LOVEのひろいばなし Vol.105「バランサー、エド・パチーノ」

「人はみんな年をとるんだよ。生きてりゃさあ、自分ではどうにもならない出来事ってあるもんだぜ。てっちゃんも、なんかあったんだと思うよ。詳しくは聞いてないけどさ。今そういう感じのとこにいるって、俺は聞いてる。'しばらくそっとしておいてほしい'って。まあ、そんぐらいしか聞いてないけどな」
職場において、なんらかのバランサーを務めているであろうおじさん、六十二歳。蒸し暑い、雨上がりの六月の夜に、ベランダで、ステテコで。ビールを片手に話し続けています。
「がんばれって言ったってなあ、自分の力が及ばないことで苦しむことだってあるだろうよ。周りが ‘がんばれ’とか‘なんで休んでんだ’とかいって話し合いの場をわざわざ作るよりなぁ、ただただ周りが知っておいてやるってことだけが大事な時もあんだよなぁ。わかるだろ、さとこ?」
平日の夜です。すでに一時間半ほど。電話の向こうにいるのは、さとこ(仮名)と判明。
「みんな、体だってちょっとずつ変わっていくんだぜ?年をとると自分の気持ちや人の応援だけじゃどうにもならないこともあるんだよ。って、井上には言ってあるよ、俺は。うんうん……え?もしもーし!?もしもーーーーーし!?」
井上(役職不明)もおそらく同じ職場の人なのでしょう。多分、「てっちゃん」込みで彼らは皆さん同じ職場で働いてらっしゃいます。電話が切れても切れてもまた繋ぎ直して、相談は続きます。
あまりにバランサーおじさんの声がでかいので、とにかくどうやったって聞こえてしまう、と窓際で仕事していた我が姉②が、連絡してきました。もう聞こえて聞こえて仕方がないそうで。「私までてっちゃんの具合が心配になってきた、どうしよう」と。
……知らんがな。
ただ、このおじさんの話口調がどうも素敵だそうで、彼らの人生に思いを馳せずにいられないとのこと。確かに、私たちの周りにも「てっちゃん」はいるのかもしれない。こんな時代です、調子を崩している人も増えてるそうですからね。
このバランサーおじさんと、何やら昔は劇団員だったことがあるらしいさとこ(仮名)。この二人がどういう関係なのかは謎ですが、こうして長電話で身の上話も分かち合えるぐらいには近しいご様子。おじさんはさとこ(仮名)の劇団時代を知っていて、長く応援していたにちがいないと、姉②はいいます。
……だから、知らんがな。
現在もさとこ(仮名)が劇団にいるのかどうかは定かではないですが、いずれにしても同じ職場で働く皆さん。てっちゃんの具合に業を煮やしたさとこ(仮名)がバランサーおじさんに電話してきた、という構図がだんだん見えてきました。
「江戸っ子のバランサーおじさん、話すトーンが昭和の人情たっぷりで、いいこと言うんだよ。なんだかぎゅっと胸が切なくなるような、それでいて面白いような、涙が出ちゃいそうな。心が持っていかれそうなんだよ」と、連絡してきた姉②。なぜ江戸っ子おじさんの年齢が六十二歳なのかわかったのかと聞いてみましたら。
このおじさん、メインの文脈である「てっちゃん対策」以外にも、とにかく話題が豊富だそうで、合間合間に色んなエピソードを挟んでくるとか。何かの拍子に、さとこ(仮名)が自分の人生を憂うようなことでも言ったのでしょうか。
「そうだよなあ。わかるよ。さとこもなあ。一人じゃ色々大変だからなあ。でもな、言っとくけど、俺だってまだ六十二だぜ?ワハハハハ!だってよ、アルパチーノなんて八十超えて子どもできてよ、すげーよな。ワハハハハハ!」
なかなかな衝撃情報なので、私、ググって裏どりをしてまいりました。お付き合いください、いったんアル・パチーノの話です。
すごいです、アル・パチーノ八十三歳。今年に入って、二十九歳の映画プロデューサーである恋人との間に、お子さんができたそうです。アル・パチーノにとっては第四子だとか。ただ、ほんまかいなということで、DNA鑑定を求めたそうです。そして恋人のお腹の子が無事ご自分のだと判明したのち、こう言い放ったそうです。
「すごくスペシャルだ」
……でしょうね。ゴッドファーザー、おめでとうございます。
話は戻りますが、ベランダのステテコ江戸っ子バランサーの話です。エド・パチーノと呼ばせてください。
素敵な六十二歳だと思いました。何より六十二歳になった、十分に目上のおじさんが、こうしてさとこ(仮名)や井上(役職不明)とてっちゃん(状況不明)の職場の人間関係の相談を受けて対応してくれている方向が、自分の権力の振りかざしでもなく、責任追求でもなく、責任逃れでもないことが素敵だなあと。又聞きの私ですらそう思ったのです。
てっちゃんはおそらく若手です。
そして、若さって時にとても辛い場合もあるのでしょう。
現状に納得がいかなくて、白黒つけるやり方しかわからなくて。自分と他人との折り合いがつかない時、そのストレスをバネにできるタイプもいれば、追い詰められてしまうタイプもいる。良かれと思って他人が協力しようとしてくれてること自体がプレッシャーになることもある。
