君たちはどう生きるか」を見にいきました。以降、私が想いを馳せていることは、ずっと、このようなことなのです。

頭の中で、みんなが並ぶんです。十四歳だった生意気なインターナショナルスクールの私と、制服で募金箱を下げていた十四歳の真子と、国民服を着た清太。時代も世代も次元も違うけど、それぞれに一生懸命。

そこにみなさんもご自分が十四歳だった頃の姿をよかったら一緒に並べてみてください。

私たちは、大人になれる未来があった。

そう思わされたりしませんか。

人の子ども時代を十四年間と捉えてみると、本当に時が尊くなります。またそれは、大人になった私たちが、十四年後に何かを初めても“真に”子どもたちのためにはならないということでもあります。

恐れ多くも宮崎駿さんのお言葉を展開させていただきますが、

「”真に”子どものためになることを基準に発想して、大人に耐えうるクオリティで仕上げること、それこそが”真”の大人の責任」

例えばそんな風に、大人になった私たちが考えることができたら。

今、それぞれがどの業界で働いていたとしても、ですよ。同じ指針をもって、お互いを振り返りながら、それぞれの世代で、次の十四年を丁寧にやっていくことができたら。そのために自分に足りないものはなんだ。できることはなんだ。

そんなことを、しばらくずっと考えております。

 

サンが十五歳、ナウシカは十六歳、アシタカが十七歳です。この三人、本当に好きだな。

十四歳を超えると、どんどん勇敢なキャラクターとして、使命を持った存在になっていくジブリっ子たち。

ちなみに私はジブリの映画に出てくる、老人の存在もたまらなく好きです。トトロのかんたのばあちゃん、ラピュタの「しまってくれんか、わしには強すぎる」のポムじいさん、ナウシカのユパ様と爺たち。湯婆婆をはじめとする、数々の憎めない老人たちも。

さて、つながっていないようでたぶん繋がっている話ですが。

震災以降、「亡くなった人たちの分まで」という言葉を私は人前で使ったことがありません。意識してそうしています。子どもたちが自分で言うならまだしも、それが近しい人であればあるほど、死を背負いすぎて自分の中から出るはずだったものが開花しなくなっては本末転倒だし、そもそも私のような家族を直接失っていない人間に言える言葉じゃなかったです。

ていうか、代わりに、とか、あの子の分まで、とかじゃなくて。

誰もがただただ自分の命が輝くように生きれたらいいよね、と。その代わりといったらなんだけど、亡くなった方へ礼儀のある生き方をしたいと思うようになりました。

で、ジブリファンの方ならわかってくれると思うんだけど、私が出会ってきた福島の子ども達が大人になっていった先にはですよ。

シータのように納得できないことに立ちはだかる強さや、パズーのような勇敢さや、ナウシカのような使命感。アシタカのような忍耐力も、サンのように真っ直ぐな人間に対する憤り。そしてすべてのキャラが感じてきた、迷いや自分の無力さへの憤りも、全部あるものですよね、たぶん。

で、私の中にもいまだにそれらが、ある。ちょっと、今一度、四十にもなって、自分という人間が何でできているかをもう一度振り返りたくなりまして。こっから何が足りないのか、何を煮詰めればいいのか宮崎さんと心の中で対話したい気持ちになりまして。

気づいたら、指が勝手にジブリのサントラを片っ端から買っていた今週です。


You may also like

VIEW ALL
Example blog post
Example blog post
Example blog post