LOVEのひろいばなし Vol.103「SOMA BLUE ボツ案」

「グリー!もっと上!行き過ぎ!もっと下!」
「こうですかあ〜?重たい…」
「見えないー!」
「あ!見えたーーーー!いや、やっぱ見えない!!」
相馬市の海沿いにできた、尾浜こども公園にて。いい大人が数名で高い遊具に登り、下から見上げている人達もやいのやいのと叫んでいます。平日の昼間、一部はスーツ、一部は作業着、一部は金髪。午後の太陽は燦々とわたしたちを照らして輝いておりました。
本日は、新たなSOMA BLUE PROJECT、ボツになったアイデアのお話です。まさに「世に出ることなきデモ曲みたいな」お話です。いやあ、いけると思ったんだけどなあ!あはは。
私が代表を務めておりますSOMA BLUE PROJECT。代表も何も、最初は私と相談役と福島県相馬市の漁師さん、東京の頭のいい人達など数人の仲間で一緒にSOMA BLUE絵の具を作り、震災から八年ぶりの相馬市のビーチの海開きをお祝いしたところからスタートしたこのプロジェクト。
その後、SOMA BLUEアートタイルを作り、津波が到達した広大なエリア(震災前はたくさん住宅がありましたが、現在は居住禁止区域)に完成した公園のオープンを祝いました。
さらに、新たな現地の名物になるよう手軽に購入できる価格で作ったSOMA BLUEマーカーは、今大人気です。私のHPでも、皆様本当にご購入ありがとう!全国の皆さん、引き続き、たくさん夢を描いてください。ガラスの窓にも描けるペンですからね。綺麗な青!
そんなSOMA BLUE PROJECT、毎回たくさんの方々にお力添えいただきながら、その時々に必要な人たちにお声がけして、集まっていただいています。大事にしていることは、毎プロジェクト、相馬の子どもたちとその未来に「色褪せない顔料=インミンブルー」を使って「色褪せない希望=SOMA BLUE」を届けるというコンセプトです。
去年末にはSOMA BLUE ART展が東京で開催になりました。これはすごかったですね!名だたる数々のアーティストの皆さんにご参加いただき、作品を提供していただきました。元祖、相馬に文房具を届けるために震災直後に立ち上げた「今日ここライブ」に出演してくれていた友人でもあるたむらぱんが今度は絵で参加してくれたことも嬉しかったです。彼女は、今日ここライブの「音楽」から、SOMA BLUEの「美術」への移行にも橋渡しをしてくれました。そして、青と黒のコントラスト、存在感がものすごい絵画を二枚も提供してくれて会場設営の監修も務めてくださったドン、アーティストのヒロ杉山さんには頭が下がるばかりです。
今年は、そのアート展の売り上げで相馬の高校生(今回は美術部!)とワークショップをして、何かしらのアートワークを海沿いに残すことが目標です。これは、震災から十三年になるとき、来年の春に高校を卒業する「あの時の小学一年生」への卒業祝いであり、彼らのメモリアルになればと思っています。またひとつ新たな、そしてこれまでの総括にもなるような大きな「おめでとう」で彼らを送り出せたらいいなあという気持ちでいっぱいです。
「海沿いにできた“こども公園”に自由にアートを残せるとしたら、何を残したい?どんなメッセージを、この街の未来の小さな子ども達に伝えたい?」
春頃、まず、相馬にある二つの高校の美術部に伺って高校生に聞いてみました。
いろんなアイデアが出ました。
時計台、アートフレーム、モビール。永遠、ふるさと、未来、時間。たくさんのキーワードが飛び出ます。生徒のみなさんはシャイながらに一生懸命に考えてくれました。
でもやっぱりダントツ一番多かったキーワードは「海」。次に「環境」。
そうだよね。相馬の子ども達がやはり次世代に残したいのは、美しい相馬の海と健全な環境なんだよね。
私は、相馬の人たちと海の関係を尊敬しています。震災前は、魚種によっては日本一の漁獲量を誇った港。彼らにとって故郷の象徴。そして、津波の記憶、悲しい記憶。
心情的配慮から八年ものあいだ海開きを控えた、原釜尾浜海水浴場。そこから国道を挟んだ広大なエリアに「こども公園」がオープンしたのは二〇二〇年のことでした。あれからまた少し成長した子ども達がいう「この海を残したい」。それはとてもシンプルで、同時にとても奥行きのあることなのです。
最初の子どもたちとのミーティングを終えて、相談役が運転する車の助手席に座り帰路についた私は悩んでました。
うーん。アートオブジェを残そうとしているこの公園からは、肝心の海が直接見えないんだよなあ。
そうなんです。福島から岩手までの沿岸部は、約四百キロにわたって防潮堤が建設されています。一部の街では住民の皆さんが景観を守りたい、暮らしている場所から海が見たいと抗議もあったようですが、あの震災以降、二度とこの規模の津波被害がないようにと建設されながらも議論はつきません。そんな防潮堤。
海から順に、浜、国道、防波堤、成長中の防災林、そして盛土がされた七ヘクタールの公園、広い円形の芝生を囲むジョギングコースと、高さ七メートルほど風車のモチーフでできた遊具、そしてSOMA BLUEアートタイルが壁面に貼られた幅十六メートルの青空ステージ。
うーん。「海を残したい」と言われながら、その場所からは見えないって、ものすごく切ないなあ。生徒達のアイデア、全部海がらみなんだよなあ。うまいことできないかなあ。
そう思いながら車窓の景色をみていた私は、ふとサイドミラーの中で小さくなっていく街に気づきました。
あ。
鏡はどう?