何が正しくて、何が間違いなのか。その軸だけで考えたら、時には誰も悪くないなんてこともあるし、誰もが少しずつ悪い場合だってあるでしょう。
エド・パチーノの言う通り。
生きてりゃさあ、自分ではどうにもならない出来事って、あるもんだぜ。
それは解決するでもなく、乗り越えるでもなく、ただただそこに居座ったりもするし、それでも毎日朝日は昇って腹は減る。区切りをつけたり、踏ん切りをつけられることならいいけれど、そうとも限らない。何十年も、過去の出来事に苦しめられたり、救われたり、生きがいになったり、意味を見出せたり、無意味に感じられたりしながら。
それでも、やってくる今日を、この一日を、どう過ごすか。
てっちゃんは、今、それを探しているんじゃねえかなあ。
……だんだんとエド・パチーノが私にも憑依してきました。姉②と電話を切った後も、私も一緒に彼らの人生に思いを馳せてしまい、ラヴ・パチーノ(もはや原型がない)になって数時間を過ごしました。
さとこ(仮名)もよお。愛情があるから、てっちゃんをどうにかしてやりたいって思ったんだよなあ。だからこそ、もやもやしてこんなに長電話しちまったんだよなあ。
てっちゃんもさ、辛いことがあるほどにいっそ麻痺しちまったほうが楽だと思うかもしれねえけどよ。もしここを無感情で過ぎてしまったら、大切な人間性のかけらをなくしちまう。そういうタイミングって、人生にはあったりすんだよなあ。アタシだってあったよ、てっちゃん。
詳しいことは皆目(マジで、まったくもって皆目)わからないけどよ、うまく浮上できるといいよなあ、てっちゃん。
帰ってきたら、それはそれで、職場のみんながケロッと受け入れてくれたら嬉しいよなあ。ミニシュークリームかなんか買ってきて、事務所でみんなでつまめたら、それでいいよなあ?な?てっちゃん?

誰の話やねんと。知らないです。全然、誰か知らないです。事情もまったくわかりません。勝手にすみません。
けど、この広い江戸のどこかに、エド・パチーノおじさんと、さとこ(仮名)と、井上(役職不明)と、てっちゃんがいると思うとぐっときます。なんだかこの気持ち、SUUMOのアプリを見ながら、この広い街のどこかに私の未来の邸宅があるのだと想像するのにも似ています(それはまた別の話。ややこしいわ)。
ここからさらに話が飛躍して申し訳ないのですが。
せめてこんな人たちが職場にいてくれたら、犯罪を起こさずに済んだかもしれない。そんな犯罪者がこの世にはたくさんいる気がするんです。え、なんの話?急にすみません、犯罪者の話です。
一部のむごい事件を起こしてしまう人たちって必ずと言っていいほど孤独です。でも、この世の中に孤独な人はたくさんいますし、孤独な人が全て犯罪者になるわけじゃありません。だから何が違うんだろうって、よく考えます。
デビュー前のことです。ふと思ったことがありました。
ニュースを見ていたら、とある事件の犯人が捕まったとか。すでに本名も公表されているのに、メディアにインタビューされていた職場の同僚の人たちが「あの人挨拶もしない」「あの人?普通の人でしたけど」と名前を呼んですらいないということが気になりました。なぜ、「〇〇さん」などと名前で呼ばないのだろう、と疑問に思ったのです。
多分、普段から彼を名前で呼ぶような関係性ができていなかったのでしょう。
それがどうにも虚しく感じられて書いたのが、1st Albumの1曲目「My Name Is LOVE」という曲です。デビューするにあたり名前がLOVEになることも含めてですが、これからまた自分の名を大事に呼んでいただこうと思ったのです。そして私は、サイン会などでたとえ常連さんのお名前を覚えていても一度必ずご自分で名乗っていただき、私もちゃんとお呼びするために、毎回お名前を伺うようになりました。これは、一年目からのポリシーです。
携帯電話のショップなんかでも、雑で失礼な店員さんほど人の名を適当に呼んでます。逆に「ジョーーン」「ヨーコー」「ジョーーーン」「ヨーーコーーー」と、名を呼ぶだけでそこに愛が込められまくっている世界一有名なカップルもいます。私たちは、知らず知らずに、人を呼ぶときの呼び方やトーンに愛の匙加減をしてしまうのだと思います。
てっちゃんは、愛着をもって同僚に名前を呼ばれまくっている。そして、エド・パチーノがいうように「てっちゃんの状況をただただ知っておいてやる」という余白まである。てっちゃんはきっと大丈夫だろう。誠に勝手ながら、私はそう感じてその日は眠りにつきました。
逆説的に言うと、もしもてっちゃんがどうしようもないところまで追い詰められてしまい、何らかの事件を起こしてしまったとしても。その時、エド・パチーノがもしテレビインタビューを受けたなら、やっぱり彼のことを「てっちゃん」と呼ぶのだろうと思います。そして、そこに私はせめてもの救いを見出すのだと思います。