どうやったらいいかはよくわからないけど、こんなふうに反射で海を見れたりしないかしら?
東京に帰ってから数日、相談役は美術部の生徒達の発言をまとめてくれて、私はそれを受けて思いついたアイデアと所感を書面にまとめました。
最終的に、その案をミーティングに持ってった日は、もうね、キタ!と思いましたとも!みんなで、潜水艦の中からレンズをのぞいたら遠くが見える潜望鏡の原理が使えるんじゃないかという結論になったんです。巨大鏡を空に掲げて海を反射させて、ちっさい鏡を下に置いてそれを受ける。そしたら海を映し出せるんじゃないかっていう!!ドヤ!!!
ちょっと、潜望鏡の原理とかに詳しいみなさん、笑わないでくださいよお。これ、私だけのアイデアじゃないんですからね。
ミーティングに参加していただいたのは、SOMA BLUE ART展にご参加いただいていたヒロ杉山さん(次のプロジェクトの監修にご協力くださいます!)。彼のデザインオフィスに勤めていてSOMA BLUE マーカーのロゴをデザインしてくれたデザイナーの吉田さん(なんと大阪府高槻市、同郷出身!)。そしてファッションやアートのデジタル領域に強いディレクターで、SOMA BLUEアート展を取り仕切ってくれた井手さんです。彼が金髪です。
私が持っていった「なんかうまいこと鏡で海を見れないか」という一次元的なアイデアに、井手さんが「潜望鏡みたいなのどうですか」と、そしてヒロさんが「海の方向をみたらちょうど海が映ってる鏡が見えて。そこに海があるような錯覚が作れないか」と。どんどん現実的な肉付けをしてくれて、なんならヒロさんのオフィスでは、みんなで「できたね」とニヤニヤ笑ってました。まじで絶対できると思ってました。
冒頭に戻ります。
これがうまいこと見えないんですわ。あはは。
相馬の信用金庫の営業マンで、会津地方から相馬にムコ養子に来たグリくんこと四栗くん。漁師の水揚げの手伝いや、ありとあらゆるみんなの手伝いにいつも駆り出されている三十代前半の愛されキャラです。本人はいつも、若干めんどくさそうなのと嬉しそう、の中間の表情。
私とは、彼の小三の息子と一緒に釣りをしたことがある仲です。前の晩の宴で飲みすぎたグリくんは、完全に船の上からリバース。そんなパパを放置して「餌付けありがとー」と息子と釣りしてました。グリくん、いつも、お疲れ様。
今回もグリくんが駆り出されました。土木の測量でご協力いただいている石附おじさんに呼び出されてました。何も説明されずに、急遽「来て。そいで鏡用意して」と言われて探したらしいです。重そうな鏡を持って、遊具の上に登らされています。
「おも…こ、こうですかあ〜?」
みんな大好き四栗くん。でも角度が絶妙。グリ、安定が悪いんだよー!容赦なく飛ぶヤジ。井手さんがヘルプにあがります。それでもやっぱり、鏡越しの海が見えそうで見えない。見えたら見えたで小さい。で、全然、感動しない。うーむ。
さらにこれを反射させて下の鏡で受けたとして、なんというか、予想していたような「やった!海が見える!!」という、きゃきゃっとしたあの気持ちが、ちっとも生まれそうにない。
その後も、角度変えたり、高さを検証したり、鏡を支えるポールの太さの話などをしながら。私とヒロさん、絶対口にしたくないけど、薄々気づいてました。「これ、無理だな」と。
ふう。じゃあ、果たして、何メートルの高さまでいけば海が見えるんだろう。
作業着の石附おじさんが、もう少し高いところから海を見て確認してみて、と、また別の高台にある公園に連れていってくれました。
「ああ、やっぱりこのくらいの高さからなら、海を見てる!って感じがするね」
ヒロ杉山さん、ブランコ漕ぎながら太平洋を眺めて、そうおっしゃいました。私も、心から納得。確かにね、ギリギリ木と木の隙間にちょこっと海が見えても、絵にはならないからね。どーんと太平洋が見渡せるくらいでやっと、相馬の海だよ!って誇らしい気持ちがブワッと湧くんですものね。
「ってことは、高さは十メートルですね」
はい、そうですね!!!(白目)
というわけで、今回の旅でわかったこと。我々は、次回、高さ十メートルの何かを作ることになるという事。
鏡案が空振りで、一回しょぼんとした私とヒロさんに、しれっと「こんなんどうですか」と新しいアイデアをぶっ込んできた井手さん(天才なの?)の案を次回は検証するという事。
無駄にもう一度言うけれど、高さ十メートルの何かを作ることになると言う事ォォォォ……!!
乞うご期待ください。(白目)

震災発生時の二〇十一年に、幼稚園の年長さんだった学年。が、今年は高校三年生。感慨深いです。
東日本震災直前。彼らの一つ上の学年の子ども達は、入学式を控えてピカピカのランドセルを背負う練習をしてワクワクしていたはずです。そして、誰もが経験したことのないほどの大震災、津波が直撃した地域では四月になって入学シーズンがきても式すらままならず、各家庭の被害状況の違いに気を遣って「おめでとう」という言葉すら大きな声では言えなかったと言います。胸が詰まります。
そんな次の年、二〇十二年から、彼らの入学式とその後六年間の新学期に届け続けた「今日ここライブからの文房具」。いま高校生になって、覚えている生徒もいれば覚えていない生徒もいます。
「ディズニーランドから届いたキラキラの鉛筆とかはあった!」
って、そうだよね、派手なの送っておけばよかったよ!と今となっては一緒に笑える話です。でも、やっぱりあの大変な震災の中で保護者の方々が子ども達のために用意した文房具こそが一番の宝物だったはず。今日ここライブからは、地味すぎるノートと鉛筆に「おめでとう」を込めて送っていました。
今日ここキッズと呼んでいる、文房具を受け取ってくれたあの子達、大きくなりました。もう私的には全然子どもじゃない。青春真っ只中。背、でかい。
今回は公園での検証と共に、相馬市内にある二校の美術部にヒロ杉山さんを紹介しに行きました。プロのアーティストに会えるこの機会に、せっかくだからとQ&Aコーナーを設けてみました。
「将来、イラストレーターやアーティストなど美術系に進みたいんですが、英語は必要ありますか?」
とある女の子でした。英語が苦手なんでしょうね、率直な質問をヒロさんに投げかけていました。
「はい、必要です。僕は作品について、もっと広いいろんな話題について、世界の人と英語で意見交換できたらどれだけよかっただろうと思っています。でね、これは美術に進みたい人たちだけのことではないんです。これからは日本のマーケット、日本の企業、日本での仕事、などという狭い枠組みで未来を考えることはもうやめてください。どんな道に進むとしても世界を相手に仕事をしていくんだという視野を持ってください」と言い切ってました。
なんだか私までとっても救われる言葉でした。
これを読んでいる読者のみなさん、今いる場所は主に日本だろうし、お勤め先やお勉強されている先も日本だとは思うけども。
今日ここにいながらにして、視野を広く持つこと。きっとできるはずです。時々視点や前提を変えてモノを考える練習を、遠慮なくやっていこうよとヒロさんに言われた気がしました。これもまた新たな「今日ここにいるという事」なのかなあと。勇気が出た言葉でした。皆さんにも贈ります。